学校教育とSDGs

2020年10月29日

2040年の日本の高等教育-「競争」から「共創」へ-

前回の寄稿の最後に「「学校教育の在り方を根本から見直す」方向に早く舵切りを」と書きました。ではどのような「見直し」が求められるかについて、少しずつ書いていこうと思っています。その第1回目は「大学改革」です。大学を最初に取り上げるのは、今日の日本の大学の在り方が、特に「競争」から抜け出せない大学入試が、初等中等教育にまで大きなゆがみをもたらしていると考えているからです。そこで今回は、SDGs時代にあって「競争」から「共創」への転換が求められているにもかかわらず、従来の大学の在り方を固守しようとしている大学教育政策を取り上げます。

大学教員の大量失業を招きかねないMOOCsの普及

コロナウイルスの感染拡大でZOOMを使った遠隔授業を強いられた大学の元同僚の多くから、

「諏訪さんは本当にいい時に定年退職できてよかったですね。目の前に学生のいない授業は大変。倍は疲れる。世間話もなかなか挟めないし、伝わったかどうかの確認もできないし、・・・」

という嘆きをZOOM飲み会で聞かされました。そして、夏の免許更新講習の打ち合わせで、ある大学教員はこんな感想を漏らしました。

「ZOOMでの講義が当たり前になると大量の大学教員が失業するんじゃない?だって、同じような内容で分かりやすくて面白い授業がネット上にアップされていって、それを選択しても単位になるとなったら、みんなそっちに流れるでしょ。『あの先生の授業って退屈、時間の無駄』といった情報はすぐに学生の間に流れるから」

大学側も、卒業に必要な単位の何割かはネット上の講座の受講で代替OKとした方が、人件費の節約になるので、大学教員の大量失業はありうることなのです。

オンラインで誰もが無料で受講できてしまうMOOCs(Massive Open Online Courses:大規模無料公開オンライン講座)がすでにアメリカでは爆発的に増加しており、日本でも今回のコロナ禍で急増しそうな気配です。

https://www.stoodnt.com/blog/most-popular-online-courses-2018/

MOOCsは、インターネットで配信され、無料でアクセスでき、誰でもが登録でき、入学手続きも不要な講座です。講座を修了し、合格と評価された受講者は修了証明を取得することができます。ただし、修了証明の入手については有料のものもあります。

MOOCsの多くは大学が作成し、大手のプロバイダーが配信しています。スタンフォード、MIT、ハーバードといった超一流の大学も活発にMOOCsを作成しています。このMOOCsは、高等教育へのアクセスが困難な国や地域、低所得階層にとっては福音ともいえるもので、SDGsの目標4「高い教育をみんなに」の実現に貢献するものともみなされています。

MOOCsが日本の大学の在り方を根底からくつがえす?

MOOCs の爆発的な普及は、ある特定の大学に入学し、その大学が開設する講義をセットで受講しないと卒業に必要な単位そろえることができない、という日本の大学制度の根幹を崩壊させるかもしれません。そしてそれは10年以内に起きるかもしれません。

もしも、様々な大学が提供したMOOCsの修了証明を相当数取得し、相応の力量を獲得した人が次々と誕生したら、そして、そのような人を企業が大卒者と同等に採用することとなったら、「大卒」の資格を取るために高額の授業料を払う人は激減することになります。

初等中等教育の新学習指導要領では「何ができるようになるか」を「何を学ぶか」「どのように学ぶか」以上に重視しています。同様に高等教育においても、どの大学を卒業したかよりも、「何を身につけることができたか」への転換が示唆されています。

本当に「何を身につけているか」で評価される時代になったら、大学のパッケージされた講義で卒業単位をそろえる必要はなくなります。MOOCsの豊富な品ぞろえの中から受講者が選択して受講し、大卒者と同等のものを身につけることができれば授業料の負担はなくなりますし、わざわざ東京で下宿したりアパートを借りる必要もなくなります。

しかし、文科省や中教審の、少なくとも高等教育関係者はそのような時代が10年後にやってくるかもしれないなどとは、夢にも思っていないようです。それともそのような悪夢を決して実現させないぞ、という固い決意で臨んでいるのかもしれません。

「2040 年に向けた高等教育のグランドデザイン」答申

2018年11月に中央教育審議会から「2040 年に向けた高等教育のグランドデザイン」(答申)が出されました。

https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/1411360_7_1.pdf

その答申では、

世界の高等教育においては、国内の教育機会の提供の段階から、近隣諸国を含めた域内の教育機会の提供の段階を経て、高等教育がまだ充実していない地域での教育機会の提供の段階、そして、MOOC(Massive Open Online Course:大規模公開オンライン講座)をはじめとするオンラインでの教育機会の提供の段階へと在り方の多様化が進み、広がりを見せている。この変化を踏まえれば、高等教育システムは、国、地域を越えて展開される「オープン」な時代を迎えていると言える。

とMOOCに触れてはいますが、その書き方には危機感は感じられません。

そして、相変わらず効果が乏しい「質保証」に多くのページを割いています。1991年の大学設置基準の大綱化以降、大学に改革を促す答申は7回出されていますが、そのたびに「質保証」という名目の規制強化打ち出されました。しかし、それがほとんど効果を発揮していないことと、「質保証」にこだわる真の理由についての推測を『学校3.0×SDGs』(2020年2月、キーステージ21)に書いたことがありますので、以下に該当部分を転載します。

大学の開設について様々な条件を定めたものに大学設置基準がある。大学設置基準は、1991年に大幅な規制緩和と言ってよい大綱化が行われた。しかし、それ以降、表1に示したように、「自己点検評価」「第三者評価」「3ポリシー導入」「成績評価基準導入」「GAP」設定」「シラバス記述の厳格化」というように、目まぐるしく規制を強化していった。

では何のために規制を強化するのかというと、これまでの大学の質保証に関する中教審答申に書かれたことを一言で言うならば、「今の大学生の学修時間が短すぎるので、改める必要がある」ということであった。それでは、規制強化によって大学生の学修時間が改善されたかというとそうではない。2018年11月に出された「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」を答申においても、「学生の授業出席時間の平均が1週間当たり約 20 時間、予習・復習の時間の平均は約5時間にとどまっており、授業以外の学修時間が非常に短い」と記述されており、過去の規制が何ら効果を発揮しなかったことを自ら認めてしまっている。では本当は何のために規制を強化しているのかというと、学齢人口減少下で、既存の大学の経営基盤を危うくさせる新構想の大学の新規参入を困難にするためと疑わざるをえない。既存の大学の既得権の擁護に真の目的があって、「大学生の学修時間の向上⇒大学生の質の向上」は、二の次であったと思われる。

表1 大学設置基準大綱化以降の質保証に関わる規制強化

上の表中の1998年の「21世紀答申」の正式な名称は、「21 世紀の大学像と今後の改革方針について―競争的環境の中で個性が輝く大学―」です。まさに新自由主義的な発想で、競い合わせれば活力が生み出されるという「競争」のプラス面ばかりが強調されたものでした。「競争」を基調とする政策の強要が大学教育にどれほどのマイナスの影響を与えるか、そして「競争」を当たり前とする大学入試制度が、高等学校以下の教育どれほどゆがめてきたか、にまったく頓着していません。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/006/gijiroku/011001/011001d3.htm「21世紀答申」の骨子の説明(文部省作成資料の抜粋)

「グランドデザイン答申」の評価すべき点と物足りなさ

大学に関する答申の基調は、その後も大きく変えられることはなく、今回の「グランドデザイン答申」でも、「国際競争」「経済競争」「大学間競争」などの文字が散りばめられています。ただし、今回の「グランドデザイン答申」では、トーンが若干変化しており、「既に人類が抱える課題は国境を越えたものとなっており、人類の普遍の価値を常に生み出し、提供し続ける高等教育を維持・発展させるためには、質を向上させるための切磋琢磨は必要であるが、国内外で機関ごとにただ「競争」するのではなく、課題解決等に協力して当たるための人的、物的資源の共有化による「共創」「協創」という考え方により比重を置いていく必要がある。(p.5-6)」といった記述も登場しています。

また、「2040 年頃の社会変化の方向」では、(SDGs が目指す社会)を、(Society5.0、第4次産業革命が目指す社会)や(人生100 年時代を迎える社会)、(グローバル化が進んだ社会)よりも前に位置づけて記述しています。

さらに、地方創生という観点から、地域の高等教育機関が中核となる「地域連携プラットフォーム(仮称)」の構想を打ち出し、2020年3月にはそのガイドライン案が公表されています。この「地域連携プラットフォーム(仮称)」構想については、稿を改めて述べたいと思っています。

以上のように、「2040 年に向けた高等教育のグランドデザイン」答申では、評価すべき点もあります。しかし、大学入学制度が2040年にはどのような姿になっているべきか、ということについても、また、そもそも2040年の時点で日本の高等教育がどのような姿になっているのかについてもまったく語られていません。現在の高等教育の抱える課題を克服していく方向性は示されていますが、あくまでも現行の制度の延長線上のものでしかありません。これから20年後の社会の大変化をほとんど想像できていない、まさに「貧困な想像力」を露呈してしまったものと言わざるをえません。

20年後の初等中等教育が依然として大学入試によってゆがめられている、という事態を避けるためには、文科省や中教審の描いている姿ではない、場合によっては、文科省の認可や学校教育法第1条校ではない高等教育機関が今後続々と誕生し、それが主流になっている必要があるかもしれません。

2020年10月22日

「令和の日本型学校教育」が描く理想と現実のギャップ

なんでいま「令和の」なの?

中央教育審議会初等中等教育分科会は、10月7日に「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して ~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと, 協働的な学びの実現~(中間まとめ)」を発表しました。2021年1月には最終答申が提出されると予想されています。「最終答申」で「中間まとめ」に示された根幹がくつがえされることはまず考えられないことです。したがって、この「中間まとめ」の方向で施策が進められていくと受け止めて今後各方面で様々な準備がなされることになります。

文科省「令和の日本型学校教育」の構築を目指して、中間まとめ | 教育 ...
https://www.mext.go.jp/content/20201007-mxt_syoto02-000010320_1.pdf

今回の「中間まとめ」の発表で、「令和の日本型学校教育」という名称が話題になっています。「えっ、なんで「令和の」なの?」というのが、率直な感想でした。しかし、もう少し素直になれば、平成の教育から脱する意思を明確に示そうとしたと捉えるべきなのでしょうか。社会の変化が著しく将来の予測が困難な時代であるだけに、「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」(答申)のように20X0年を使うと、「20X0年時点での社会の変化をその程度にしかイメージできないの?」というような批判を浴びてしまいます。そうしないためには、「令和の」は賢明な選択だったいうことにしておきます。

「日本型学校教育」って、何?

さて、問題は「日本型学校教育」です。

実は、私の専門の環境教育の領域では、1992年に『日本型環境教育の「提案」』という書物が刊行されています。副題に付された「自然との共生をめざして」からある程度は書名の意図が推測されます。つまり、自然を人間が支配する対象と捉えがちな西欧的な、あるいはキリスト教的な世界観ではない、自然との共生を目指すところに「日本型」と名付けた所以がありそうです。では、「日本型学校教育」とはいったいどういうものなのでしょうか?「中間まとめ」には次のように書かれています(p.3)。

学校が学習指導のみならず,生徒指導等の面でも主要な役割を担い,様々な場面を通じて,児童生徒の状況を総合的に把握して教師が指導を行うことで,子供たちの知・徳・体を一体で育む「日本型学校教育」は、・・・・

つまり、徳育は家庭や教会が担い、体育は地域が担い、学校の先生はもっぱら知育に専念する欧米の学校と異なり、知育、徳育、体育をすべて学校が担うのが「日本型学校教育」であると捉えています。そして、続く・・・・の部分には、「全ての子供たちに一定水準の教育を保障する平等性の面,全人教育という面,卓越性という面などについて諸外国から高く評価されている。」と書かれています。日本の学校教育が抱えている様々な課題を深く知らない諸外国の方々からは、高い評価を受けるのかもしれません。

知・徳・体の一体は教育の本道、でもすべてを学校が担うの?

しかし、教育というものが本来あるべき姿を考えてみると、高い評価は案外的を射ているのかもしれません。なぜならば、子どもたちを大人にしていく教育という営みを、欧米のように知育、徳育、体育に分解して指導することが適切であるとは言えないからです。それぞれを専門とする人がその分野について最適の教育を別々に授けたからといって、全人的に優れた人間が形成されるわけではありません。要素に分解し、それらを集めてみても本当の姿とはかけ離れたものになりがちです。

近代教育は、効率を追求するために教えるべきことを教科に分解して教科教育を追究するやり方を150年続けてきました。その大きな弊害に気づいて、ようやく「総合的な学習」や教科横断的な学びを重視する「カリキュラム・マネジメント」を強調するようになってきています。同様に、全人教育を目指す場合、知育、徳育、体育を分解することなく一体として捉えるのは教育の本道であり、その価値が高く評価されるのは当然かもしれません。

しかし、子どもを大人にするには知育、徳育、体育を一体として捉える教育が適切であるという理想と、その知育、徳育、体育のすべてを今日の「学校」という制度が引き受けるという現実の間には大きな隔たりがあります。なぜならば、今日の学校という仕組みが知育、徳育、体育のすべてを引き受けるように設計されていないからです。

知育・徳育・体育の統合と「学校」の制度設計のギャップ

教員免許制度を例に挙げれば理解してもらえるはずです。1949年に作られた日本の教育職員免許法では、中学・高校の教員免許は教科ごとに発行されており、それは71年を経て社会が大きく変わった今も変わっていません。全教科を教えることが前提となっている初等教員免許についても、免許取得に必要な単位の多くは教科に関するものです。そして現在も教員養成系の大学の教員の8割以上が教科教育や教科内容の専門家で占められています。

また、教員の過剰労働も既存の制度が今の時代に合わなくなっていることを物語っています。「中間まとめ」は教員の過剰労働についてもその実態を次のように述べています(p.9)。

その一方で,教師の長時間勤務の状況は深刻であり,特に近年の大量退職・大量採用の影響等により,教師の世代交代が進み若手の教師が増えてきた結果,経験の少なさ等から,中堅・ベテラン教師と比べて勤務時間が長時間化してしまったことや,総授業時数の増加 部活動の時間の増加などにより平成 28( 2016 )年度の教員勤務実態調査によると平均すると小学校では月に約 59 時間,中学校では月に約 81 時間の時間外勤務がなされていると推計されている。

このような事態に対し、教職員定員改善の予算確保など文科省としてもしっかりと向き合ってきていますので、以下の記述(p.13)は肯定できるものと言えます。

文部科学省では 学校における働き方改革を強力に推進するため文部科学大臣を本部長とする「学校における働き方改革推進本部」を設置し 文部科学省が今後取り組むべき事項について工程表を作成し勤務時間管理の徹底や学校及び教師が担う業務の明確化・適正化,教職員定数の改善充実,専門スタッフや外部人材の配置拡充など,学校における働き方改革の推進に取り組んでいる。

地域や学外者との連携・協力が出来ているのはほんの一握り

しかし、現在の「学校」が抱えている問題は、「働き方改革」を進めることで解消できるようなものだけではありません。「中間まとめ」でも、教員の長時間労働以外にも様々な課題があることを、「(3) 変化する社会の中で 我が国の学校教育が直面している課題」として5ページ目から7ページにわたって縷々書き出しています。

そして、これらの課題を克服する具体的な方策として、「4.「令和の日本型学校教育」を構築する今後の方向性」では、「・・が必要である。」「・・が求められる。」「・・すべきである。」「・・が重要である。」などで締めくくられる項目が18ページ目からやはり7ページにわたって列挙されています。そこには次のような項目も掲げられています。

○また,コミュニティ・スクール 学校運営協議会制度の設置が努力義務であることを踏まえ,また,地域学校協働本部の整備により,保護者や地域住民等の学校運営への参加・参画を得ながら学校運営を行う体制の構築を図り,地域全体で子供たちの成長を支えていく環境を整えていくことが必要である。

○その他学校が家庭や地域社会と連携することで,社会とつながる協働的な学びを実現するとともに,働き方改革の観点からも,保護者やPTA,地域住民,児童相談所等の福祉機関,NPO,地域スポーツクラブ,図書館・公民館等の社会教育施設など地域の関係機関と学校との連携・協働を進め,学校・家庭・地域の役割分担を文部科学省が前面に立って強力に推進することで 多様性のあるチームによる学校とし,「自立」した学校実現する ことが必要である 。

さいわい私が関与している学校の場合は、優れた管理職の下で地域との連携や様々な学外者との協力関係の構築が比較的うまく進んでいます。しかし、上記のような連携・協力関係が実現できている学校はほんの一握りでしかありません。

そもそも、国民国家に忠実に奉仕する人材を大量に供給することを目的として成立した国民国家型の教育システムの下で成立した様々な仕組みを温存したまま、学校教育が新たな持続可能な社会の創り手を育むという重大な目標を達成することは可能なのでしょうか。

理想の実現には「学校教育」のシステムの根本的な変革が必要

知育、徳育、体育を一体として捉え、全人教育を追究する姿勢を維持しようという理想は間違っていないと思います。しかし、150年前と現在とでは社会が大きく変わっており、今後さらに急速に変わっていきます。また学校教育の目的も変わっています。そのような中で理想を維持していくには、学校という仕組みを根本的に変えなければ無理な話です。学校教育のシステムをすっかり変える「変革(transformation )」は不可欠です。それにもかかわらず、「中間まとめ」は次のように述べています(p.17)。

このためには「我が国の学校教育の在り方を根本から見直さなければならないのか」 という疑問が生まれ得るが,そうではない。むしろ,(中略)明治から続く我が国の学校教育の蓄積である「日本型学校教育」の良さを受け継ぎながら更に発展させ,学校における働き方改革とGIGA スクール構想を強力に推進しながら,新学習指導要領を着実に実施することが必要である。(この部分の記述は、「答申」では削除されました。2021年2月に追記)

教員の働き方改革とAIを駆使するGIGA スクール構想で乗り切れると言わんばかりの述べ方です。実際には、「中間まとめ」では、すでに言及してきたように外部人材の活用や地域との連携の重要性を指摘しており、その一層の推進が求められることを強調しています。しかし、「学校教育の在り方を根本から見直さなければならない」という厳しい決意なしに、「中間まとめ」が描く理想を追求していくことは、ひずみを拡大するばかりで、とんでもない「学校」を生み出していくことになりかねません。「無理を通せば道理が引っ込む」と言わんばかりの「・・が必要である。」「・・が求められる。」「・・すべきである。」が羅列された政策は持続可能ではなく、さらなる混乱を引き起こすことになります。

「学校教育の在り方を根本から見直す」方向に早く舵を切り替えてほしいものです。

2020年10月19日

北杜市と関係人口

「交流人口」とも違う「関係人口」

 「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉です。多くの地方都市では、人口減少・高齢化により、地域づくりの担い手不足という課題に直面しています。しかし他方で、地域によっては若者を中心に、変化を生み出す人材が地域に入り始めています。地域外に住みながら、地域に度々やってくる「関係人口」は、地域づくりの担い手となることが期待されています。

https://www.soumu.go.jp/kankeijinkou/about/index.html

総務省や国土交通省は、関係人口の創出や拡大に向けて、様々な取り組みをしています。関係人口と地域との協働に取り組む地方公共団体のモデル事業への支援もその一つです。そして全国に向けた情報発信・情報共有により、こうした取り組みをさらに深化させています(参照:令和2年度関係人口創出・拡大事業)。

関係人口拡大は喫緊の課題であり避けて通れないテーマです。とは言っても国土交通省の資料によると、全国の地方都市は、関係人口拡大はまだまだ容易ではありません。なぜなら、地域との関わり度合いに応じて課題が異なるため、それぞれの段階に応じた対応の整理が必要だからです。

https://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/content/001352979.pdf

山梨県や北杜市と「関係人口」

人口減少や高齢化の進行が著しい山梨県においても「関係人口」を増やそうという努力が見られます。「ふるさと山梨に貢献したい」、「山梨に元気になってもらいたい」、「山梨をもっと知りたい」という想いを持っている、山梨県人会の会員や山梨県にゆかりのある都市在住者、あるいは山梨県ファンで年に何回もやってくる人々は少なくありません。そのような人々の想いを具現化するため、まずは、 地域とつながる機会・きっかけを提供することで「ふるさと未来投資家」になってもらい、 ふるさと納税をはじめとする多様な関わりで地域と継続的につながる仕組みを構築するといったものです(参照:“REBIRTH”「ふるさとやまなし」プロジェクト)。

そんな中、北杜市は幸い「地方回帰の動き(三大都市圏からの転入超過回数)」が高い数値を示しており、客観的にいって関係人口拡大に向けて良好な環境である都市だといえます。

https://www.mlit.go.jp/common/001256022.pdf

北杜市が更なる発展を求めた地域づくりを進めていくためには、地域の主体性を前提としつつも、外部アクターとの連携を強調する「新しい内発的発展」を実現していく必要があります。その外部アクターの一例として関係人口が想定され、意欲の高い地域住民と関係人口が共通の価値観でつながる新たなコミュニティを形成しつつ、連携・協働しながら地域づくりに取り組んでいくことが重要となるわけです。

北杜市民と関係人口が連携・協働するにあたっては、北杜市側が目指すべき方向性を明確化し、関係人口とどのように連携・協働していくのかについて、予め北杜市側で話し合いをしておくことが必要なのではないかと思います。

人口の減少、特に若年人口の減少は学校の統廃合などを引き起こしますが、逆に、地域の教育の魅力が向上すれば、その地域に子育て世代を呼び込むことにもつながります。地域の教育の魅力化と地域の活性化を重視している八ヶ岳SDGsスクールの活動に「関係人口」の拡大を意識したものを取り入れるといいのでなないでしょうか。

https://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/content/001352979.pdf

2020年10月4日

「人類史の潮流を変えはじめたSDGs」

甲府市倫理法人会の経営者モーニングセミナー

9月30日の早朝、甲府市倫理法人会の経営者モーニングセミナーにおいて、「人類史の潮流を変えはじめたSDGs」というテーマで約40分間話をしました。

参加者は30人弱でしたが、会場は甲府市商工会議所の5階大会議室。コロナを配慮して大きな会場に分散して着席するよう配慮されていました。演台には中秋の名月をあしらった花が生けられ、その下には紅色のカラスウリが4個。季節感たっぷりの環境を準備されていました。さすがに倫理法人会の皆様、終始姿勢正しく、集中して聞いていただき、気持ちよく話をすることができました。

SDGsの現状と課題

話の前半では、SDGsの概略の説明で、目標1から目標17までのすべてについて、近年の推移を示すグラフや図を付したスライドを使って説明しました。そのうえで、SDGsの現状と課題として、

1.社会的な状況は、大きく改善されている。MDGs(ミレニアム開発目標:2001~2015)により、途上国での改善は著しい。

2.経済的な状況は、予断を許さない。格差は着実に拡大しており、AIの進展による労働環境の変化が幸せをもたらすかどうかは不透明。

3.生態的な環境は、一層悪化している。地球温暖化や生物多様性の減少は深刻な事態にあるが、事態を好転させる動きは不十分。

4.平和や公正に向けた取り組みや、様々なパートナーシップは着実に進展している。

とまとめてみました。

下のスライドは、目標11「住み続けられるまちづくりを」の説明で用いた図です。社会インフラの老朽化が進む図を示しながら、人口減少社会に入った日本では、新たな利便を求める公共事業からの勇気ある撤退も、SDGsに貢献することであると述べました。

人類史の潮流の変化に主体的参画を

後半では、以下の3つの事例を紹介し、そこからの類推として、下のスライドを用いて、利便・欲望・利益追求と中央主権・大都市集中に向かっていた人類史の潮流が、社会や環境を重視し、地方への分権や還流へと大きく変化し始めており、そこには「SDGsの理念」や「SDGsの価値観」の広がりが大きな影響を及ぼしていると述べました。

①経済界では、これまでの利益一辺倒から「社会や環境が正常に機能してこその経済活動」と認識をかえはじめており、その背後には環境、社会、企業管理を重視する企業に限定して投資するESG投資が拡大している。

②コロナ禍の中で中央政府より地方自治体の存在感が増している例挙げながら、特に「SDGs未来都市」のプレゼンテーションを見ていると、地方自治体が中心となって地方創生に向けて積極的に取り組み始めている。

③学校教育においても、文部科学省が学校以外の様々な機関や団体が、子どもたちをアクティブラーナーに育てるという将来構想を描いているが、個々の学校ではそれを先取りした実践が試みられており、杉並区立西田小学校の「NISHITA未来の学校」では、大人と子どもが同じ立場で発表・質疑・応答をする双方向の学びが展開されていた。

そして、最後に「これからのSDGs時代にあっては自ら参画すること、そして周りの人たちに参画を促すことが、持続可能な社会を構築するためには最も重要なのではないか」と述べて締めくくりました。

モーニングセミナー終了後の朝食会にも招かれましたが、そこではほぼ全員の方から講演に対する好意的な感想をいただきました。また、何人かの方々からは、SDGsの何らかの目標につながる取り組みの実践事例の紹介もありました。

2020年9月19日

「流域治水」への参画とSDGs

荒川下流河川事務所での所内勉強会

9月17日に荒川下流河川事務所での所内勉強会で「SDGsが開く新しい時代」というタイトルで話題提供を行いました。その骨子については、これから何回かに分けて、考えを整理しながら書いていきたいと思っています。

最初に、荒川下流河川事務所での所内勉強会に招かれた経緯を紹介しておきます。荒川下流河川事務所の早川潤所長が、6月に開催された国際フォーラムで、諏訪が『学校3.0×SDGs』に掲載したSDGsの17目標の相互関連性を強調した図(下図)を用いたことを、第3者を介して連絡されてきました。

諏訪が『学校3.0×SDGs』に掲載した
SDGsの17目標の相互関連性を強調した図

そこには国際フォーラムで使用したPPTをPDF化した添付ファイルも付されていました。一方、諏訪の方はそのPPTに描かれていた河川法の3段階の進展に目が止まりました。『学校教育3.0』を刊行して以来、3段階の進展に対してすぐに反応してしまう癖がついていたからでしょう。

日本の河川法の3段階の進展
早川潤氏が国際フォーラムで発表したPPTより

しかしそのシートをよく見ると、1896年に制定された河川法は「洪水」対策に焦点が当てられていたが、1964年の改訂で「水利用」という視点が加わり、さらに1997年の改訂で「環境」保全という視点が加わるという3段階の進展があった、しかし、これからの河川行政ではさらに進展した「流域治水」という観点が不可欠で、そこで重要になってくるのが、SDGsで強調されている様々なステークホルダーの連携であり、「参画」と「統合」である、という指摘でした。


マルチステークホルダーのパートナーシップを伴う流域治水の理解
早川潤氏が国際フォーラムで発表したPPTより

「流域治水」をSDGsという枠組みで捉える早川所長の観点に惹かれるところがあり、お訪ねしてより詳しいお話を伺いたいと申し出たところ、逆に、「河川事務所に来てもらえるなら、所内勉強会でSDGsについての話をしてもらいたい」ということになった次第です。

これまでに依頼された講演等の対象者は、ほとんどが教育関係者でしたが、今回は治水の現場を背負っている方々で、話題提供後の質疑では、現場で直面している課題に関連したものが多く、十分な返答ができなかったと申し訳なく思っています。その分、教育関係者がこれからなすべき課題について多くのことを教えられました。

「流域治水」という現実の課題解決への参画と学び合い

今回どのようなことを教えられたのかを整理すると、以下のようなことです。

これからの治水事業を進めていくには、これまでの「流域関係者の理解・協力」というレベルから、「流域関係者の参画」という新たな展開が求められるようになっている。つまり事業者側が計画を策定し、その実施に対して関係者に理解・協力を仰ぐというこれまでの進め方では不十分で、経済・社会・環境・文化等々の様々な領域にわたる様々な関係者(ステークホルダー)の思いや懸念、知見が統合された「納得解」としての事業計画を策定し、遂行していく必要が生まれている。その「納得解」が導き出されるには、関係者が相互に学び合って理解を深め、そのような過程の中で新たなアイディアが誕生し、そのアイディアの具体化についても関係者とともに検討を重ねていく必要がある。なぜならば、本当に求められている事業を実施し、それが有効に機能するには、計画段階はもとより実施段階においても、事業終了後においても、関係者の「参画」が不可欠だからである。しかし、関係者間の学び合いの場の設定や進め方、さらに「納得解」に到達する道筋がまだ見えていない。また、そのような場を設定して学びを進める際の評価をどのようにすればよいのかも見えてこない。

当日の質疑応答を振り返ってみると、「学校教育や社会教育の世界では、すでに多くの実践に基づく蓄積があるであろう。ぜひ、その成果を自分たちに提供してほしい」という思いからの質問が多くを占めていたように感じています。それらの質問に十分に答えることができなかったことに対する「言い訳がましい」言い訳をすると、以下のようになります。

教育の世界でも、「学び合い」の歴史は浅く、課題解決型の学習も今急速に実践が増えているという状態です。学習者主体の学びを活発にさせるには、教師は従来の指導者という役割に加えてファシリテーターであることが求められる、と言われていますが、どのようなファシリテーションが有効であるかについても、未だ試行錯誤の段階と言えます。「評価」についても、学習者主体の学びでは自己評価が有効だとか、ルーブリック評価は使いやすいけど準備が大変だなどといわれていますが、これだという定説はないように感じています。「評価」という発想自身を否定する考え方もあり、そもそも定説が生まれるのかどうかも定かでありません。

とはいえ、教育界以外での「学び合い」が活発化するSDGs時代。かねてより教育に関わってきたものが、新しい教育方法の進展をしっかりとフォローし整理して、実際の課題に直面している方々の要望に少しでも応えることができるようにしなければ、と強く感じた意義深い所内勉強会でした。

2020年9月14日

「SDGs未来都市」選定の4つのポイント+α

SDGs未来都市」のプラン作りの核心

9月13日に八ヶ岳中腹のサンメドウズ清里スキー場で開催された野外フェス「ハイライフ八ヶ岳」のトークステージでお話しする機会をいただきました。テーマは「北杜市に大学を!」でしたが、前半では、当NPOで構想を膨らませている「SDGs未来都市」にエントリーするためのプラン作りについて話しました。しかし、限られた時間でしたので、その場では「SDGs未来都市に選定されるための4つのポイント+α」については、項目を挙げるにとどめました。今後、「SDGs未来都市」のプランを練り上げる上では重要ですので、少し補足いたします。

どのようなプランを練り上げれば、SDGs未来都市に選定されるのかについては、「2020 年度SDGs未来都市等募集要領」や、「ヒアリングを踏まえた委員のコメント例(令和 2 年度SDGs未来都市選定自治体)」をみると、様々な観点からのプラン作りが求められていることがわかります。それらの中で、「これだけは絶対に外せない」と感じた4つについて、北杜市を例に挙げながら独善的な見解を述べていきたいと思います。

1.その地域が直面している地域固有の課題は何か?

日本のどの地域にも当てはまる「少子高齢化」や「人口減少」に伴う活力低下といった課題もさることながら、その地域ならではの課題を取り上げて、その課題にどのように取り組むのかが問われています。

例えば北杜市には、日照時間の長さを利用して太陽光発電施設の建設をさらに促進すべきか、それとも美しい景観の保全を優先させるべきか、という市民の意見を二分する難題があります。また、年々増加する耕作放棄地対策として、基盤整備整備事業を行って大型農業用ハウスを誘致すべきか、それとも若年人口減少対策として優良田園住宅建設促進法などを活用した移住促進を優先させるべきか、という課題もあります。

2.その地域が2030年にどのような姿になっていることが望ましいか?

つまり、これから10年後にこうなっているといいな、という姿を描き、そのために今からどのような手立てを講じていけば、それを実現できるのか、についてのイメージをしっかりと描く必要があります。将来のある時点から時間を逆にたどることで、現時点でどのような行動に着手すべきかを考えるバックキャスティングという手法です。

北杜市の場合、2020年時点の年少人口(0~14歳)が約3800人。現在の趨勢が続くことを前提とした国立社会保障・人口問題研究所の試算では、2030年には年少人口が2900人弱と約4分の3に減少すると見込まれています。仮に、2030年時点でも、現在の約3800人を維持したい、というのであれば、これからどのような事業を展開すればそれが可能になるかを考えねばなりません。ハイライフ八ヶ岳のトークステージの後半で、私たちのNPOが将来構想として提案した「北杜市に大学を!」は、その一つの解答です。

3.経済・社会・環境の3側面の自律的好循環

SDGsの17の目標は、おおむね経済・社会・環境の3側面に分けて捉えることができます。そして、それらが相乗作用を発揮するように推進することが、世界の持続可能性を確保するうえで極めて重要とされています。同様に地域課題の解決においても経済・社会・環境の3側面からのアプローチが統合されて好循環を生み出すことが求められています。

仮に北杜市が、環境という視点から2030年にCO2排出ゼロという目標を掲げた場合、バイオマスエネルギー施設の設置や水素社会を視野に入れた水素ステーションの開設といった経済的なアプローチが不可欠となります。また、脱化石燃料に向けた消費者サイドでの受け入れ態勢を整えるという社会的なアプローチも不可欠となります。それら3つの側面が統合されて自律的な好循環を生み出すには、非常に綿密なプランを練らなければなりません。

4.多様な組織・団体の連携

1から3で述べたような要求を充足させるプラン作りは、自治体の一つの部署でできることではありません。縦割り意識を払しょくして、各部署が密な連携をする必要があります。また、「SDGs未来都市」の申請主体は自治体ですが、自治体だけでできるものでもありません。企業や商店街、NPO、社会教育施設などの多くの組織や団体の総力を結集して、プラン作りをしなければ、算定されるプランを作り上げることはできません。

実は、この「SDGs未来都市」にエントリーするだけでも、様々な組織や団体の連携・協力関係を強固にするという大きな効果が生まれます。利害の対立する組織や団体同士がプラン作りという共同作業を進める中で互いに対する理解を深め、折り合いをつけるという過程が必ず生じます。このような協同作業こそが、その後の地域にとって大きなプラスになることは言うまでもありません。

選定を決定づける+α

上記の4点は、どれが欠けても選定の対象から外れると断言できる項目です。しかし、これまでに選定された自治体のプレゼンをじっくり見ていると、「ふーん、なるほど、そうきたか」という、斬新で魅力的な+αのアイディアが盛り込まれています。

北杜市がエントリーする際にも、二番煎じでない斬新で魅力的な+αのアイディアを盛り込むことが求められますが、それは一体何でしょうか。

すぐに思い浮かんだのが「子どもたちの参画」です。

ロジャー・ハートの『子どもの参画』からのパクリであることは、率直に認めなければなりません。しかし、これまでに選定された自治体のどのプレゼンをみても、プランニング段階や事業遂行段階で「未来都市」の主役である子どもたちが登場しているものはほとんどありません。

北杜市のエントリーに当たっての斬新で魅力的な+αは「子どもたちの参画」で決まりです。

「子どもたちの参画」が斬新で魅力的な+αになりうる理由はいくつかあります。まず、子どもたちといえども大人たちに負けないほどの斬新で柔軟なアイディアを発信できるからです。2030年やそれ以降の生態系や社会の持続可能性は、まさに自分たちの問題ですので、プランニングにおいても事業の遂行においても真剣に取り組みます。2番目の理由は、大人たちもいつも目の前に「未来都市」の主役である子どもたちがいれば、本気になって子どもたちのためにもいい町を作らなければと思うからです。子どもたちが見つめていれば、みっともない利権争いを繰り広げて足を引っ張り合うようなことはなくなるはずです。

「秘密兵器のはずの斬新で魅力的な+αを事前にホームページで公開してしまっては、秘密兵器にならないよ」「ほかの自治体も真似するじゃない」というご心配は無用。北杜市が「SDGs未来都市」に選定されるよりも、選定される5番目の必要条件として「子どもたちの参画」が位置づけられることの方がはるかに重要だからです。

2020年9月6日

未来の学校とは

皆さんは「未来の学校」はどんな姿だと思っているでしょうか?

ひょっとすると、文科省では皆さんが考えているよりももっと大胆な構想を描いているのかもしれません。昨年の8月に学習院大学で日本教育学会第78回大会が開催された際に、「持続可能な社会と教育」というシンポジウムに合田哲雄氏(現在:文科省科学技術・学術総括官)を招き、今後の学校教育について語っていただきました。合田氏は新学習指導要領の取り纏め責任者だった方です。そのシンポジウムで合田氏が今後の学校教育の方向性として挙げたのが、これまで以上に学年や教科といった垣根が相対的に低くなるということ、と、学校がすべての知識を持っていて独占的に子供たちを教育するのではなくて、大学や研究機関、図書館、NPOなど様々な機関が、子供をアクティブ・ラーナーにするために連携する、という二つのポイントでした。

少し前置きが長くなりましたが、8月4日に東京市ヶ谷の私学会館で教育調査研究所主催の教育展望WEBセミナーの収録が行われました。そこで約30分間、これからの学校教育においてSDGsがますます重視されることを話しました。また、とりわけ注目できる実践事例として紹介したのが、昨年のESD大賞の小学校賞を受賞した杉並区立西田小学校で2月に開催した「NISHITA未来の学校」です。そこでは下の写真のように、体育館でポスターセッションが行われたのですが、大人も子どもも同じ立場で発表し、質問していました。

文科省が未来の学校の在り方として描いたのは「様々な機関が、子供をアクティブ・ラーナーにする」という子どもたちに向かう一方通行の矢印でしたが、「NISHITA未来の学校」で展開されたのは双方通行であったことを、下の図で示しました。

また、参加者からの質問への回答として、これからの学校教育では、「〇〇を教育する」「△△を指導する」「□□を育成する」「☆☆を評価する」といった「他動詞の世界」に替わって「自動詞の世界」の拡大が求められることを述べました。なお、同セミナーの私が参加したセッションについては、教育ジャーナリストの渡辺敦司氏が教育情報誌『内外教育』で1ページ余りのスペースで概要を紹介しています。

2020年9月6日

小規模分散型低学費大学設置の必要性

日本の大学は大都市圏、特に首都圏に集中しています。そのため、高校卒業・大学進学を機に地方から首都圏に大量の若者が移動する現象がずっと続いてきました。「地方の活力を維持していくには、この流れを断ち切らねばならない。そのためにも、地方に魅力的な大学を作る必要がある」と考える仲間が、かねてより「アクティブ・ラーニング研究会@学習院」という内輪の研究会で構想を膨らませてきたのが「小規模分散型低学費大学」です。

去る6月21日に、同研究会の代表でもある諏訪が、環境自治体会議WEB講演会で約1時間、大学の地方への分散が求められていること、その場合も、定年退職者や半農半Xの移住者などの多様な人材を活用することで低学費に抑えるべきことを熱く語りました。「小規模分散型低学費大学」を八ヶ岳山麓に開設することは、NPO法人八ヶ岳SDGsスクールの将来構想の一つでもあります。さいわい、いくつかの地域でも同じように地域課題解決型の大学を作ろうという動きが生まれており、「設立後はインターネットを通して授業を共有しましょう」とか、「互いの大学を訪問して、自由に受講し、単位も取得できるようにしましょう」というような大学間のネットワーク構想も生まれています。なお、環境自治体会議は、その後他の団体と合流し、「持続可能な地域創成ネットワーク」と改称しており、10月11日、12日に開催予定の同ネットワークの設立記念大会でも、グループセッションで「小規模分散型低学費大学」のカリキュラム構想について意見を交わす予定です。同ネットワークには、地方自治体の首長も30名ほど参加しており、「小規模分散型低学費大学」が実際に誕生する可能性が広がってきました。

下の2つの図は、6月21日のWEB講演会で使用したPPTの一部です。

2020年9月6日

北杜市に大学を!

八ヶ岳山麓に移り住んで20年余り。

風光明媚で水も空気も最高。周りの山々が台風や集中豪雨の直撃を防いでくれており、満足しきった日々を過ごしている。

こんな素晴らしい地域であるにも関わらず、人口は徐々に減少している。北杜市の場合、このまま推移すると、2040年には2000年比で人口は3割減、高齢化率は倍増して50%を超えると予測されている。

「いやあ、東京一極集中で、地方はどこでもそうですよ」と諦めきった声も聴かれるが、適切な対応をしていけば、この趨勢は変えることができる(と信じている)。

過疎先進県と言われた島根県では、いち早く若者世代を呼び込む地域魅力化政策に取り組んだ。その結果、若者世代の移住と高出生率で近々人口増に転ずると見込まれる町村が相当数になっている。

地域の特性に応じた適切な対応をすれば、いつまでも活力のある魅力的な地域であり続けるようにすることは可能である。

では、北杜市の場合の適切な対応とはいったい何だろうか?

その答えが「北杜市に大学を!」である。

「北杜市に大学を!」についての私の皮算用を問答形式にすると以下のようになる。

問「これからの学齢人口が減少する時代に、地方に大学を作って学生が集まるのですか?」

答「授業料を国立大学の半分以下の低学費大学にして、魅力的なカリキュラムを準備すれば学生は集まってきます。」

問「低学費でどうやって大学を運営できるのですか?」

答「大学の運営費用の3分の2は、人件費支出です。人件費を圧縮しなければ低学費にはできません。北杜市には元気の有り余っているインテリ・リタイア層が多数います。「超低年俸、ただし新たな生きがいを見つけることができますよ」とその人たちに再登板してもらえば、人件費は大幅に圧縮できます。また、半農半Xという若年層も多数いますが、その半Xの一つとして、大学運営にも協力してもらえればと思っています。もうひとつがMOOCs、つまり大規模無償オンライン講義の利用。MOOCsはアメリカで急増していますが、日本でもコロナ禍で大学の遠隔授業が急増しつつありますが、やがて質の高いMOOCsが利用可能になるはずです。人件費に次ぐ支出で大きいのが校地校舎ですが、自前の校地校舎を持たず、公共施設を徹底的に活用するようにします。」

問「魅力的なカリキュラムとは具体的にはどんなものですか?」

答「一言でいうと、徹底的にアクティブな、つまり受け身でない能動的な学びで構成されたカリキュラムです。詳しい説明は省略しますが、下の図に示したように、PBL、フィールドワーク、簡略版ABD(注参照)、MOOCsの4つを柱とし、問題解決能力と社会人基礎力と思慮深さを育みます。いずれにおいても「対話」を徹底させることで、学生は驚くほど成長していきます。問題解決能力と社会人基礎力と思慮深さを身に着けていれば、卒業後の就職も心配いりません。」

今日の大学の大部分は古い慣習や制度をひきずっている。73年も前にできた大学設置基準という規制でがんじがらめになってしまっている。その結果、学生に持続可能な社会の構築を担うべき力をつけることなく社会に送り出している。

未来の社会を先取りした、持続可能な社会の創り手を育む高等教育システムの確立は急務で、北杜市という地域の特性は、その成功事例を作るのに最適である。

課題解決能力養成に主力を置いた大学を設けることこそ、北杜市がいつまでも活力のある魅力的な地域であり続けるためにまず着手すべきことと確信している。

(注)ABD(アクティブ・ブック・ダイアローグ)は、1冊の本を分断してグループのメンバーに割り当て、各人が自分の担当部分の要旨を発表し、その後対話を通して理解を深める短時間読書法。簡略版ABDは、さらなる時間短縮のために1冊の本そのものではなく、本の要約版を用いるもので、日本環境教育フォーラム主催の教員免許更新講習で実証実験済み。読書離れの著しい現代の学生が、先哲の様々な知恵に触れ、思慮深さや社会人基礎力を育む極めて有効な方法である。

2020年8月15日

「SDGs時代」って何?

教員免許更新講習と「SDGs時代」

『SDGs時代の教育』、『SDGs時代のパートナーシップ』『SDGs時代の平和学』などの書名にもあるように、「SDGs時代」という言い方が広がっている。と、他人ごとのように書いたが、筆者自身、今春の教員免許更新講習でも、またこの夏の免許更新講習でも、「SDGs時代の学校教育」という1時間半ほどのセッションを担当している。

「SDGs時代」を冠した 最近の出版物

内容は、新学習指導要領のキーフレーズである「持続可能な社会の創り手」を軸に、ESD(持続可能な開発のための教育)からSDGs(持続可能な開発目標)への展開や、学校でSDGsに取り組んだ先進的な実践事例について解説・紹介するとともに、アクティビティを交えて学びを深めてもらうというものである。そのセッション全体を通して受講者に伝えたい事柄を一言でいうと、「“SDGs時代の学校教育”となるのかな」と、軽い気持ちでこのセッション名を主催者に提示し、そのままプログラムに掲載されることとなった。

受講者に学習院大学のキャンパスに集まってもらって対面で実施できた春の研修では、受講者の様子を伺いながら、あるいは受講者からの質問に応じて補足的な説明が可能であった。しかし、この夏の免許更新講習はオンラインで行うことになったため、受講生が疑問に感じそうなところをあらかじめ丁寧に説明するようにしておこうと、使用するパワーポイントも充実を図ることにした。そこですぐに充実すべき対象として浮上したのが、本エッセーのタイトル“「SDGs時代」って何?”であった。

SDGsの理念が示唆する重要な分岐点となる時代

SDGs(持続可能な開発目標)は、2015国連持続可能な開発サミットで採択された 「我々の世界を変革する 持続可能な開発ための 2030アジェンダ」に盛り込まれた17の目標と169のターゲットを指す。しかし、SDGsを語ろうとした場合、「2030アジェンダ」の前文や本文に記述された理念を抜きに語ることはできない。

「2030アジェンダ」の前文の最初のパラグラフで、「貧困を撲滅することが最大の地球規模の課題であり、持続可能な開発のための不可欠な必要条件であると認識する。(外務省仮訳)」と明確に記述し、「貧困の撲滅」が「持続可能な開発の必要条件」という認識を示している。また、第2パラグラフの末尾では、「誰一人取り残さないことを誓う」と述べて、落伍者を生み出す競争社会や、自分さえよければよいという考え方との決別を表明している。そして、それを実現するには「我々の世界を変革する」必要があることをアジェンダの冒頭に掲げて訴えている。SDGsの17の目標と169のターゲットは、何を取り上げて、どのような手段で我々の世界を変革すべきかについての具体的な提案とみることができる。

この高邁とも思われがちな理念を掲げた背景には、社会的・生態的な持続可能性の危機が、もはや猶予のならない段階にまで来ているという認識に基づいている。つまり、「SDGs時代」とは、社会的・生態的な持続可能性の危機という、人類が直面する課題に対して、あらゆる国家、あらゆる組織、あらゆる人々が協力してその解決に取り組むことが求められている時代であり、実際に取り組みが進んでいる時代ということができよう。

我々の世界を変革して、持続可能な社会を構築できるのか、それとも、自己の利益を主張し続けて争いに明け暮れたり、直面する課題解決の行動に着手せずに無為な時間を過ごしたりすることで、取り返しのつかない事態になってしまうのか。その分かれ道に差し掛かっている時代と捉えることもできる。

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