学校教育とSDGs

2021年1月27日

『教育展望』2021年1・2月合併号

『教育展望』2021年1・2月合併号の新春座談会

一般財団法人教育調査研究所が発行している『教育展望』の2021年1・2月合併号が刊行されました。今回の合併号は全64ページのうち38ページ分が「新春座談会 WITHコロナ時代の教育の方向性」に当てられています。この座談会について「あとがき」で「教育の将来を見据えた大変深い議論が展開されています。新春号にふさわしいものであるかと思います。」と書かれていますが、決して編集者の「我田引水」ではない、本当に素晴らしい議論がなされています。

名古屋大学名誉教授の安彦忠彦氏、京都大学大学院教育学研究科准教授の石井英真氏、文科省初中局教育課程企画室長の板倉寛氏、そしてコーディネーター役の教育調査研究所の寺崎千秋氏の4人の座談会で、それぞれが率直に、今後の日本の学校教育の在り方に対する示唆に富んだ発言をしています。特に、石井英真氏の「分断」、「縦軸と横軸」「未来の学校」についての発言は、筆者の最近の関心事と重なる部分があり、深く納得しながら読み進めることができました。石井氏の発言を数か所抜粋し、以下に転記します。

・・現代の世界的な問題の一つが分断の進行です。(中略)検索サイトや通販サイトのように、ネット上で知らず知らずのうちに、個々人の嗜好に応じて情報がレコメンドされていますから、見えている世界が違ってきてしまっているのですね。(中略)信念の違いが依拠する情報リソースの違いを生み出していて、それをレコメンドシステムや個別のマッチングシステムが増強しているという、見えている現実の風景の分断をどんどん進めているというのが現状だと思います。(中略)社会全体の分断が進んでいきますし、先生方の中でも分断が進んで、世代間での分断、学校の中での教職員間の考え方の違いによる分断、さらには、階層間格差も反映しながら、類似の生活背景や価値観をもつ者が選択的に集うことによっても加速する、学校間の分断にもつながっていく。」(p.13-14)

すでに多くの人が意識していると思いますが、自分の検索した事柄に関連した広告や、検索事項に好都合な情報が次々と現れてくるネット社会が、学校教育においても「分断」を助長しているという指摘は、しっかりと受け止めて対応をする必要があります。

今まさに学校が社会的分断の装置となっていないか注意が必要です。社会的分断の装置としての学校ではなく、それを是正していく、逆に、社会的な統合とか信頼を積極的に作っていくこと、公共性を構築していくことを立脚点として、公教育、学校の制度設計をしていくのが大事ではないかと思います。

そういう観点でみたときに、「個別最適化」について、孤立化や個別分化に至るかどうかが重要です。(中略)「令和の日本型学校教育」の中でも「個別最適な学び」の関係で、「指導の個別化と学習の個性化」という対概念が用いられていますが、本質は、指導か学習かということではなく、縦軸か横軸かということなんです。縦軸方向で、個の多様性を伸長するという方向性で、横軸でスキルを伸ばしていく、あるいは速い遅いといった垂直的個人差でみていくか。そうではなく、横軸で、多様性を尊重するという発想で、水平的な価値観で、その子一人一人のまるごとのよさを見ていくか。つまり、「伸長」とは伸ばしていくということなので際限のない序列化にもつながりかねませんが、「尊重」というのはそれぞれのかけがえのなさを認めていくということで、そちらのほうが個を生かしていくということになっていくと思うんです。」(p.17-18)

日本においては、垂直的な序列化や水平的な画一化とか一斉画一は強まっているけれど、水平的な多様性が弱い。自力主義と同調圧力がゆえにそうなってきたと私は考える私は考えるわけですけど、(中略)日本社会において、社会全体としても学校としても水平的な多様性を意識的に作っていくことが、生きやすい社会にしていくうえで重要だという現所鵜認識があります。」(p.30)

「縦軸か横軸か」は、まさに前回アップした中根千枝氏の「タテ社会」と「ヨコ社会」に通じる観点で、「多様性を尊重する」「水平的な価値観」をもたらすという意味の縦軸がいよいよ重要になると思われます。

日本の学校はよい意味でも悪い意味でも「共同体としての学校」であって、そこでは個人を析出する点、自立した個を生み出す点において弱さがあったと思うのです。個を育てると追う点でも本丸はどこかとうと、水平的多様性であり、多様化をどう捉えどう進めていくか、この点が一番のポイントになってくるだろうと思います。(中略)生きやすい日本の学校、成熟した日本社会の在り方を展望する学校こそが、真に目ざすべき本来の意味での未来の学校であろうと思います。」(p.30-31)

石井英真氏は、2020年9月に『未来の学校 ポスト・コロナの公教育のリデザイン』(日本標準)を刊行しており、その第5章「「日本の学校」の新しい形へ」で、日本の公立学校が今後目指すべき姿について、「インクルーシブで真正な学び」というビジョンを提示しています。そのビジョンに「全面的同意!」というわけではありませんが、学校教育関係者には本号の座談会と共に、是非一読してほしいきめ細かい観点が示されています。

「学校教育に自動詞の拡大を」

内容の濃い新春座談会のあとに紹介するのは、相当勇気が必要なのですが、同じ『教育展望』1・2月合併号に、筆者が寄稿した「提言」が掲載されましたので、その画像を以下に添付します。

2021年1月23日

「タテ社会」とSDGsの学び

中根千枝氏の『タテ社会の人間関係』

昨年末の特別講演会の朝に多田孝志先生からメールが届き、その一部を講演会の登壇者討論で紹介したことは、12月24日のこの欄に寄稿した「「所有の文化」と「共有の社会」、そしてSDGs」に書きました。そのメールに書かれていた中根千枝著『タテ社会の人間関係』(1967年、講談社現代新書)について、特に「タテ社会」と「ヨコ社会」の構造の違いを示すために挿入されている図を取り上げて、SDGsとの関係を考えていきたいと思います。

手元にある1973年版の表紙には、「日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。「単一社会の理論」によりその本質をとらえロングセラーを続ける。」と書かれています。また、多田先生はメールの中で「本著(『タテ社会の現代社会』)には『タテ社会の人間関係』(1967)以降、50余年たっても日本の社会の基調は変わっていないとの鋭い指摘が記されています。日本の社会、学校教育の根本を問い直し、多文化共存の新たな時代に向けて拓いていくことは緊要の課題と考えます。」と述べています。今なお、派閥政治や縦割り行政が一向に改善されない日本の姿は、これからの本格的な多文化共生社会の到来を考えると、憂慮せざるをえません。講演会の登壇者討論では、環境省の「地域循環共生圏」構想のように、縦割り行政を打破しようという動きがあることを紹介しましたが、多田先生のご指摘は、残念ながらその通りと肯定せざるをえません。

2019年に刊行された『タテ社会の現代社会』でも、『タテ社会の人間関係』のもとになった「日本的社会構造の発見―単一社会の理論―」(『中央公論』1964年5月号)が付録として掲載されていますが、『タテ社会の人間関係』の方が丁寧にわかりやすく説明されています。

ここで、その内容の詳細は紹介しませんが、なぜ、「タテ社会」という日本的な社会構造が生まれたのかについて、「おわりに」で以下のように述べています。

日本社会の場合、この(=「タテ社会」を作った)条件を支えている一つの大きな特色が存在する。それはいうまでもなく、社会の「単一性」である。現在、世界で一つの国(すなわち「社会」)として、これほど強い単一性をもっている例は、ちょっとないのではないかと思われる。(中略)日本列島は圧倒的多数の同一民族によって占められ、基本的な文化を共有してきたことが明白である。(中略)この日本列島における基本的文化の共通性は、とくに江戸時代以降の中央集権的政治権力に基づく行政網の発達によって、いやが上にも助長され、強い社会的単一性が形成されてきたのである。さらに近代における徹底した学校教育の普及が人口の単一化に一層貢献し、とくに戦時の挙国一致体制、そして、戦後の民主主義、経済の発展は、中間層の増大拡大という形をとりながら、ますます日本社会の単一性を推進させてきたものといえよう。(p.187-188)

「タテ社会」と「ヨコ社会」の構造の対比図

中根氏は、「タテ社会」と「ヨコ社会」の構造の違いを、以下の2つの図を用いて説明しています。(p.114-115)

両集団とも同じ一定数の個人からなっている仮定で、その数を抽象したa・b・cの三点によって示すと第1図のようになる。すなわち、Yにおいては三点の関係が三角形を構成するのに対して、Xにおいては、底辺のない三角関係となる。

さらに、この両者の構成を複雑にすると第2図のようになり、その違いは一層明らかになるであろう。この両者の構造の違いは、第一に、Xの成員はaを頂点としてのみ全員がつながっているのに対して、Yにおいては、すべての成員が互いにつながっていること。第二にXの構造は常に外に向かって開放されているのに対して、Yは封鎖されている。

すなわち、もしここに新たにhというものがはいってくる場合、Xにおいては、理論的にa・b・c・d・e・f・gのどれか一つにつながることによっての成員たりうる。しかるに、Yにおいては、hの参加は全成員に影響する。(p.114-115)

この文中の「ヨコ社会」の構造の説明にある「すべての成員が互いにつながっている」を生かしてより正確に図化すると、第2図の右側の七角形は以下のように書き表すべきでしょう。

そして、抽象した点の数をさらに増やして17にすると、以下のような「ヨコ社会」の構造図を描くことができます。

SDGsの構造は「ヨコ社会」型?

さて、拙著『学校3.0×SDGs』をお読みいただいた方、あるいはこのコーナーの「「流域治水」への参画とSDGs」を目にされた方の中には、ここまでの記述で、筆者がこのあとどのようにこじつけようとしているかを見破った方がいるかもしれませんが、気にせずに書き進めます。

17の目標からなるSDGsについては、17のロゴを3段に並べた以下の図が最も基本的なものです。

それに対し、健全な生物圏があってこそ健全な社会が成立し、健全な社会があってこそ健全な経済活動がなされ、それら3領域にわたる目標全体がパートナーシップによって実現されることを描いた下の図も時々見かけます。

しかし、SDGsのきわめて重要な点は、「2030アジェンダ」の前文の最終段落に書かれている「持続可能な開発目標の相互関連性及び統合された性質」にあることから、筆者は『学校3.0×SDGs』において、以下の図を提示しました。

つまり、SDGsの17の目標間のつながりは、中根氏が「ヨコ社会」の構造として示したものと一致しています。もちろん、「ヨコ社会」の場合は「人々」の間の構造であるのに対して、上の図は、SDGsの17の目標という「事柄」の間の構造であって、一律に論じるべきものではありません。しかし、「ヨコ社会」において新たな成員の参加が「全成員に影響する」のと同様に、SDGsの場合も、一つの目標への働きかけがほかのすべての目標に影響が及びます。

「タテ社会」型の教科の構造とこれからの教員に求められる「ヨコ社会」型思考

150年間にわたって日本の学校教育の基本とされてきた教科の構造は、まさに第2図のXと同じ構造です。例えば小学校の場合、学習内容の全体が実技系教科と非実技系教科に分かれ、実技系教科は音楽、図画工作の芸術系教科と体育、家庭の非芸術系教科に分かれ、非実技系教科は文系の国語、社会と理系の算数、理科に分かれ、という「タテ社会」と同じ枝分かれ構造で、それぞれが多角形の頂点に位置するわけではありません。(比較的最近誕生した「生活科」と「外国語」の位置づけはやや微妙です。)

そして、注目したい点は、全科担当を原則とする小学校教員の養成段階でも、例えば東京学芸大学の初等教育教員養成課程では、国語選修、社会選修、数学選修、理科選修、音楽選修、美術選修、保健体育選修、家庭選修等々と、それぞれの専門性を深める仕組みが導入されている点です。つまり、単に教科が「タテ社会」と同じ構造であるだけでなく、教員も専門とする教科によって「タテ社会」に組み込まれる仕組みとなっています。そして、間もなく発表される「令和の日本型学校教育」答申で、小学校に教科担任制が導入されることで、小学校教員の「タテ社会」化は一層強まると想像できます。教科単位の教員免許制度となっている中学校や高等学校の教員の場合、どっぷりと「タテ社会」に組み込まれる構造となっていることは、言うまでもありません。

しかし、多田先生が危惧されているように、やがて到来する多文化共生社会にあっては、「ウチ」の者を重視し、「ソト」の者を差別したり排除しがちな「タテ社会」的な思考は大きな妨げとなります。特に、未来の社会を支える子どもたちを指導する教員にとって、「タテ社会」の単一集団にどっぷりつかっていることは適当ではありません。しかし、60年以上前に中根氏が指摘した「タテ社会」の構造が、今もなお、いたって健在であることは、日本の国内で日々を過ごしている限り、「タテ社会」的な思考から抜け出すことが困難であることを示しています。意識的にみずから何らかの取り組みをしない限り変われないと言えるかもしれません。

では、どうすればよいのでしょうか。あくまでも読者が「タテ社会」的な思考が強い教員という前提でのことですが、そこから抜け出すのに有効であろうと感じている2つの「推し」(使い方、まちがっているかな?)を書きたいと思います。

一つは、学校以外の活動に積極的に参加することです。特にぜひ勧めたいのが、NPOの活動への参加です。市民レベルでの国際交流を進めているNPO、環境問題に取り組んでいるNPO、子どもたちの貧困や学習支援に取り組んでいるNPO、地域の活性化に取り組んでいるNPO、安全な「食」と「農」を目指しているNPO、障がい者の支援を行っているNPO、音楽などの芸術活動の振興をサポートしているNPO、伝統文化の継承に取り組んでいるNPO等々。日本財団は、「NPOなどの公益活動を実施している団体に関する全国規模のデータベース」をネット上で公開していますが、そこに情報提供されているだけでも8000以上があがっています。多種多様なNPOが存在しているので、自分にフィットするNPOも見つかるはずです。NPOは何らかの目的を持って活動しているので、その目的に深く関心を寄せているという点では同じ思いを抱いている人たちの集団でかもしれません。しかも、自分の会社や自分の学校から一歩離れた立場で集まってきていることが多く、多様性に富む傾向があります。日常生活の大部分を過ごす学校から離れて、多様な人々が集まる場で活動することで、社会の様々な側面を知ることもできますし、学校以外の世の中の様々な仕組みを知ることもできます。

もう一つは、授業の中に極力「SDGsの学び」を取り入れることです。「SDGsの学び」については、別途詳しく書きたいと思っていますが、まずは、授業の中にSDGsの17の目標のいずれかを取り入れてみるとよいでしょう。前述のように、SDGsの17の目標は相互に関連しているので、一つの目標を取り上げると必然的に他のいくつかの目標にも話題が及ぶことになります。ある教科のねらいに沿った授業を進めるつもりであっても、いつしか子どもたちとともに、特定の教科の枠を超えた世界に足を踏み出しているはずです。

最初の方で触れた環境省の「地域循環共生圏」構想は、環境省のホームページ(下図の上参照)に書かれているように、「地域でのSDGsの実践(ローカルSDGs)を目指すもの」です。ローカルSDGsを目指した結果、「タテ社会」を象徴する「縦割り行政」を軽々と乗り越える構想(下図の下:環境省の原図に加筆)になっています。同様に、授業の中に「SDGsの学び」を取り入れると、いつの間にか「タテ社会」的な思考から抜け出しているはずです。

http://環境省ローカルSDGs -地域循環共生圏づくり プラットフォーム- (env.go.jp)
http://環境省ローカルSDGs -地域循環共生圏づくり プラットフォーム- | しる (env.go.jp)
2021年1月7日

この春卒業する小学生へ ―クリティカルシンキングでいきましょう―

批判的思考法をクリティカルシンキングといいます。「批判」を辞書で調べると「批評して判断すること。物事を判定・評価すること」とあります。しかし、批判というと「良し悪し、可否について論ずること。あげつらうこと」という意味もあり、何かの文句や不平不満を言っている悪い印象があります。「あの人は私の言うことに対していつも批判してくる」、「批判ばかり言ってないで代替案を示しなさい」などと使われます。この文章での「批判」は勿論前者です。クリティカルシンキングとは、物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解することです。ものの見方・考え方の視点を転換させることです。

 例を示しましょう。歴史の授業で江戸時代の「享保の改革」は世の中をとてもよくした素晴らしい政治政策だったと習います。しかしそれは本当でしょうか。公事方御定書をはじめ新田開発の奨励や小石川養生所の開設、足高の制、目安箱の設置、相対済令、上米の制など積極的に世の中を改定し幕府財政の再建を図り一応の成功を収めました。 

 その中でも目安箱に注目します。徳川吉宗が政治を行う上での参考意見や社会事情の収集などを目的に、庶民の進言の投書を集めるために設置されて、投書は将軍自ら検分していた画期的な仕組みです。何段階もの階級社会であった当時、町民や農民が将軍本人に直訴ができたわけです。この制度は素晴らしいと大方の人々は喜びます。しかし、将軍と庶民の間にいる階級の人々にとっては幕府に対する要望や不満が続出されることで、将軍の意にそぐわないときはいつ辞めさせられるか気が気ではなかったと思います。立場という視点の転換で「享保の改革」ではなく「恐怖の改革」だったのではないでしょうか。

https://www.touken-world.jp/tips/44520/

クリティカルシンキングはもっと身近なところでも使えます。人の言ったことを安易にそのまま受けいれてはいけないということです。こういうとひねくれた人間になることを推奨しているようですがそうではありません。例えば、新宿から甲府まで電車でいくとします。普通に考えれば「中央線一本で行けますよ」となります。しかし、より安い料金で到達したいと考えると実は京王線で高尾まで行きそこから中央線に乗り換えた方が安く行けるのです。中央線一本で行く場合でも乗車券の買い方をどこかで区切ることで安くなることもあります。まさに時間の視点から料金の視点に転換すると同じ目的地への道でも様々に考えられるのです。正に「急がば回れ」の発想です。

 みなさんはこれからいろいろな経験を積んで生きていきます。その際、物事を判定し、評価していくことでしょうが、一つの見方・考え方で進んでいくと思わぬ落とし穴が待ち受けています。自分は信念を曲げないという人もいるでしょう。信念を持つことはよいことですが、どうか柔軟性を持って進んでいって欲しいです。そういう時にクリティカルシンキングを思い出し、縦からみていたものを横から見たり、立場を変えてみたり、考え方の視点を変えてみたりして充実した知性ある人生を歩んでください。

http://新宿駅から甲府駅の公共交通ルート – Yahoo!地図

2021年1月4日

「新しいコモン」を活用した学び

「共有」と「コモン」

2020年の年末。コロナの拡大が収まらぬ中、沖縄を三泊四日で訪ねた以外は、人混みを避ける生活、人との会食や懇談を避けがちな生活となり、少しばかり読書時間が増加しました。もっとも、日中の暖かい時間は、運動不足を避けるためにも一番好きな活動を優先しました。白州の山から立ち枯れのクリの木を伐採して軽トラで自宅に運び込み薪小屋を完成させました。2年間十分に乾燥させた薪を確保しておくには、これまでの薪置き場では不足するという理由からです。

年末年始に新たに読んだり読み返したりした本のうち、ここでは「共有」と「コモン」に関わる部分を紹介しながら、「未来の学校教育」の構想に広げていきたいと思います。「共有」や「コモン」こだわったのは、12月12日の特別講演会「未来の学校教育を創造する」において多田孝志氏が「所有の文化=戦争の文化」と書かれたスライドを準備し、佐藤学氏がポスト・コロナの社会を「資源と資産を共有し合う社会」とされたことがきっかけです。(このことについては、12月24日にアップした「「所有の文化」と「共有の社会」、そしてSDGs」で詳しく触れています。)

まず、内田樹氏の『日本習合論』(ミシマ社、2020年9月)の一節を引用して「コモン」についての基本を確認しておきたいと思います。

イギリスの田園には「コモン(common)」と呼ばれる共有地がありました。自営農たちがそこで羊や牛を飼ったり、果樹を育てたり、野生獣を狩ったり、魚を釣ったりしていた。でも、コモンは十六世紀からしだいに私有化され、十九世紀には消滅しました。この私有化プロセスのことを「囲い込み(enclosure)」と呼びます。(中略)(コモンを私有化すれば責任の所在が明確になり希少資源の効率的な分配が実現するというのが)コモンを私有地化するときのロジックでした。そして、実際に資本家たちはコモンを買い集めて、大規模な農地にして、機械化・効率化を進めて農業革命を達成しました。でも、その一方で自営農たちは土地を失い、共同体のつながりを失い、没落して、農業労働者になり、あるいは都市プロレタリアになって産業革命の労働力を供給することになりました。(p.171-172)

私が立ち枯れのクリの木を伐採した白州の山には所有者がおり、所有者の許可を得て行った行為ですが、かつては日本の村落であれば、周辺にはコモンに相当する広々とした入会地が存在し、そこから必要な材料も持ち帰ったことでしょう。

内田氏がコモンを今の時期に取り上げたのは、「囲い込み」のロジックと、なんでも民営化を目指す新自由主義経済の両者に共通する自己利益の最大化が、社会をどんどん歪なものにしており、これからの社会では相互扶助的な共同体が重要な意味を持つようになる、したがって「新しいコモン」の再構築が求められていると考えているからと思われます。

斎藤幸平氏による晩期マルクスと「コモン」

「コモン」の説明は内田氏の文章の紹介で終えて、今回提案したい「「新しいコモン」を活用した学び」に進もうと思っていたのですが、2021年1月のNHKの「100分de名著」が『資本論』で、その第4回目のタイトルが「〈コモン〉の再生」となっていることを知ったので、やはりここでも広義の「コモン」について触れておくことにします。

『資本論』を取り上げた1月の「100分de名著」の指南役は、マルクス研究の新鋭・斎藤幸平氏で、2020年9月に集英社新書として『人新世の「資本論」』を刊行しています。佐藤優氏が毎日新聞の2020年の「今年の3冊」の1冊に選んでおり、書店で目次をぱらぱらと捲ると「〈コモン〉という第三の道」「地球を〈コモン〉として管理する」「コミュニズムは〈コモン〉を再建する」といった気になる節が並んでいたので、購入しました。

実は、斎藤氏は『人新世の「資本論」』の「はじめに」で、「政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められないのだ。SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。(中略)SDGsはまさに現代版「大衆のアヘン」である。」(p.4)と書いています。これからの学校教育にとってSDGsが極めて重要と考えている筆者は「SDGsに対する何たる浅い理解!」と憤慨したのですが、そこまで書くのなら何らかの対案を示しているのだろうと思い直して購入し、読み進めました。

残念ながら斎藤氏のSDGs批判は『人新世の「資本論」』にはその後ほとんど登場せず、ESG投資の急増によって企業の利益優先の経営に変化が生じていることや、合衆国で企業管理の原則を定期的に公表してきた“Business Roundtable”が、2019年8月に企業の目的を「株主優先から離れて、すべての利害関係者に献身する」と再定義し、それに181の大企業のCEOが署名したこと、そしてそれらの背景にSDGsが存在することを認識してないのではないかと疑わざるをえません。

http://Business Roundtable Redefines the Purpose of a Corporation to Promote ‘An Economy That Serves All Americans’ | Business Roundtable

また、斎藤氏が本書で提示している気候変動への対案は、「国家の力を前提にしながらも、〈コモン〉の領域を広げていく」ことを主軸にしており、「2050年までに世界全体の温室効果ガス排出量を森林や海洋などの吸収分を差し引いて実質ゼロにする」という時間的制約の中では実現不可能なものです。後述のように「コモン」を重視する筆者から見ても、〈コモン〉の領域を広げていくことの気候変動対策としての効果はわずか、と判断せざるを得ません。

しかし、これまで刊行されてなかった晩年のマルクスの手紙や研究ノートに対する斎藤氏らの研究によって、晩年のマルクスが環境問題に関心を寄せてエコロジー研究に力を注いだことや、資本主義以前の段階の共同体の研究を進め、共同体の人々によって民主的に共有され管理されてきた共有財産に関心を寄せていたことを知ることができました。また、斎藤氏が気候変動問題を最も重要な人類の課題と捉え、そのために脱成長に向かわねばならないとしている点は完全に同意できます。ただし、それを「コモン」の拡大で実現できるかというと別問題です。

問題は「コモン」ですが、もともとの「コモン」は、内田氏が書いているように「囲い込み」によって私有化されて消滅する以前のイギリスに存在していた農耕者たちの共有の土地を指していました。しかし、斎藤氏の著作では、「〈コモン〉とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富」(p.141)で、「〈コモン〉は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す。」(同)と書かれています。土地に限定しないだけでなく、公共財の管理システムというニュアンスにまで概念を広げています。そして「彼(=マルクス)にとっての「コミュニズム」とは、生産者たちが生産手段を〈コモン〉として、共同で管理・運営する社会のことだった」(p.142)と断定的に書いています。

以上のように、コモンは概念を広げて解釈するようになってきていますが、そのような公共財を利用できるのは、そのコモンの存在する地元の共同体構成員に限定されていると考えるべきなのでしょうか。これからの時代のコモンは、もっと幅広い人に開かれたものであるべきではないのでしょうか。

「新しいコモン」を子どもたちの学びの場として活用しよう

少々遠回りしましたが、ここで提案したいことは、今、どんどん拡大している耕作放棄地や管理者不在で荒廃している山林を、「新しいコモン」として地元の共同体構成員以外の人々にも利用してもらうようにしてはどうかということです。

たとえば、耕作放棄された農地を自治体が地元の農業法人に委託してブルーベリーやサクランボの果樹園にしてある時期には誰もが自由に摘み取りできるように開放するとか、管理者不在の荒廃した里山を自治体が地元林業関係者に委託してコナラ林に変えて、市民に暖房用の薪に年間2本の伐採権を与える、などのサービスを提供すれば、人口減少に直面している地域に関係人口を呼び込み、さらには転入者を増やすことも可能ではないかと考えています。

そして、実は一番願っていることは、耕作放棄地や荒廃した里山を小中学校に開放し、農作物を自由に作らせたり、自分たちで伐採した木で子どもたちに秘密基地を自由に作らせて宿泊体験をさせたり、シイタケを栽培させたり炭焼きをさせたりしてはどうでしょうか。

いやいや、利用の仕方は子どもたちに任せておけばよいのです。あれこれと斬新なアイディアを発見し、大人や教師が思いもよらなかったような活用法を次々と作り出していくはずです。その場合、「新しいコモン」で子どもたちを見守るという点では、学校の先生方以上に、地域の方々やNPO関係者が主役になることになるでしょう。

半分は農作業だったという戦後沖縄の小学校

耕作放棄や荒廃した里山を「新しいコモン」として子どもたちに開放したら面白いぞ、と考えるようになったのは、冒頭で少し触れた沖縄訪問に関係しています。新たな米軍基地として埋め立て工事が進んでいる辺野古からさらに北に車で十数分行ったところに「黙々100年塾 蔓草庵」という看板のかかった施設(建物+作業場+庭)があります。そこの主が1943年生まれの島袋正敏氏。名護市立博物館の元館長で、野生の植物の採集・利用などの日常生活に関わる沖縄の伝統文化を継承されている方です。その方の活動を映像に残してアーカイブズ化するプロジェクトに加えていただき、12月20日の午前中に島袋正敏氏にインタビューさせていただきました。軽妙洒脱な語りに魅せられて1時間の予定が30分もオーバーして同行者の顰蹙を買ったのですが、その分、面白い話をたくさん聞くことができました。

黙々100年塾蔓草庵
島袋正敏氏

その一つが戦後の沖縄の小学生の暮らし。印象的だったのは4年生までは子ども扱いされたが5年生になると一人前に扱われ、馬で畑を耕す作業なども任され、とても誇り高い日々を過ごしたという話。そして、思わず「それは素晴らしいですね!」と応じたのが、小学校に行っても授業は半分で、残りの半分は農作業だったという話。学校の所有する畑を耕してイモや野菜を作る作業、これこそ「真正の学び」そのものと感じました。島袋氏自身もその作業を通して多くのことを学んだと語られました。

昨年末に「小学生の異変」について書きましたが、耕作放棄地や荒廃した里山を「新しいコモン」として小中学生に開放して、そこで多くの時間をすごさせることが効果的なのではないかと思っています。時にはススキやセイタカアワダチソウを刈りはらって田畑に戻すことがイノシシやシカなどの獣害対策にもなることを学びながら、様々な学年の子どもたちが一緒に田畑の世話をし、時には雑木を伐って秘密基地を作ったり、枯れ木を集めて火を起こし、昼食を自分たちで作ったり、という時間を確保するための空間として、「新しいコモン」は絶好なのではないかと思っています。教育委員会がその気になり、地方自治体がそのために少し仲介すれば、実現可能なことだと思っています。

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