学校教育とSDGs

2022年2月16日

内閣府 教育・人材育成ワーキンググループの〈中間まとめ〉に対する雑感(後半)

3本の政策と実現に向けたロードマップ

政策パッケージの中心は、以下で概略を紹介する「3.3本の政策と実現に向けたロードマップ」です。この部分は、12月末に公表された〈中間まとめ〉段階では、ポンチ絵を用いたPPTが示されており、提示する政策の具体性が見えにくい感じがありました。しかし、2022年2月9日の会議資料で具体的な政策(案)が多数提示されています。しかし、それぞれの具体的な政策について、「課題・ボトルネック」「必要な施策・方向性」「具体の検討・実施体制」が文章化されて列記されており、個別の政策に関心のある方は、これらをご覧になることをお勧めいたします。しかし、それら全体の大きな方向性については、むしろ12月末時点で提示されていたPPTのポンチ絵に沿ってみていく方が適切と判断し、以下ではそのように記述していきます。なお、そのほかに、3つの大分類の政策ごとに今後いつどのように取り組んでいくかのロードマップも付されています。それを一覧するだけでも、2022年度から教育改革が加速されることは間違いないと断言できます。

<政策1>子供の特性を重視した学びの「時間」と「空間」の多様化

表題は、「時間」と「空間」の多様化と抽象的に書かれていますが、各スライドに書き込まれた内容をよく見ると、大転換なしには済ませないものが並んでおり、事実、先ごろ示された政策(案)でもこれからの大転換をもたらす可能性のある案が列挙されています。<目指すイメージ①>で示されたスライドの図(下図)を、「“これまで”を“これから”に変えねばならないので、この左側から右側への移動を政策として実行に移しますよ」と捉えると、関係する組織や部門に激震をもたらすことになります。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

例えば、2段目の「同一学年」を「学年に関係なく」とすると、教科書会社からは、「じゃあ、一体どんな教科書を作ればいいんだ!」という声が上がるでしょう。4段目の「教科ごと」に替わって「教科の枠組みを超えた実社会に生きる学び」が学校の中心になると、これまでの教科を軸に据えた教員養成制度の大手術が必要でしし、教科中心の人員構成となっている教員養成系の大学関係者の相当数は、「自分たちの出番がなくなる!」と大騒ぎするに違いありません。

しかし、その左右に配された子どもたちの多様性を示す図を改めて見せつけられると、「主体」から「教職員組織」に至るまで、これまでの姿を大幅に変える政策が、実際に次々と繰り出されても反論する理屈を見い出しにくくなります。どのような紆余曲折があるかはともかく、あと数年後にはこれまでの左側の姿が右側の姿に移行していることは、かなり高い確度の近未来像と思われます。

では、このような激震が伴う変革を肯定するのか否定するのかと問われれば、筆者は全面的に肯定します。なぜならば、このような学校教育制度の変革(Transformation)がなければ、新学習指導要領が前文ではっきりと断言した、児童生徒が「持続可能な社会の創り手になる」教育を実現できないと考えるからです。さらに言えば、未来社会の主役である小中学生が「「持続可能な社会の創り手」になれないような学校は、存在意義がなくなる時代に間もなく入っていくと考えるからです。

「学年に関係なく」をめぐって

上図では、6段にわたってこれからの姿が描かれていますが、このうち最上段の「子供主体の学び」や最下段の「多様な人材・協働体制」は、すでに以前から話題に上がっています。また、5段目のTeachingからCoachingは、授業ではなじみが薄いかもしれませんが、部活動の領域では、あれこれ指示するのではなく、子どもたちに寄り添って「伴走者」として見守るほうが子供たちの意欲を引き出すと、以前から認識されてきました。子供たちが多様化する中で、画一的な教え込みや一律の指示が通じなくなっていることは、すでに大方の教員は自覚しているはずです。

4段目の「教科等横断・探究・STEAM」は次の政策2の中心テーマですので、ここではそれ以外の「学年に関係なく」「教室以外の選択肢」を中心に見ていきます。

小学校教育関係者以外の方々にとっては、学校教育に学年があり、1年ごとに学年が上がって上級生になっていくのが、「学校の当たり前」の一つとなっていることでしょう。小学校の場合、1998(平成10)年度改訂(2002(平成14)年度実施)の学習指導要領から、各教科の目標と内容が、〔第1学年及び第2学年〕というように2学年をまとめて表記されるようになっています。

4月になると上の学年に上がるのがあまりにも普通のこととなっているため、一年ごとに進級する以外の学校の姿を想像しにくいかもしれませんが、一年ごとに進級させるのは、まさにSupply Sideの都合です。年齢を重ねるとだいたい同じように成長するので、誕生時から6年目の春に小学校に入学させ、同時に各学年の子どもたちは1学年進級し、6年生は3月末に卒業させてしまうのはシステムとしては実に合理的ですが、必然性はありません。子どもたちの成長発達の多様性が進む中で、1年ごとの進級に対する疑問が、小学校の学習指導要領における2学年ごとの目標と内容の表記となったといえます。それをさらに進めようというのが「学年に関係なく」です。イエナプラン教育では、通常4~6歳・6~9歳・9~12歳の3つのグループに分かれて活動しており、あるグループで3年間の活動を終えると次の年上のグループに移行することになっています。

しかし、「学年に関係なく」の説明文を見ると、学年だけでなく学校種も視野に入っています。つまり、小学校も中学校も一緒に、いやいや高校も関係なく、という考えです。例えば、マイクロプラスチックを削減するという課題の解決方法については、例えば、ドキュメンタリー映画『マイクロプラスチックストーリー』を小学生も中学生も高校生も一緒に見て、それぞれが考え、みんなの前で感じたこと・考えたことを発表しあうことは可能です。さらに、みんなで取り組んでどこかに働きかけなければ十分に効果が現れないものが多いことに気付いたころに、そのタイミングで大人の伴走者が、「みんなで解決方法を探究してみたら」と促す効果的です。学年も学校種も関係ない異年齢集団でプロジェクトが実際に動き始めることでしょう。小中高生が一緒になって、川を流れて海に向かうプラ製品や海岸に漂着するペットボトルなどの収集・調査をすると、学校種を越えて、次にどのように行動するべきかという議論になっていきます。このようなプロジェクトを経験すると、子どもたちは異年齢集団の中でこれまで経験したことのないような多様で深い学びを味わうことになるはずです。

筆者自身、杉並区立西田小学校の「NISHITA未来の学校~大人も子供も一緒に考えよう」という催しで、小学生、教職員、保護者、学校支援員、卒業生、地域関係者などがそれぞれのポスターの前で発表し、子どもも大人も質問し答えるという活動を企画したことがあります。大成功をおさめ、子どもにとっても大人にとってもどれほど大きな学びとなるかを自分の目で確認することができました。NPO法人八ヶ岳SDGsスクールが他の団体とともに毎月1回開催してきた「八ヶ岳SDGsコミュニティ」でも、大人に混じって小学生も高校生も発表し、質問して感想を述べています。大人にとっても大きな刺激を受けるイベントです。 「NISHITA未来の学校」にしても「八ヶ岳SDGsコミュニティ」にしても、現段階では単発的なイベントです。しかし、かつて拙著『学校教育3.0』の「付録 未来の教育ショートストーリー」で述べたように、学校に行くのを週4日に減らし、週1日は、例えば異年齢集団で地域を探究する学びの日としてそれを可能にする体制を整備すれば、まさに学校種に関係のない豊かな学びを実現することができます。「学年に関係なく」は言うまでもなく、学校種を超えた学びが新たな「当たり前」になるのも、まんざら夢物語ではない、実現可能なことです。

「教室以外の選択肢」とレイヤー構造

上図の3段目の「空間」のこれからの姿として「教室以外の選択肢」が書かれています。そこでの説明では、「教室になじめない子供が教室以外の空間でも」と書かれているので、不登校・不登校気味の子供たちのためのフリースクールやコロナ禍でインターネットを利用した自宅学習などを連想しがちです。もちろんそのような想定も含まれていますが、その次のスライドにおけるこれからの姿として、下図のようなレイヤー構造が示されているので、もっと大規模な「教室以外の選択肢」が構想されていると考えてよさそうです。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

これまでは、学校が子どもたちの教育のすべての分野・機能を担ってきましたが、これからは分野や機能ごとに、多様な担い手に委ねる構想が描かれています。部活動の大部分が学校の枠外に置かれるだけでなく、学習活動についても学校外の場で、社会や民間の力に委ねる姿が描かれています。

それではこの図と、2021年1月の中教審答申「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して」において、「日本型学校教育」を「子供たちの状況を総合的に把握して教師が指導を行うことで, 子供たちの知・徳・体を一体で育む」としていることとの間に矛盾はないのでしょうか。この図では、「知」の半分は学校外、「体」の相当部分を占める部活動は大部分が学校外です。そもそも教員の過剰労働が明らかになり、地域社会の支援が求められて「地域とともにある学校」を打ちだしている中で、「子供たちの知・徳・体を一体で育む」学校像を目指すというのは大きな無理があったと反省し、本来の路線に戻ることにしようということなのでしょうか。

いや、そうではないでしょう。全人的な成長を考えたときに知・徳・体を一体で育むことは適切なことです。19世紀、20世紀は要素を分解して効率を上げることに汲々としてきました。その結果として生態系や社会的な持続可能性の危機が発生してしまっています。その反省に基づいてSDGsなどでは、様々な要素を統合して、総合的な観点から課題を解決しようとしています。いわば、21世紀は「統合・総合」によってこれまでの破壊を修復し直す時代ともいえます。したがって、「令和の日本型学校教育」という「知・徳・体を一体で育む」考え方が不適切なのではなく、問題なのは、現在の学校の体制の中で、現在の教職員の体制の中で追求していくような印象をもたらしている点でしょう。外部の人材や資源を活用していく方向性が示されていますが、それらを誰がどのように束ねていくのかについて具体的な提示がなされなかったこと、現在の教育に大きな負担がかかるという不安を抱かせないような丁寧な構想が十分に提示されなかったことが問題だと感じています。

いずれにせよ、これまで学校教育が一手に引き受けてきたものを領域・機能に分解して社会や民間に委ねるのが適切、という考えが本ワーキンググループの結論といえるかと思います。となると、学びの場として「教室以外の選択肢」が用意されるのも必然です。問題は「餅は餅屋」というようにレイヤーごとに別の組織や団体が役割を引き受けた場合、レイヤー間をどのようにつないで子どもたちの全人的な成長を確認していくか、ということです。つまり、各レイヤーがばらばらになって、それぞれが独自の路線を歩んでは、全人的な育みを達成するどころか、トンデモナイことになってしまいます。

「それこそ教員の仕事でしょう!」ということになると、教員に新たな負担がかかることになります。しかも「タテ社会」的な傾向の強い学校社会になじんできた教員にとっては、「ヨコ」の関係にある人々との周到な連携が求められる業務は大きなストレスをともなうものです。上図の下には、レイヤー構造の課題も以下のように書かれています。

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×印のついた学びの時間的・空間的な多様化による教育機能の低下という懸念に対して、①子供の学びを教師が把握し、伴走する、②協働的な学びの場を確保する、という2つの対応策が書かれていいます。また、学びや活動などの実施主体や責任の所在が不明確になる懸念も示されており、これには「学びの全体(を)学校が把握・支援する」とされています。いずれに対しても、「スタディログ等」を活用することが示されていますが、「スタディログ等」はあくまでもツールであって、中心になるのは教職員や学校です。しかし、前にも触れたように「伴走」を急に求められても、教科指導中心の「教え込み」重視の教員養成の下で育っている教員が、急に「伴走者」に変身できるわけではありませんし、学校が学びの全体を把握・支援するように求められると、実際に各レイヤーからの情報を収集し、整理し、さらに各レイヤーに発信するという業務が新たに学校、教職員に加わることになります。

これまでの学校の枠組みや、これまでの教員が教員養成や研修で学んできたものとはまったく異なるものが求められているように感じますが、その点についての具体的な言及は現段階ではみあたりません。この「教室以外の選択肢とレイヤー構造」の構想を進める以上、同時に各レイヤーと密接な連携を図ったり、各レイヤーを束ねたりするプロフェッショナルなコーディネーターは不可欠です。そのようなコーディネーターの養成こそ最優先で取り組むべき課題であろうと思われます。

<政策2>探究・STEAM教育を社会全体で支えるエコシステムの確立

この政策2では、探究とSTEAM教育は併記されていますが、探究についてはこれまでも中教審答申や学習指導要領の改訂で度々言及されてきたので説明する必要もないかと思います。STEAM教育については、まだなじみが薄いので少し補足しておきます。

STEAM教育については、2021年1月の中教審答申「「令和の日本型学校教育」の構築に向けて」の本文の56ページでかなり詳細に説明がなされています。そこでは、「教育再生実行会議第11次提言において,幅広い分野で新しい価値を提供できる人材を養成することができるよう,新学習指導要領において充実されたプログラミングやデータサイエンスに関する教育,統計教育に加え,STEAM教育の推進が提言された」とあります。2019年1月に示された教育再生実行会議第11次提言の中間まとめにも、一か所STEAM教育に触れた記述があるので、2018年には教育再生実行会議内でSTEAM教育に関する議論が活発化していたと推定できます。

筆者がSTEAM教育を初めて知ったのは、2011年12月にソウルの梨花大学で開催された韓国環境教育学会の下半期学術大会でした。「緑色成長と環境教育」というテーマで開催された学術大会の第1部では、開会式に先だち9件の口頭発表が行われました。そこで筆者が注目したのが、3件の発表に「STEAM教育」「STEAM授業」という用語があったことです。昼食時に韓国におけるSTEAM教育の提唱者であった金ジンス氏(韓国教員大学技術教育科教授、韓国技術教育学会会長)に声をかけてSTEAM教育を広めようとする理由を訊ねると、理数系忌避の傾向のある韓国の青少年を新たな教育手法で理数系に引き戻す意図があるという返答でした。通訳をしてもらった元鍾彬氏(学習院大学非常勤講師)によると、当時、STEAM教育についての研究を支援していたのは、教育府の外郭団体である「韓国科学創意財団」で、STEAM教育に関心を高めていたグループは科学教育(理科教育)のグループだったとのことでした。

STEAM教育は、以前からあったSTEM教育にArtのAが付加されたものですが、Artについては、「芸術」と捉える見方と「リベラルアーツ」(≒教養科目群)と捉える見方があります。「リベラルアーツ」には幅広く色々な分野をカバーするイメージがあるのに対し、「芸術」というと何か一つのこと究めるというイメージです。前述の中島さち子氏の場合、ジャズピアニストとして音楽というArt(芸術)を究めることが数学的な創造力にむすびついたのかと想像したくなります。しかし、中島氏が立ち上げたsteAmのホームページでは「アート・リベラルアーツ(Art/Arts)」と双方を併記しています。キックオフ・ミーティングで資料として示された「経済界から見たSociety5.0に求められる人材の能力」(下図参照:ただし、簡略化された図ではなく、原図を転載)では、「論理的思考力」や「規範的判断力」を涵養するという意味を持つものとしてリベラルアーツ教育が書き込まれています。

経済団体連合会 http://分科会の中間とりまとめ (keidanren.or.jp)

〈中間まとめ〉では、このArtについて 「問いを立て、デザインする力を軸にした、芸術、文化、生活、経済、法律、政治、倫理等を含めた広い範囲」と定義しています。この定義は、STEAM教育を最初に提唱したとされるジョーゼット・ヤクマン(Georgette Yakman)の“ST∑@M Education: an overview of creating a model of integrative education“(2008)という論文で示されたArtsの概念とほぼ一致しています。ヤクマンが概念的に示したSTEAM教育のピラミッド構造図(下図左)を細かく見ると(下図右)、リベラルアーツよりもさらに広く捉えている。しかし、ヤクマンの論文では、STEAMを「科学、技術、工学、芸術、数学の伝統的な学問分野(サイロ)を、統合的なカリキュラムにするために、いかに一つのフレームワークに構造化できるか、という開発中の教育モデル( a developing educational model of how the traditional academic subjects (silos) of science, technology, engineering, arts and mathematics can be structured into a framework by which to plan integrative curricula.)」と説明しており、Artsの内容が何であるかよりも、学問領域や教科が個別の教育内容となっている姿を、統合的なカリキュラムにすることにより大きな関心を向けていることがわかります。ヤクマンのピラミッド構造図の加筆されたバージョンではピラミッドの左側にContent Specific(個々の内容)→Discipline Specific(個々の学問領域)→Multidisciplinary(学際的)→Integrative(統合的)と書き込まれています。頂上付近には、当初から“Life-long” ”Holistic”と書き込まれており、社会の進展と共により上位に移行する必要があることを示しています。

STEAMについてのヤクマンのピラミッド構造図
上図の一部拡大図

となると、文部科学省が、「STEAM教育等の教科等横断的な学習の推進について」(令和3年?)の中でヤクマンの図を示しているのも、STEAM教育の推進を通して「教科の壁を低くする」という方向へ進めようとしているとも受け取れます。〈政策1〉の「時間」と「空間」の多様化を示した図の「教科」の欄の右側には、「教科等横断・探究・STEAM」という表題が掲げられ、その説明欄には、「教科の本質の学びとともに、教科の枠組みを超えた実社会に活きる学びを」と書かれています。「教科の本質の学びとともに」とは書かれていますが、これまでも言われてきた教科等横断・探究に、さらにSTEAMを加えることで、理系重視の印象を与えるとともに、教科の持つ比重を減らして教科の壁を低くする方向を意図しているようにも思われます。

この政策の表題にある「エコシステム」についても、筆者の専門領域に近い概念であるので補足しておきます。エコシステムは、エコロジカル・システム(ecological system)の短縮形で、日本語では生態系と訳されています。ある範囲に生息するすべての生物が、それらを取り巻く大気や水、土壌などの環境あるいは生物同士が相互に複雑に影響し合っているシステムを指すのが本来の意味です。様々な生物同士の食物連鎖/食物網(food chain/food web)などを連想してもらえるとよいでしょう。生態系が安定していることが望ましいという考え方から「エコロジカル」に「生態系に好ましい」⇒「環境に悪影響を与えない」という意味が派生し、いわゆる「エコ=環境にやさしい」が定着していきました。

近年「人新世(じんしんせい、ひとしんせい)」という用語が一般化してきているように、人類の活動が他の生物や環境に及ぼす影響が巨大となり、また、人類集団同士の相互関係が重大な関心事になると、Human Ecological System(人文生態系)という言葉も使われ始め、それを短縮したHuman Ecosystemという概念も生まれました。しかし、この概念がビジネスを中心とする一世界に広がると、Humanが付されずともエコシステムがもっぱら人類集団、特に企業や団体同士の相互関係に用いられるようになり、しかも、それらが相互依存の関係にあり、さらには協力関係の構築によって相乗効果が発揮される状況を指す用語として定着してきています。

ややエコシステムの説明が長くなりましたが、この政策2の「探究・STEAM教育を社会全体で支えるエコシステムの確立」の<目指すイメージ①>に描かれたエコシステムの構成母体を列記した図(下図)に書かれた説明を見ると、コーディネートや「つなぐ」が散見されるだけでなく、つなぐ人材≒コーディネーターの存在が前提となっているものが少なくありません。繰り返しになりますが、エコシステムの確立に不可欠やつなぎ役・コーディネーターの早急な養成が望まれます。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

【政策3】文理分断からの脱却・理数系の学びに関するジェンダーギャップの解消

〈政策3〉は「文理分断からの脱却」と「理数系の学びに関するジェンダーギャップの解消」の2項目からなっていますが、この政策に当てられたスライドは1枚のみで、しかも添えられた図は、学校段階が上がるにしたがって理系の比率が減少し、大学院への進学者が極めて少なくなることを示した下図のみです。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf
http://B章 教育への支出と人的資源:文部科学省 (mext.go.jp)

修士課程進学者も博士課程進学者も文系の大学卒業者では比率が低いので、学部段階での文系学生比率が高いことと、理系であっても大学院進学後の経済的な不安等が重なってこのような姿になっており、このことが冒頭に掲げた博士号取得者の伸び悩みや研究開発力の低下に結びついています。

このような結果になった理由は多々あるであるでしょうが、このスライドの「現状・課題」では触れられていない重要な理由があると考えています。それは、高等教育機関に対する教育支出に占める私費負担の割合が過去20数年にわたってOECD諸国中でも最低に近い水準であったことです。高等教育の教育費に対する公財政負担は2000年以降さらに低下し、2003年の国立大学の大学法人化以降、国立大学法人に対する運営費交付金は以後10年間毎年1%以上減額されました。そして、2015年には、大学教育への公財政負担がGDPに占める割合はOECD諸国平均の3分の1以下の0.5%にまで落ち込んでいます。OECD諸国では最低です。

日本の私費による教育費負担としては、小中学生の塾通いなどもあります。しかし、より大きな教育費の私費負担は、大学進学に伴う学費等の負担です。大学教育の相当部分が公的支出ではなく、学生あるいはその家庭の負担となっています。その結果、とりわけ収容学生比率で8割を占める私立大学では、マスプロ授業が可能で低い授業料を設定できる人文社会系の学部の入学定員を増やして収益の増加を図っていきました。大学の授業料を無償とする国は少なくありません。そのような国の場合、国家にとって必要な人材を考慮し、分野ごとの入学定員を決めることが可能です。これからは熾烈な理数系のイノベーション競争が展開され、それが国力や国民の豊かさを左右すると認識すれば、理数系の大学入学者比率を増やすことができます。しかし、日本のような大学進学にかかる費用の大部分を私費負担とすると、そして私立大学の営利優先を容認すると、学費が割安で済み、かつ大学としては収益の大きい人文社会系の入学者比率はじわじわと上昇することになっていきます。そして大学設置基準が新構想大学の新規参入を阻むことで、既存私立大学の既得権益を保護し、生き残りを助けているのが実態です。

ほかにも国際競争力低下の大きな要因となっている理系人材の先細りの理由は色々あるが、何よりも、国が高等教育を軽視してきたことが、今になって大きなしっぺ返しを受けているように思われます。

まとめ

教育・人材育成ワーキンググループの〈中間まとめ〉の記述内容を繰り返し確認し、補足的な説明を書きながら、提出された政策パッケージを実現するうえで何が最も重要で、今からすぐにでも着手すべきことは何かを考えてきました。これまでの記述でもかなり触れてきましたが、以下にまとめると

①学校と学外の様々なレイヤーをつなぐコーディネーターを相当規模で養成する仕組みづくりと早期の稼働、そしてコーディネーターに対する十分な報酬の確保

②72年以上にわたってマイナーチェンジで済ませてきた教科中心に構成された教育職員免許法の抜本的改革と、その際に求められる新たな領域に関連する人材の緊急育成

③中教審答申「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」(2018年11月)に掲げられた「大学設置基準の抜本的改訂」として本当に求められている事柄の早期実施

の3点です。

①については、全国の教職課程設置大学に潤沢な助成金を準備して「教育コーディネーター養成コース」設置を促すとともに、コースのカリキュラム開発を同時に進め、まさにアジャイルに(機敏に)かつ柔軟により効果的なカリキュラムにブラッシュアップさせていくべきでしょう。この①に関連することとして心配なことは、既存の教職員集団が、それまでの学校にいなかった教職員以外のメンバーの加入に前向きでない姿勢が現れることです。「タテ社会」と言われる日本の社会の中でも、学校は「タテ社会」色が濃い傾向があります。新規加入者をしっかりと自分たちの仲間として受け入れるためには、既存の教職員集団に日ごろからヨコの関係を広げるように促すことが有効ではないかと思っています。長期休暇期間中は、なるべく学校外での活動を奨励するのも大事だと思っています。また、コーディネーターという立場を理解するために、教員免許取得要件に、介護等の体験の義務化と同様に、コーディネーター等の体験を組み入れることも有効かもしれません。このような措置も同時に組み入れた制度設計が求められると思っています。

②については、2021年3月に文科大臣より中教審に対して「「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について」が諮問され、目下、中教審初等中等教育分科会教員養成部会を中心に議論がなされています。ただ残念ながら、下図のように「③教員免許の在り方・教員免許更新制の抜本的な見直し」が諮問されているのですが、これまでの経緯のしがらみにとらわれており、現時点では、抜本的な改訂の議論が進んでいるようには思われません。

https://www.mext.go.jp/content/20210312-mxt_kyoikujinzai01-000013426-2.pdf


例えば、教員養成部会が公開している最新の「配布資料」(2021年6月開催分)では、廃止が決まった免許更新講習や教員養成フラッグシップ大学構想あるいは教職課程コアカリキュラム(案)などの資料が並んでおり、その後の会議での議事録を眺めても、この教員・人材育成ワーキンググループでの議論との大きなギャップを感じさせられます。

③の高等教育改革についても、地域の活性化に資する大学が求められているにもかかわらず、文科省や中教審主導の改革は活発ではありません。中教審の高等教育分科会や文科省の高等教育局での「大学設置基準の抜本的改訂」に関する議論が進展しないことに業を煮やしたのか、内閣府が2021年8月に「地域中核・特色ある研究大学総合振興パッケージ」構想を打ち出しています。

このような府省庁に置かれる審議会等の会議体では、いわゆる学識経験者が相当部分を占めます。文部科学省に関わる会議体の場合は、そのような学識経験者が利害関係の当事者であったり、利害関係のある組織からの被推薦者であったりする比率が高くなります。となると、そのような会議体からの答申や報告等には、利益誘導的であったり守旧的な要素が多くなります。この構造的な問題は、社会の変化が著しく、早急かつ的確な対応が求められる現代社会にとってはかなり深刻なことです。内閣府が今後とも教育・人材育成政策の主導権を握るのはやむをえないことと思わざるをえません。

しかし、その際も会議等の方向付けの準備をする事務局側の未来社会に対する確かな見通しが求められることになります。また、内閣府が教育・人材育成政策の大きな方向性を定めた後の、「具体の検討・実施体制」は関連省庁が中心になって進めることになります。今回提示されたロードマップでは複数の省庁の連携の下で進められるものもありますが、特に文科省単体で進めるものも半分ほどあります。既存の政策との調整が求められるものもありますし、新たな会議体を設けて議論を深め、制度改正を目指すものもあります。

そのような中で注目したいのは、中央教育審議会初等中等教育分科会の下に、「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」が設けられ、今月(2022年2月)から「教育課程の在り方の見直し」や「学校の役割、教職員配置や勤務の在り方の見直し」、「子供の状況に応じた多様な学びの場の確保」という、とりわけ大きな課題の具体施策の策定に関わることになった点です。しかも、その特別部会の委員11名のうち5名が、教育・人材育成ワーキンググループの中心メンバーであることです。もともと中教審側から教育・人材育成ワーキンググループに入ったメンバーですので、不思議でも何でもありませんが、政策をぶれることなくしっかりと進めていくという意気込みを感じさせられます。引き続き内閣府主導の教育・人材育成改革に期待するとともに、改革の実行ぶりを見まもりつつ応援していきたいと思っています。

(いったん完了)

2022年2月15日

内閣府 教育・人材育成ワーキンググループの〈中間まとめ〉に対する雑感(前半)

教育・人材育成政策の主導権が文科省から内閣府に

内閣府の「総合科学技術・イノベーション会議」の下に2021年8月に設置された教育・人材育成ワーキンググループが、2021年末に「Society 5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」と題する〈中間まとめ〉を公表しました。3月に〈最終まとめ(案)〉を取り纏め、4月には総合科学技術・イノベーション会議に諮るスケジュールとなっています。そこでの議論を経て、この政策パッケージに描かれた「教育・人材育成」に関する施策が、ロードマップに基づいて推進されていく見込みです。

「教育・人材育成」というと文部科学省の専管事項を思われがちですが、2021年の春ごろから様相が変わってきています。一言でいえば、初等中等教育にも及ぶ教育政策の主導権が文科省から内閣府に移動しつつあるという印象を受けます。この流れは、内閣府に設置されていた「総合科学技術会議」が2014年に「総合科学技術・イノベーション会議」と改称されたころから水面下では進行していたのでしょうが、内閣府が教育・人材育成政策の策定の主役として表舞台に出てきたのは、2021年の春からです。Society5.0 で注目を集めた「第5期科学技術基本計画」(2016年度~2020年度)が終了し、2021年度以降の後継基本計画は、「第6期科学技術・イノベーション基本計画」と名称が変えられました。それとともに、それまでの科学技術基本計画の基本に据えられていた大学や研究機関、企業における科学技術の振興・発展に加えて、「一人ひとりの多様な幸せと課題への挑戦を実現する教育・人材育成」が科学技術・イノベーション政策の三本柱の一つに加えられました。そこでは、「探究力と学び続ける姿勢を強化する教育・人材育成システムへの転換」を図ることで、「初等中等教育段階からのSTEAM教育やGIGAスクール構想の推進、教師の負担軽減」などを実現するという目標が設定されています。

「府省庁の連携」、すなわち内閣府と関連省庁の連携を前提としていますが、新たな教育・人材育成システムの確立と移行は、文部科学省ではなく内閣府が主導することが、「第6期科学技術・イノベーション基本計画」の閣議決定(2021年3月末)によって、政府内の了解事項となったと言えます。そのような流れの中で、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議の下に教育・人材育成ワーキンググループが設けられ、8月のキックオフ・ミーティングの後に9月から延5回の会議を経て、〈中間まとめ〉の公表にいたっています。 では一体なぜ、教育・人材育成政策の主導権が文部科学省から内閣府に移ったのでしょうか。一言でいえば、教育・人材育成政策をこれまで通り文部科学省に任せていたのでは、世界の熾烈なイノベーション競争から完全に取り残されてしまう、という危機感があったからでしょう。下図は、第6期科学技術・イノベーション基本計画の発足時に内閣府が参考指標として提示したもので、主要国の博士号取得者比率が右肩上がりを示す中で、日本の博士号取得者比率が低迷していることがはっきりと表れています。配布予算の「選択と集中」や、短期的な成果とアカウンタビリティ(説明責任)を求める短絡的な評価制度の下で、過去30年間、大部分の博士課程の院生やポスドクにとって、待遇や研究職就職可能性などの広い意味での研究環境が悪化の一途を辿った結果といえます。文科省の高等教育政策の責任だけではなく、教育や人材育成に関する長期的な展望を持ちえなかった国全体の政策の責任も大きいと言わざるをえません。

第6期科学技術・イノベーション基本計画 主要指標・参考指標データ集(2021年3月時点)

この下図も同じ参考指標集に収められたものですが、よほど強調しておきたかったのでしょうか同じ図が2回も提示されています。根拠となっている多岐にわたる指標が「経済状況」「政府効率性」「ビジネス効率性」「インフラ」の4つに大きく分類されていることからもわかるように、経済的な競争力という意味は、経済に関わる統計の数値と経営層へのアンケートを総合した順位です。従来は日本の強みとされてきた研究開発力はインフラの範疇に含まれますが、近年はその評価も、特に、経営層へのアンケート結果では急速に下がってきています。(参照:IMD「世界競争力年鑑2020」からみる日本の競争力 第3回:統計と経営層の意識の乖離から競争力改善ポイントを探るIMD世界競争力ランキングの特徴 | IMD「世界競争力年鑑」からみる日本の競争力 | 三菱総合研究所(MRI)

IMD「世界競争力年鑑」日本の競争力の推移(第6期科学技術・イノベーション基本計画 主要指標・参考指標データ集(2021年3月時点)より)

教育・人材育成ワーキンググループの役割

この〈中間まとめ〉の全体についての紹介に先立って、このワーキンググループの役割について確認しておきたます。ワーキンググループのキックオフ・ミーティング時の「共通認識」(案)には以下のように書かれています。

「求められる⼈材像や資質・能⼒等についての議論」の蓄積を踏まえ、あるべき論を語るフェーズを脱し、⼦供の学びを確実に変えていく「実⾏フェーズ」に本格的に突⼊するための「具体策」を検討⇒提案」

つまり、「あるべき論」ではなく、⼦供の学びを確実に変えていくには何をどう「実行」すればよいのかを検討し提案することがこのワーキンググループの役割です。そのために、さらに「今後5〜10年の制度の改善やリソースの確保・ 再配置といった政策的な⽅向性を整理」し、「府省等や関係者が確実に取り組むための⾒取り図を提⽰することを⽬指す。(改⾰の理念ではなく、関係者の⾏動変容に確実に結び付く仕掛けの構築を⽬指す)」と書かれています。

改善のためのリソース(予算や人員などの資源)を確保し、関係者が確実に取り組む仕掛けを構築する(下線部は筆者)、という記述は、従来の政府関係の「あるべき論」に終始する検討委員会とは異なる意気込みを感じさせるものです。そして、実際に9月から11月にかけて開催されたワーキンググループの会議では、実行に不可欠な「時間」「人材」「財源」にそれぞれテーマを絞って検討を進めています。

この従来にない「意気込み」の源泉は一体何に由来するのでしょうか。前述の国際的な競争力低下に対する危機感が背後にあることは間違いありません。それとともに、内閣府の持つ〇兆円という潤沢な裁量可能予算と、各省庁の過去のしがらみにとらわれる必要のない自由度も、「意気込み」に反映されているように感じます。

ワーキンググループの未来志向と若手メンバー

新たな教育・人材育成システムの在り方の検討を託された教育・人材育成ワーキンググループが取りまとめた政策パッケージ案自身の特記すべき点についてはあとで述べますが、全体を通して、従来の教育行政に関わる審議会や検討会の報告や提案に見え隠れする「利益誘導くささ」や「利権固守姿勢」が希薄で、未来志向が前面に出ている印象を受けます。その理由の一つは若手メンバーの登用と言ってよいでしょう。そこで、まずこのワーキンググループのメンバーについて述べておきます。

教育・人材育成ワーキンググループは、母体である総合科学技術・イノベーション会議のメンバーから8人、中央教育審議会と産業構造審議会から9人の計17人で構成されていますが、この間の議論を主導してきたのは後者の9人です。その9人のうち5人が45歳未満の、広い意味での教育に関わる世界ですでに大きな実績を示している若手、言い換えると、現実の世界でどのような仕掛けを設ければ着実な成果に結びつくのかについて、経験を通して会得している若手です。

この5人のうち、今村久美氏と岩本悠氏の二人は、拙著『学校教育3.0』(2018年、三恵社)で、持続可能社会型教育システムをすでに具体化し始めている事例として取り上げた一般財団法人「地域・教育魅力化プラットフォーム」(2017年設立)の共同代表者です。今村氏は、認定NPO法人カタリバの代表理事で、カタリバという名称は、ボランティアの学生とともに高校に出向いて、高校生たちとの「本音の対話」を生み出す活動を「カタリバ」と称したことに由来しています。その後、東日本大震災の被災地などで、中高生に対する様々な学習支援活動を行っており、本ワーキンググループの会議でも、各地の中高生の実態に即した施策の必要性を述べています。

岩本悠氏は廃校寸前の島根県隠岐島前高校に島留学制度などを導入することで入学者のVカーブ増を実現した立役者で、島根県教育魅力化特命官として地域の学校の新しい在り方を提案してきています。特に地方の高校が探究的な学びを深めていく上では、学校と地域と地域を繋ぐコーディネーターが不可欠として自治体に働きかけ、島根県では30数校に50人以上のコーディネーターを配置するに至っています。

他の3人も簡単に紹介すると、木村健太氏は広尾学園中学校・高等学校の医進・サイエンスコース統括長として、広尾学園の知名度と偏差値を一挙に高め、隠岐島前高校と同様に志願者のVカーブ増を実現させています。中高の探究型の授業で大学・大学院レベルの「研究」を課すことで、生徒自身の学びに向かう意欲が格段に高まることを自らの実践・実績に基づいて主張しています。ちなみに、2013年4月から6年間同校の校長を務め、『奇跡の学校―広尾学園の挑戦』を2019年3月の退任時に刊行した田邉裕氏は、約50年前の筆者の修士課程時代の指導教官です。

中島さち子氏は、本ワーキンググループが提示する政策パッケージの一つの柱のSTEAM(Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Art(芸術・リベラルアーツ)、Mathematics(数学))教育に関わるワークショップや講演、研修、コンサル、プログラム開発を手掛ける株式会社steAmの代表です。数学者でありジャズピアニストでもあるので、自らがSTEAM教育の有効性を実証していると言えそうです。社名のAを大文字にしているのは、中でもとりわけArtが重要ですよ、というメッセージなのでしょう。

最年少の松田悠介氏は、独自の研修を受けた教師(フェロー)を学校に2年間赴任させるフェローシップ・プログラムを運営する認定 NPO 法人 Teach For Japan の創業者です。Teach For Japanの基本的なアイディアは、アメリカで20年以上の実績を持つTeach For Americaに由来しています。2年間の学校赴任を経験したフェローのうち6割近くは教職を続けていますが、4割以上は学校以外の職に転身しているとのことです。アラムナイ(同窓生)が「教育現場のみならず、行政機関、企業など、社会の様々な分野に広く輩出することでネットワークを構築し、社会全体で教育課題を解決する仕組みを創造」する、という同NPO法人の狙いに沿った活動をしていると言えます。社会の変化に取り残された感のある硬直した教員養成制度、教員免許制度の下で、未来志向の教員を教育界に送り出すだけでなく、「社会に開かれた教育課程」の実現に不可欠な社会側の体制づくりという点でも新しい興味深い活動と思います。

多くの審議会等では、おおむね50歳以上の何らかの組織や団体の代表者に学識経験者が加わるという傾向がありますが30年後、40年後も持続可能な社会でなければ困る当事者である40歳台前半以下のメンバーを登用したことは十分に評価できます。また、教育関係の審議会等で重用され、これまでの教育政策に大きな影響力を発揮した教員養成系大学の関係者が参加していない点も、このワーキンググループの大きな特色と言えます。

政策パッケージの構成と、目的および作成方針

教育・人材育成ワーキンググループが提示した本〈中間まとめ〉は、今年の1月の意見聴取によって若干の修正がありえますが、今後大きく変更されることはないという前提で、これ以降は「政策パッケージ」という記述で進めていきます。

政策パッケージは、

0.政策パッケージの位置付け

1.社会構造と子供たちを取り巻く環境の変化

2.教育・人材育成システムの転換の方向性

3.3本の政策と実現に向けたロードマップ

で構成されています。

中心をなすのは、以下の3つのテーマに関する政策を提示した「3.3本の政策と実現に向けたロードマップ」です。

<政策1>子供の特性を重視した学びの「時間」と「空間」の多様化

<政策2>探究・STEAM教育を社会全体で支えるエコシステムの確立

<政策3>文理分断からの脱却・理数系の学びに関するジェンダーギャップの解消

ただし、この3つの政策で必要十分というわけではないので、同様の大きなテーマに沿った政策が今後も打ち出されてくると考えるべきでしょう。そう考えると、「3.3本の政策と実現に向けたロードマップ」とともに、「0.政策パッケージの位置付け」の中で前置き的に書かれた作成方針や未来社会像、そして「1.社会構造と子供たちを取り巻く環境の変化」に書き込まれた認識が重要な意味を持つので、その部分も少し丁寧に見ておきます。 「0.政策パッケージの位置付け」では、冒頭で、策定目的を、「今後5年程度という時間軸のなかで子供たちの学習環境をどのように整えていくのか、各府省を超えて政府全体としてどのように政策を展開していくのか、そのロードマップの作成を目指すこと」とし、その部分にアンダーラインを付して明示しています。興味深いのは、同じPPTシートの最下段に(本パッケージの作成方針)として、以下のように5つの方針をロゴマーク付きで掲げている点です。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

「Demand side(需要者側)」「スキーム(枠組み)」「アジャイルに(機敏に)」といった、一般社会ではまだまだ認知度の低い用語が散見されるものの、全体としては、文字の羅列ではなく、PPT方式でポンチ絵やグラフをふんだんに使っており、視覚的にも「わかりやすく」を意識したものであることは間違いありません。

作成方針として特に重要なのは最初の3つでしょう。

最初の「Supply Side行政から脱却し、Demand Side行政への転換を」は、マーケティングなどの世界では50年以上も前に、生産者本位の製品アピールから消費者の満足重視への転換(F.コトラーの用語ではマーケティング2.0)がはじまっています。遅まきながら教育行政でもようやく本気でDemand Sideに立たねばないことに気付いたということでしょう。2021年9月に『環境教育』誌の編集委員として、文科省の白井俊教育制度改革室長にインタビューした際に、次期学習指導要領の策定に当たっては、子どもたちの意見も十分にくみ取る予定との発言がありました。Demand Sideへの転換が文科省内に浸透し始めていることの証と受け取りました。ただし、こと教育に関しては、製品の売買以上に、消費者の自己中心的な要望が過激に押し寄せがちですので、Demand Side 一辺倒では足元を掬われる可能性もあります。Supply SideとDemand Sideの両者が納得する解を見い出すことは難しいことです。しかも現実にはVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)が増大する時代です。長期的な視点からも限りなく「正解」に近いものを準備しておくことは至難の業で、そこで、アジャイル(機敏)な軌道修正を前提として政策を発出していくことが現実的となります。

2番目の「既存スキームに囚われない」で注目すべき点は、説明文中にある「府省庁横断的・オールジャパンな視点で」でしょう。「従来から指摘されてきた省庁間の縦割り行政を打破するためにも内閣府主導で政策パッケージを提示するのですよ!」という予防線的なニュアンスもありますが、政策パッケージの本体を見ていくと、確かに文部科学省単独ではこういう発想にはならないだろうというものがいくつか登場しています。

3番目の「社会構造全体を俯瞰して」の説明文には、「初等中等教育~高等教育、その後の社会」という文言があります。教育行政を内閣府主導にする必要があった背景がここに凝縮されています。文部科学省内では、初等中等教育局、高等教育局、生涯学習局と分断され、互いの風通しが悪いようです。しかし、探究的な学習やSTEAM教育を充実したものにするには、幼少時からの一貫した教育体制が求められます。また、実りある生涯学習社会を構築するには、高等教育との連携は欠かせません。少子化による空き教室の活用を考えると、初等中等教育と生涯学習との連携も欠かせません。このように学校種の切れ目をなくし、学校教育と社会教育や生涯学習の有機的な連携を進めるには、文部科学省だけでは困難です。少子高齢化も社会全体の情報化や国際化も視野に入れた連携体制が求められています。

筆者は、これからの地域社会における教育体系のあるべき姿を「地域の学習共同体」と捉え、NPO法人八ヶ岳SDGsスクールのHPに「「地域の学習共同体」への道」というブログを2021年9月13日にアップしました。そこで示した図を以下に再掲します。地域の様々な人々や組織に支えられた生涯にわたる学習体系を表現したつもりです。このような視点からも学校種による分断の解消が求められていますし、地域の経済界その他からの支援も不可欠な時代になっていると感じています。

(原図:諏訪哲郎)

政策パッケージ案が目指す未来社会像

政策パッケージは、目指す未来社会像として以下のポンチ絵を示しています。キャッチコピーと簡潔な説明で示しているので、作成方針に示された「わかりやすさ」があります。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/5kai/siryo2.pdf

その反面、もう少し丁寧に説明してもらわないと混乱するという面もあります。例えば、▼印の下の「3本の政策の柱」は、政策パッケージが提示する3本の政策ではなく、第6期科学技術・イノベーション基本計画が掲げた3本の政策の柱で、大きなフォントで表した右側が、このワーキンググループが検討する主な対象です。

ここでまず注目したいのは、Well-beingが3回も書かれている点です。Well-beingは、具体性が曖昧である分、使い勝手の良い、国際的な流行語的な印象がありますが、従来の経済的な価値ばかりを重視する考え方とは違いますよ、というニュアンスもあり、一概に否定しがたいと感じています。

Well-beingはOECDのラーニング・コンパス2030の最終ゴールにも設定されています。OECDによる解説文書では、個人の幸せ(≒心身ともに健康で充実した生)としてのWell-being以上に、社会的なWell-being(≒持続可能で公平・公正な社会)の重要性が強調されている印象を受けましたが、上図左側のグレー枠のキャッチコピーにある「持続可能で強靭な社会」は、まさに社会的なWell-beingの必須要件とも言えます。

Sustainable Development概念の変遷をフォローしてきた立場から少しばかり突っ込みを入れたくなるのが、【持続可能性の確保】の2番目に書かれいる「現世代のニーズを満たし、将来の世代が豊かに生きていける社会の実現」です。この文言は、1987年のブルントラント委員会報告書『我ら共有の未来』(Our Common Future)が提示したSustainable Developmentに対する定義「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たす開発」を踏襲していると思われます。しかし、その時代のDevelopmentは資源の開発が強く意識されていました。その後の世界のSustainable Developmentに関する議論の中で、資源の「開発」のニュアンスは薄くなり、各主体が連携協力してよりよい姿に変えていく社会的な「発展」がより重要との認識に変わっていきました。そのような変化を踏まえて、中国や韓国では2000年頃からSustainable Developmentに対する訳語は「持続可能な発展」がもっぱら使われるようになって、「持続可能な開発」とは言わなくなっています。また、「現世代のニーズを満たし、将来の世代が豊かに生きていける社会の実現」という表現は、Our Common Futureの原文以上に「現代の世代のニーズを満たす」ことに対する許容度が高い記述となっています。SDGsの達成が世界の共通の目標となり、国連IPCCの「第6次評価報告書」が地球温暖化の原因を「人間の活動によるもの」と断定し、ラトゥーシュの『脱成長論』などによって、「現代の世代のニーズを満たす」ことを続けていては、持続可能な未来は描けない、という見方が世界的にも広がってきています。そういう中での「現世代のニーズを満たし、将来の世代が豊かに生きていける社会の実現」は、「現代の世代」中心の表現と言わざるを得ません。

その一方で、評価したい部分もあります。ピンク色で表示した「一人ひとりの多様な幸せ(Well-being)」という表題に、「多様な」が付加されている点と、その枠の最後で「コミュニティにおける自らの存在を常に肯定し・・・」と、あえて「コミュニティ」を書き込んでいる点です。「多様な」については、これまでの学校教育の「画一性」が多様な個性に対応できていないことに対する反省が込められています。また、「コミュニティ」には「地域とともにある学校」に通じるものがあります。「一人ひとりの多様な幸せ」を実現するには、健全に機能するコミュニティ、すなわち地域社会のWell-beingも不可欠という認識に基づくのであろうと受け取っています。Society5.0 というと、とかくAIやロボットが大活躍することで便利さと物質的な豊かさがもたらされる世界と受け止められがちです。しかし、図の下の2行で、「多様性」「公正や個人の尊厳」「多様な幸せ(Well-being)」の価値をSociety5.0の中核と言い切っていることは、特に注目べきでしょう。

1.社会構造と子供たちを取り巻く環境の変化

政策パッケージは、以上のような前置き的な記述に続いて、「1.社会構造と子供たちを取り巻く環境の変化」として、いくつかの事柄を11枚のスライドで説明しています。ただしその3分の2は、具体的な3つの政策の必然性を示す説明資料的なもので、特にここで取り上げたいのは最初の3枚です。

1枚目の「社会構造の変化 必要となる思考・発想の変化」では、これまでの工業化社会を特徴づけていた「大量生産・大量消費」「縦割り」「自前主義」「新卒一括採用・年功序列」に代わって、DX(デジタルトランスフォーメーション)が進行するこれからの時代には「新たな価値の創造」「レイヤー構造」「分野・業界を超えた連携」「人材の流動化」が求められる、との認識を示しています。この冒頭の「新たな価値の創造」は、OECDのラーニング・コンパス2030で示された3つの「変革をもたらすコンピテンシー(transformative competencies)」の一つです。「レイヤー構造」については、後述します。

1枚目で興味深いの上記のような社会構造の変化に伴って思考・発想の変化が起こる(求められる?)としている点です。これまでとこれからについて、以下のような対照を示しています。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

このうち、下段の「身内で」から「よそ者と」については、政策パッケージ全体を通して、繰り返し強調されていることです。これからの学校教育の世界では、この「よそ者と」協働することが非常に重要になるため、随所で言及していますが、日本の教育界にしっかりと根を張っている「タテ社会」が大きな障害になるのではないかと危惧しています。

次に取り上げられているのが、「デジタル社会における子供たちを取り巻く環境」です。中高生のみならず、小学生もスマホを持ち、毎日何時間もスマホの画面に目を向けているのが当たり前の時代となっています。そのような社会の変化の中で、経済産業省サイドでは「未来の教室 ラーニング・イノベーション」というサイトを立ち上げ、またEducation(教育)とTechnology(技術)を組み合わせたEdTech(エドテック)の名のもとに、デジタル社会へ一目散に進もうという姿勢が顕著です。文部科学省もコロナ禍の中で遠隔授業がスムーズに進まなかったことから、タブレット端末を一人1台確保する「GIGAスクール構想」の前倒し実施を進めてきました。しかし、この政策パッケージでは、ICTの基盤の整備は不可欠であるが、同時に負の側面への警戒も怠っていません。デジタル機器の爆発的普及の影の部分に対して、以下のように「フィルターバブル現象」やSNSを介した「同調圧力」にも言及しています。ただし、有効な具体的な対応策については触れていません。

Society 5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ<中間まとめ> (cao.go.jp)

3番目に取り上げているのが子どもの多様化です。下に転載したポンチ絵に示された「発達障害の可能性のある子供」「特異な才能のある子供」「不登校・不登校傾向の子供」「家にある本が少ない子供」「家で日本語をあまり話さない子供」の数を合計すると、35人学級で延18.4人になります。さらに小さな字で「このほかにも、学校には、病気療養で学校に通えない子供やいわゆるヤングケアラー等、多様な背景や困難さを抱える子供が存在している」と書かれています。これがまさに日本の学校の実態ですが、近年、「発達障害の可能性のある子供」「不登校・不登校傾向の子供」「家で日本語をあまり話さない子供」、ヤングケアラーの比率は増加の一途を辿っています。今の学校が、そして今の先生方が直面している課題は大きすぎると言わざるをえません。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

一方、右下には、「子供たちの特性や関心・意欲は様々」と、得意分野等での多様性も拡大していることが書き込まれています。ハワード・ガードナーの多重知能理論の浸透もあって、従来の画一的な学力評価基準を改める動きも出てきています。ただし、学校や教師による評価基準の主体的な見直しも、今日の枠組みの中ではきわめて困難と言わざるをえません。

「デジタルの力」の強調と相対視

このような課題に対する対応の一つとして期待されているのが「デジタルの力」で、「社会構造と子供たちを取り巻く環境の変化」の4番目に、「(4)「時間」「空間」「地域」「地方格差」の壁を越えるデジタルの力」というスライドを設け、「デジタル基盤の徹底した整備が必要不可欠」としています。コロナ禍の中で、多くの人が「インターネットやZOOMなどのデジタル基盤がなかったら、一体どうなっていたことだろう」と感じたはずです。

しかし、政策パッケージは、学校におけるICTの活用を前面に出しているスタディ・ログや「未来の教室」、「EdTech」とは異なるトーンを感じさせます。一人一台の端末やオンライン環境の整備は情報化社会において「必要不可欠」なものですが、それらはあくまでもツールとしての環境であって、それによって様々な課題が解決に向けて大きく前進するに違いない、というような安直さは見られません。様々な課題を総合的・統合的に俯瞰し、解決のための糸口を色々と組み合わせてよりよい方向を模索しようとしています。

ここで注目したいのは、「新しい資本主義の主役は地方であり、・・・」という記述です。岸田内閣の「新しい資本主義」を引き合いに出しながら、「主役」を「地方」と述べて、東京への一極集中と地方の衰退も同時に解決していかねばならない課題と捉えています。このような情報社会と地域社会の双方を視野に入れた記述は、両者の「二項往還」を提唱している岩本悠氏の考え方が反映されているのではないかと推定しています。参考までに、2020年7月の中教審初等中等教育分科会で岩本悠氏が提示した資料の該当部分を以下に転載します。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

一番下に、「「分担」が「分断」に、「ハイブリッド」が「混乱・乱雑」にならないためにはマネジメント(連携・調整・管理)に関わる機能・人材・体制の強化・充実が必須である。」と書かれている点は重要です。「あるべき論」を脱して、実際に有効に作用する仕組みとするには、「機能・人材・体制の強化・充実」は間違いなく必須といえます。

「STEAM教育の推進」については、「(6)価値創造を高める総合知、分野横断的な学び・STEAM教育の必要性」という項目の中で、下図を示してその重要性を強調しています。STEAM教育については、第6期科学技術・イノベーション基本計画でも言及されており、政策パッケージでは半ば主役の位置に置かれていますが、「STEAM教育の推進」に向けてまっしぐらというトーンではありません。なお、STEAM教育については、〈政策2〉で補足します。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

次のスライドでは、教科等の学びを束ねる総合的な探究(学習)の時間の探究的な見方・考え方を図化して示すとともに、OECDが2019年に提示した「変革をもたらすコンピテンシー」の図を掲載して、これからの時代に求められる社会全体の再設計のための「総合知」を獲得する手段がSTEAM教育だけでないことを示しています。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

特に、OECDのEducation 2030プロジェクトについては、2021年1月の中教審答申「令和の日本型学校教育の再構築を目指して」では、「(OECDのEducation 2030)の中で子供 たちがウェルビーイング(Well-being)を実現していくために自ら主体的に目標を設定し,振り返りながら,責任ある行動がとれる力を身に付けることの重要性が指摘されている」という言及にとどまっていました。しかし、政策パッケージでは、Education 2030プロジェクトが2019年に提示したラーニング・コンパス2030の核心ともいえる「変革をもたらすコンピテンシー」を大きく取り上げています。Education 2030プロジェクトは、従来からの知識、スキル、態度・価値観といったコンピテンシーも重要と捉えてるのですが、色使いとその下のこれまでとこれからの対比の効果で、知識、スキル、態度・価値観といったコンピテンシーが、あたかも過去のものであるかのような印象を与えています。この表現が意図的なものなのか、それともたまたま結果的にそういう印象をもたらすことになったのかは、スライド作成者に伺いたいところです。なお、このOECDのラーニング・コンパス2030については、『教育展望』2021年12月号の「提言」欄に「OECDのラーニング・コンパス2030とオーバーロード」という拙文を寄稿したので、参照していただければ幸いです。

以上の「1.社会構造と子供たちを取り巻く環境の変化」に続いて、〈中間まとめ〉では、「2.教育・人材育成システムの転換の方向性」というスライドが1枚だけ入っています。そこに書き込まれた内容は、それ以前のスライドで提示した事柄の要点抜粋と言ってもよい内容で、結論として「Society 5.0の実現のために、学校教育には、次代を切り拓くイノベーションの源泉である創造性と「多様性」「公正や個人の尊厳」「多様な幸せ(well-being)」の価値が両立する「持続可能な社会の創り手」を育むことが求められている」と書かれています。ここにもイノベーション≒理数強化一辺倒ではないですよ、という姿勢が示されています。(前半終了)

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