学校教育とSDGs

2020年10月29日

2040年の日本の高等教育-「競争」から「共創」へ-

前回の寄稿の最後に「「学校教育の在り方を根本から見直す」方向に早く舵切りを」と書きました。ではどのような「見直し」が求められるかについて、少しずつ書いていこうと思っています。その第1回目は「大学改革」です。大学を最初に取り上げるのは、今日の日本の大学の在り方が、特に「競争」から抜け出せない大学入試が、初等中等教育にまで大きなゆがみをもたらしていると考えているからです。そこで今回は、SDGs時代にあって「競争」から「共創」への転換が求められているにもかかわらず、従来の大学の在り方を固守しようとしている大学教育政策を取り上げます。

大学教員の大量失業を招きかねないMOOCsの普及

コロナウイルスの感染拡大でZOOMを使った遠隔授業を強いられた大学の元同僚の多くから、

「諏訪さんは本当にいい時に定年退職できてよかったですね。目の前に学生のいない授業は大変。倍は疲れる。世間話もなかなか挟めないし、伝わったかどうかの確認もできないし、・・・」

という嘆きをZOOM飲み会で聞かされました。そして、夏の免許更新講習の打ち合わせで、ある大学教員はこんな感想を漏らしました。

「ZOOMでの講義が当たり前になると大量の大学教員が失業するんじゃない?だって、同じような内容で分かりやすくて面白い授業がネット上にアップされていって、それを選択しても単位になるとなったら、みんなそっちに流れるでしょ。『あの先生の授業って退屈、時間の無駄』といった情報はすぐに学生の間に流れるから」

大学側も、卒業に必要な単位の何割かはネット上の講座の受講で代替OKとした方が、人件費の節約になるので、大学教員の大量失業はありうることなのです。

オンラインで誰もが無料で受講できてしまうMOOCs(Massive Open Online Courses:大規模無料公開オンライン講座)がすでにアメリカでは爆発的に増加しており、日本でも今回のコロナ禍で急増しそうな気配です。

https://www.stoodnt.com/blog/most-popular-online-courses-2018/

MOOCsは、インターネットで配信され、無料でアクセスでき、誰でもが登録でき、入学手続きも不要な講座です。講座を修了し、合格と評価された受講者は修了証明を取得することができます。ただし、修了証明の入手については有料のものもあります。

MOOCsの多くは大学が作成し、大手のプロバイダーが配信しています。スタンフォード、MIT、ハーバードといった超一流の大学も活発にMOOCsを作成しています。このMOOCsは、高等教育へのアクセスが困難な国や地域、低所得階層にとっては福音ともいえるもので、SDGsの目標4「高い教育をみんなに」の実現に貢献するものともみなされています。

MOOCsが日本の大学の在り方を根底からくつがえす?

MOOCs の爆発的な普及は、ある特定の大学に入学し、その大学が開設する講義をセットで受講しないと卒業に必要な単位そろえることができない、という日本の大学制度の根幹を崩壊させるかもしれません。そしてそれは10年以内に起きるかもしれません。

もしも、様々な大学が提供したMOOCsの修了証明を相当数取得し、相応の力量を獲得した人が次々と誕生したら、そして、そのような人を企業が大卒者と同等に採用することとなったら、「大卒」の資格を取るために高額の授業料を払う人は激減することになります。

初等中等教育の新学習指導要領では「何ができるようになるか」を「何を学ぶか」「どのように学ぶか」以上に重視しています。同様に高等教育においても、どの大学を卒業したかよりも、「何を身につけることができたか」への転換が示唆されています。

本当に「何を身につけているか」で評価される時代になったら、大学のパッケージされた講義で卒業単位をそろえる必要はなくなります。MOOCsの豊富な品ぞろえの中から受講者が選択して受講し、大卒者と同等のものを身につけることができれば授業料の負担はなくなりますし、わざわざ東京で下宿したりアパートを借りる必要もなくなります。

しかし、文科省や中教審の、少なくとも高等教育関係者はそのような時代が10年後にやってくるかもしれないなどとは、夢にも思っていないようです。それともそのような悪夢を決して実現させないぞ、という固い決意で臨んでいるのかもしれません。

「2040 年に向けた高等教育のグランドデザイン」答申

2018年11月に中央教育審議会から「2040 年に向けた高等教育のグランドデザイン」(答申)が出されました。

https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/1411360_7_1.pdf

その答申では、

世界の高等教育においては、国内の教育機会の提供の段階から、近隣諸国を含めた域内の教育機会の提供の段階を経て、高等教育がまだ充実していない地域での教育機会の提供の段階、そして、MOOC(Massive Open Online Course:大規模公開オンライン講座)をはじめとするオンラインでの教育機会の提供の段階へと在り方の多様化が進み、広がりを見せている。この変化を踏まえれば、高等教育システムは、国、地域を越えて展開される「オープン」な時代を迎えていると言える。

とMOOCに触れてはいますが、その書き方には危機感は感じられません。

そして、相変わらず効果が乏しい「質保証」に多くのページを割いています。1991年の大学設置基準の大綱化以降、大学に改革を促す答申は7回出されていますが、そのたびに「質保証」という名目の規制強化打ち出されました。しかし、それがほとんど効果を発揮していないことと、「質保証」にこだわる真の理由についての推測を『学校3.0×SDGs』(2020年2月、キーステージ21)に書いたことがありますので、以下に該当部分を転載します。

大学の開設について様々な条件を定めたものに大学設置基準がある。大学設置基準は、1991年に大幅な規制緩和と言ってよい大綱化が行われた。しかし、それ以降、表1に示したように、「自己点検評価」「第三者評価」「3ポリシー導入」「成績評価基準導入」「GAP」設定」「シラバス記述の厳格化」というように、目まぐるしく規制を強化していった。

では何のために規制を強化するのかというと、これまでの大学の質保証に関する中教審答申に書かれたことを一言で言うならば、「今の大学生の学修時間が短すぎるので、改める必要がある」ということであった。それでは、規制強化によって大学生の学修時間が改善されたかというとそうではない。2018年11月に出された「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」を答申においても、「学生の授業出席時間の平均が1週間当たり約 20 時間、予習・復習の時間の平均は約5時間にとどまっており、授業以外の学修時間が非常に短い」と記述されており、過去の規制が何ら効果を発揮しなかったことを自ら認めてしまっている。では本当は何のために規制を強化しているのかというと、学齢人口減少下で、既存の大学の経営基盤を危うくさせる新構想の大学の新規参入を困難にするためと疑わざるをえない。既存の大学の既得権の擁護に真の目的があって、「大学生の学修時間の向上⇒大学生の質の向上」は、二の次であったと思われる。

表1 大学設置基準大綱化以降の質保証に関わる規制強化

上の表中の1998年の「21世紀答申」の正式な名称は、「21 世紀の大学像と今後の改革方針について―競争的環境の中で個性が輝く大学―」です。まさに新自由主義的な発想で、競い合わせれば活力が生み出されるという「競争」のプラス面ばかりが強調されたものでした。「競争」を基調とする政策の強要が大学教育にどれほどのマイナスの影響を与えるか、そして「競争」を当たり前とする大学入試制度が、高等学校以下の教育どれほどゆがめてきたか、にまったく頓着していません。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/006/gijiroku/011001/011001d3.htm「21世紀答申」の骨子の説明(文部省作成資料の抜粋)

「グランドデザイン答申」の評価すべき点と物足りなさ

大学に関する答申の基調は、その後も大きく変えられることはなく、今回の「グランドデザイン答申」でも、「国際競争」「経済競争」「大学間競争」などの文字が散りばめられています。ただし、今回の「グランドデザイン答申」では、トーンが若干変化しており、「既に人類が抱える課題は国境を越えたものとなっており、人類の普遍の価値を常に生み出し、提供し続ける高等教育を維持・発展させるためには、質を向上させるための切磋琢磨は必要であるが、国内外で機関ごとにただ「競争」するのではなく、課題解決等に協力して当たるための人的、物的資源の共有化による「共創」「協創」という考え方により比重を置いていく必要がある。(p.5-6)」といった記述も登場しています。

また、「2040 年頃の社会変化の方向」では、(SDGs が目指す社会)を、(Society5.0、第4次産業革命が目指す社会)や(人生100 年時代を迎える社会)、(グローバル化が進んだ社会)よりも前に位置づけて記述しています。

さらに、地方創生という観点から、地域の高等教育機関が中核となる「地域連携プラットフォーム(仮称)」の構想を打ち出し、2020年3月にはそのガイドライン案が公表されています。この「地域連携プラットフォーム(仮称)」構想については、稿を改めて述べたいと思っています。

以上のように、「2040 年に向けた高等教育のグランドデザイン」答申では、評価すべき点もあります。しかし、大学入学制度が2040年にはどのような姿になっているべきか、ということについても、また、そもそも2040年の時点で日本の高等教育がどのような姿になっているのかについてもまったく語られていません。現在の高等教育の抱える課題を克服していく方向性は示されていますが、あくまでも現行の制度の延長線上のものでしかありません。これから20年後の社会の大変化をほとんど想像できていない、まさに「貧困な想像力」を露呈してしまったものと言わざるをえません。

20年後の初等中等教育が依然として大学入試によってゆがめられている、という事態を避けるためには、文科省や中教審の描いている姿ではない、場合によっては、文科省の認可や学校教育法第1条校ではない高等教育機関が今後続々と誕生し、それが主流になっている必要があるかもしれません。

2020年10月22日

「令和の日本型学校教育」が描く理想と現実のギャップ

なんでいま「令和の」なの?

中央教育審議会初等中等教育分科会は、10月7日に「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して ~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと, 協働的な学びの実現~(中間まとめ)」を発表しました。2021年1月には最終答申が提出されると予想されています。「最終答申」で「中間まとめ」に示された根幹がくつがえされることはまず考えられないことです。したがって、この「中間まとめ」の方向で施策が進められていくと受け止めて今後各方面で様々な準備がなされることになります。

文科省「令和の日本型学校教育」の構築を目指して、中間まとめ | 教育 ...
https://www.mext.go.jp/content/20201007-mxt_syoto02-000010320_1.pdf

今回の「中間まとめ」の発表で、「令和の日本型学校教育」という名称が話題になっています。「えっ、なんで「令和の」なの?」というのが、率直な感想でした。しかし、もう少し素直になれば、平成の教育から脱する意思を明確に示そうとしたと捉えるべきなのでしょうか。社会の変化が著しく将来の予測が困難な時代であるだけに、「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」(答申)のように20X0年を使うと、「20X0年時点での社会の変化をその程度にしかイメージできないの?」というような批判を浴びてしまいます。そうしないためには、「令和の」は賢明な選択だったいうことにしておきます。

「日本型学校教育」って、何?

さて、問題は「日本型学校教育」です。

実は、私の専門の環境教育の領域では、1992年に『日本型環境教育の「提案」』という書物が刊行されています。副題に付された「自然との共生をめざして」からある程度は書名の意図が推測されます。つまり、自然を人間が支配する対象と捉えがちな西欧的な、あるいはキリスト教的な世界観ではない、自然との共生を目指すところに「日本型」と名付けた所以がありそうです。では、「日本型学校教育」とはいったいどういうものなのでしょうか?「中間まとめ」には次のように書かれています(p.3)。

学校が学習指導のみならず,生徒指導等の面でも主要な役割を担い,様々な場面を通じて,児童生徒の状況を総合的に把握して教師が指導を行うことで,子供たちの知・徳・体を一体で育む「日本型学校教育」は、・・・・

つまり、徳育は家庭や教会が担い、体育は地域が担い、学校の先生はもっぱら知育に専念する欧米の学校と異なり、知育、徳育、体育をすべて学校が担うのが「日本型学校教育」であると捉えています。そして、続く・・・・の部分には、「全ての子供たちに一定水準の教育を保障する平等性の面,全人教育という面,卓越性という面などについて諸外国から高く評価されている。」と書かれています。日本の学校教育が抱えている様々な課題を深く知らない諸外国の方々からは、高い評価を受けるのかもしれません。

知・徳・体の一体は教育の本道、でもすべてを学校が担うの?

しかし、教育というものが本来あるべき姿を考えてみると、高い評価は案外的を射ているのかもしれません。なぜならば、子どもたちを大人にしていく教育という営みを、欧米のように知育、徳育、体育に分解して指導することが適切であるとは言えないからです。それぞれを専門とする人がその分野について最適の教育を別々に授けたからといって、全人的に優れた人間が形成されるわけではありません。要素に分解し、それらを集めてみても本当の姿とはかけ離れたものになりがちです。

近代教育は、効率を追求するために教えるべきことを教科に分解して教科教育を追究するやり方を150年続けてきました。その大きな弊害に気づいて、ようやく「総合的な学習」や教科横断的な学びを重視する「カリキュラム・マネジメント」を強調するようになってきています。同様に、全人教育を目指す場合、知育、徳育、体育を分解することなく一体として捉えるのは教育の本道であり、その価値が高く評価されるのは当然かもしれません。

しかし、子どもを大人にするには知育、徳育、体育を一体として捉える教育が適切であるという理想と、その知育、徳育、体育のすべてを今日の「学校」という制度が引き受けるという現実の間には大きな隔たりがあります。なぜならば、今日の学校という仕組みが知育、徳育、体育のすべてを引き受けるように設計されていないからです。

知育・徳育・体育の統合と「学校」の制度設計のギャップ

教員免許制度を例に挙げれば理解してもらえるはずです。1949年に作られた日本の教育職員免許法では、中学・高校の教員免許は教科ごとに発行されており、それは71年を経て社会が大きく変わった今も変わっていません。全教科を教えることが前提となっている初等教員免許についても、免許取得に必要な単位の多くは教科に関するものです。そして現在も教員養成系の大学の教員の8割以上が教科教育や教科内容の専門家で占められています。

また、教員の過剰労働も既存の制度が今の時代に合わなくなっていることを物語っています。「中間まとめ」は教員の過剰労働についてもその実態を次のように述べています(p.9)。

その一方で,教師の長時間勤務の状況は深刻であり,特に近年の大量退職・大量採用の影響等により,教師の世代交代が進み若手の教師が増えてきた結果,経験の少なさ等から,中堅・ベテラン教師と比べて勤務時間が長時間化してしまったことや,総授業時数の増加 部活動の時間の増加などにより平成 28( 2016 )年度の教員勤務実態調査によると平均すると小学校では月に約 59 時間,中学校では月に約 81 時間の時間外勤務がなされていると推計されている。

このような事態に対し、教職員定員改善の予算確保など文科省としてもしっかりと向き合ってきていますので、以下の記述(p.13)は肯定できるものと言えます。

文部科学省では 学校における働き方改革を強力に推進するため文部科学大臣を本部長とする「学校における働き方改革推進本部」を設置し 文部科学省が今後取り組むべき事項について工程表を作成し勤務時間管理の徹底や学校及び教師が担う業務の明確化・適正化,教職員定数の改善充実,専門スタッフや外部人材の配置拡充など,学校における働き方改革の推進に取り組んでいる。

地域や学外者との連携・協力が出来ているのはほんの一握り

しかし、現在の「学校」が抱えている問題は、「働き方改革」を進めることで解消できるようなものだけではありません。「中間まとめ」でも、教員の長時間労働以外にも様々な課題があることを、「(3) 変化する社会の中で 我が国の学校教育が直面している課題」として5ページ目から7ページにわたって縷々書き出しています。

そして、これらの課題を克服する具体的な方策として、「4.「令和の日本型学校教育」を構築する今後の方向性」では、「・・が必要である。」「・・が求められる。」「・・すべきである。」「・・が重要である。」などで締めくくられる項目が18ページ目からやはり7ページにわたって列挙されています。そこには次のような項目も掲げられています。

○また,コミュニティ・スクール 学校運営協議会制度の設置が努力義務であることを踏まえ,また,地域学校協働本部の整備により,保護者や地域住民等の学校運営への参加・参画を得ながら学校運営を行う体制の構築を図り,地域全体で子供たちの成長を支えていく環境を整えていくことが必要である。

○その他学校が家庭や地域社会と連携することで,社会とつながる協働的な学びを実現するとともに,働き方改革の観点からも,保護者やPTA,地域住民,児童相談所等の福祉機関,NPO,地域スポーツクラブ,図書館・公民館等の社会教育施設など地域の関係機関と学校との連携・協働を進め,学校・家庭・地域の役割分担を文部科学省が前面に立って強力に推進することで 多様性のあるチームによる学校とし,「自立」した学校実現する ことが必要である 。

さいわい私が関与している学校の場合は、優れた管理職の下で地域との連携や様々な学外者との協力関係の構築が比較的うまく進んでいます。しかし、上記のような連携・協力関係が実現できている学校はほんの一握りでしかありません。

そもそも、国民国家に忠実に奉仕する人材を大量に供給することを目的として成立した国民国家型の教育システムの下で成立した様々な仕組みを温存したまま、学校教育が新たな持続可能な社会の創り手を育むという重大な目標を達成することは可能なのでしょうか。

理想の実現には「学校教育」のシステムの根本的な変革が必要

知育、徳育、体育を一体として捉え、全人教育を追究する姿勢を維持しようという理想は間違っていないと思います。しかし、150年前と現在とでは社会が大きく変わっており、今後さらに急速に変わっていきます。また学校教育の目的も変わっています。そのような中で理想を維持していくには、学校という仕組みを根本的に変えなければ無理な話です。学校教育のシステムをすっかり変える「変革(transformation )」は不可欠です。それにもかかわらず、「中間まとめ」は次のように述べています(p.17)。

このためには「我が国の学校教育の在り方を根本から見直さなければならないのか」 という疑問が生まれ得るが,そうではない。むしろ,(中略)明治から続く我が国の学校教育の蓄積である「日本型学校教育」の良さを受け継ぎながら更に発展させ,学校における働き方改革とGIGA スクール構想を強力に推進しながら,新学習指導要領を着実に実施することが必要である。

教員の働き方改革とAIを駆使するGIGA スクール構想で乗り切れると言わんばかりの述べ方です。実際には、「中間まとめ」では、すでに言及してきたように外部人材の活用や地域との連携の重要性を指摘しており、その一層の推進が求められることを強調しています。しかし、「学校教育の在り方を根本から見直さなければならない」という厳しい決意なしに、「中間まとめ」が描く理想を追求していくことは、ひずみを拡大するばかりで、とんでもない「学校」を生み出していくことになりかねません。「無理を通せば道理が引っ込む」と言わんばかりの「・・が必要である。」「・・が求められる。」「・・すべきである。」が羅列された政策は持続可能ではなく、さらなる混乱を引き起こすことになります。

「学校教育の在り方を根本から見直す」方向に早く舵を切り替えてほしいものです。

2020年10月19日

北杜市と関係人口

「交流人口」とも違う「関係人口」

 「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉です。多くの地方都市では、人口減少・高齢化により、地域づくりの担い手不足という課題に直面しています。しかし他方で、地域によっては若者を中心に、変化を生み出す人材が地域に入り始めています。地域外に住みながら、地域に度々やってくる「関係人口」は、地域づくりの担い手となることが期待されています。

https://www.soumu.go.jp/kankeijinkou/about/index.html

総務省や国土交通省は、関係人口の創出や拡大に向けて、様々な取り組みをしています。関係人口と地域との協働に取り組む地方公共団体のモデル事業への支援もその一つです。そして全国に向けた情報発信・情報共有により、こうした取り組みをさらに深化させています(参照:令和2年度関係人口創出・拡大事業)。

関係人口拡大は喫緊の課題であり避けて通れないテーマです。とは言っても国土交通省の資料によると、全国の地方都市は、関係人口拡大はまだまだ容易ではありません。なぜなら、地域との関わり度合いに応じて課題が異なるため、それぞれの段階に応じた対応の整理が必要だからです。

https://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/content/001352979.pdf

山梨県や北杜市と「関係人口」

人口減少や高齢化の進行が著しい山梨県においても「関係人口」を増やそうという努力が見られます。「ふるさと山梨に貢献したい」、「山梨に元気になってもらいたい」、「山梨をもっと知りたい」という想いを持っている、山梨県人会の会員や山梨県にゆかりのある都市在住者、あるいは山梨県ファンで年に何回もやってくる人々は少なくありません。そのような人々の想いを具現化するため、まずは、 地域とつながる機会・きっかけを提供することで「ふるさと未来投資家」になってもらい、 ふるさと納税をはじめとする多様な関わりで地域と継続的につながる仕組みを構築するといったものです(参照:“REBIRTH”「ふるさとやまなし」プロジェクト)。

そんな中、北杜市は幸い「地方回帰の動き(三大都市圏からの転入超過回数)」が高い数値を示しており、客観的にいって関係人口拡大に向けて良好な環境である都市だといえます。

https://www.mlit.go.jp/common/001256022.pdf

北杜市が更なる発展を求めた地域づくりを進めていくためには、地域の主体性を前提としつつも、外部アクターとの連携を強調する「新しい内発的発展」を実現していく必要があります。その外部アクターの一例として関係人口が想定され、意欲の高い地域住民と関係人口が共通の価値観でつながる新たなコミュニティを形成しつつ、連携・協働しながら地域づくりに取り組んでいくことが重要となるわけです。

北杜市民と関係人口が連携・協働するにあたっては、北杜市側が目指すべき方向性を明確化し、関係人口とどのように連携・協働していくのかについて、予め北杜市側で話し合いをしておくことが必要なのではないかと思います。

人口の減少、特に若年人口の減少は学校の統廃合などを引き起こしますが、逆に、地域の教育の魅力が向上すれば、その地域に子育て世代を呼び込むことにもつながります。地域の教育の魅力化と地域の活性化を重視している八ヶ岳SDGsスクールの活動に「関係人口」の拡大を意識したものを取り入れるといいのでなないでしょうか。

https://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/content/001352979.pdf

2020年10月4日

「人類史の潮流を変えはじめたSDGs」

甲府市倫理法人会の経営者モーニングセミナー

9月30日の早朝、甲府市倫理法人会の経営者モーニングセミナーにおいて、「人類史の潮流を変えはじめたSDGs」というテーマで約40分間話をしました。

参加者は30人弱でしたが、会場は甲府市商工会議所の5階大会議室。コロナを配慮して大きな会場に分散して着席するよう配慮されていました。演台には中秋の名月をあしらった花が生けられ、その下には紅色のカラスウリが4個。季節感たっぷりの環境を準備されていました。さすがに倫理法人会の皆様、終始姿勢正しく、集中して聞いていただき、気持ちよく話をすることができました。

SDGsの現状と課題

話の前半では、SDGsの概略の説明で、目標1から目標17までのすべてについて、近年の推移を示すグラフや図を付したスライドを使って説明しました。そのうえで、SDGsの現状と課題として、

1.社会的な状況は、大きく改善されている。MDGs(ミレニアム開発目標:2001~2015)により、途上国での改善は著しい。

2.経済的な状況は、予断を許さない。格差は着実に拡大しており、AIの進展による労働環境の変化が幸せをもたらすかどうかは不透明。

3.生態的な環境は、一層悪化している。地球温暖化や生物多様性の減少は深刻な事態にあるが、事態を好転させる動きは不十分。

4.平和や公正に向けた取り組みや、様々なパートナーシップは着実に進展している。

とまとめてみました。

下のスライドは、目標11「住み続けられるまちづくりを」の説明で用いた図です。社会インフラの老朽化が進む図を示しながら、人口減少社会に入った日本では、新たな利便を求める公共事業からの勇気ある撤退も、SDGsに貢献することであると述べました。

人類史の潮流の変化に主体的参画を

後半では、以下の3つの事例を紹介し、そこからの類推として、下のスライドを用いて、利便・欲望・利益追求と中央主権・大都市集中に向かっていた人類史の潮流が、社会や環境を重視し、地方への分権や還流へと大きく変化し始めており、そこには「SDGsの理念」や「SDGsの価値観」の広がりが大きな影響を及ぼしていると述べました。

①経済界では、これまでの利益一辺倒から「社会や環境が正常に機能してこその経済活動」と認識をかえはじめており、その背後には環境、社会、企業管理を重視する企業に限定して投資するESG投資が拡大している。

②コロナ禍の中で中央政府より地方自治体の存在感が増している例挙げながら、特に「SDGs未来都市」のプレゼンテーションを見ていると、地方自治体が中心となって地方創生に向けて積極的に取り組み始めている。

③学校教育においても、文部科学省が学校以外の様々な機関や団体が、子どもたちをアクティブラーナーに育てるという将来構想を描いているが、個々の学校ではそれを先取りした実践が試みられており、杉並区立西田小学校の「NISHITA未来の学校」では、大人と子どもが同じ立場で発表・質疑・応答をする双方向の学びが展開されていた。

そして、最後に「これからのSDGs時代にあっては自ら参画すること、そして周りの人たちに参画を促すことが、持続可能な社会を構築するためには最も重要なのではないか」と述べて締めくくりました。

モーニングセミナー終了後の朝食会にも招かれましたが、そこではほぼ全員の方から講演に対する好意的な感想をいただきました。また、何人かの方々からは、SDGsの何らかの目標につながる取り組みの実践事例の紹介もありました。

PAGE TOP