学校教育とSDGs

2021年8月8日

教育改革の潮流とオーバーロード(その3)

―7月24日の特別講演会で伝えたかったこと―

学校には課題満載。未来のための改革は必要。しかし、過剰負担は避けたい。では、どうすればよいのでしょうか?文科省が提示している一つの答えが学校と地域の密接な連携・協力です。今回の学習指導要領改訂のキャッチコピーとして「社会に開かれた教育課程」を掲げたのは、かつての地域社会との間に高い壁を設けていた学校との決別の強い意志とも言えます。学校と地域の連携・協力については、1995年の中教審に対する文部大臣諮問に「学校・家庭・地域社会の役割と連携の在り方」に盛り込まれて以降、学校評議員制度や学校支援ボランティア制度、さらに「学校運営協議会」や「チームとしての学校」などの仕組みが整備され、かつての「地域に開かれた学校」という言い方が、「地域とともにある学校」に変わり、「連携・協力」も「連携・協働」が使われるようになっています。筆者自身も杉並区立西田小学校の学校運営協議会の会長を5年近く経験し、学校と地域の協力・協働が、学校が抱える様々な負担軽減にも大きな役割を発揮してきていることを実感しています。しかし、それがしっかりと根付くには、いわば上からの政策とともに、地域関係者や当該学校関係者の自発的・主体的な参画によって立ち上げられたNPOによる下からのサポートが求められるようになっていると感じています。

学校をサポートするNPOの役割としては、例えば指導の困難な子どもたちの増加への対応や、学外人材との橋渡しなど、学校が現在直面している課題への対応などがあります。しかし、多様な人々から構成されがちなNPOは、「タテ社会」の傾向のつよい学校の「ヨコ社会化」に貢献すると思われます。特に教職員が、自分の居住地域の学校サポートNPOに参加したり、以前の勤務校のNPOに加わって学校をサポートすると、教員の交流関係が学校外にひろがり、7枚目のスライドで示した未来の学校(≒Society5.0 時代の学校)を担うにふさわしい資質を身に付けていくことが期待できます。近未来の持続可能な社会、多文化共生社会、生涯学習社会に適合した学びの場として筆者は「地域の学習共同体」を構想していますが、そのような未来の学びの場の構築のためにも、教育サポートNPOの普及・定着は需要なステップと捉えています。

教育NPOの基本的な役割は、学校教育の支援です。その範囲は多岐にわたるでしょう。当面、教員の多忙の大きな要因となっている部活動を地域が引き受ける場合、教育NPOが受け皿になることが考えられます。また、スライドの18枚目、19枚目に示したスマホの利用時間の急増や外遊びの減少といった、情報化の進展に伴う負の側面の拡大に対応した活動の支援が重要だと感じています。具体的には、多忙を極める学校では対応しにくいフィールドワークや自然体験などを学校に代わって実施し、子どもたちが人間本来の感性を取り戻したり野生の姿の追体験の支援が求められていると思っています。

それでは、学校と地域の連携・協働が進み、教育支援NPOが普及・定着していけば、学校・教師・児童生徒のオーバーロードは解消されるのでしょうか?学校教育の在り方の根本に、勘違いや攪乱要因が作用して、様々なストレスやオーバーロードをもたらしているのではないでしょうか。そのことに気付かせるとともに、具体的な処方箋を示してくれていると感じたのが、パシ・サールベリー氏が著したFinnish Lessons (フィンランドの教訓)です。2011年の初版の後、2015年に第2版、2021年1月に第3版が出版されています。

フィンランドは、2000年にOECDが実施した最初のPISA調査で、読解力で世界第1位、科学的リテラシー、数学的リテラシーでも世界3位と4位という好成績を示し、世界中の教育関係者から注目された国です。著者のパシ・サールベリー氏は、教職経験を経た後、フィンランドの教育行政に関与するとともに、その後OECDや世界銀行で世界各国の教育の実態に精通するようになった人で、その経験からフィンランドの好成績の要因を絞り込んでいます。その第1番目が4つのパラドックスで、とりわけ1番目の「教えることを減らすと、より多く学ぶようになる」と2番目の「テストを減らすと、より多く学ぶようになる」は、これまでの学校教育関係者の多くが思い込んでいたことに反するものだけに注目されました。3番目の「たくさん遊ぶと、より多く学ぶようになる」に2021年出版の第3版で初めて登場したものです。フィンランドは、過去20年間に相当数の移民を受け入れており、PISA調査では、じわじわと順位を下げていますが、依然としてEU諸国の上位に位置しています。

この図は、OECD加盟各国のジニ係数(=所得の不平等指数)と子供の貧困率を示したものですが、フィンランドはいずれも低い水準で、公平性の高い国家といえます。パシ・サールベリー氏はパラドックスの4番目として、経済面でもまた教育面でも公平性を高めることが学びの質を向上させると指摘しています。

この図はFinnish Lessonsには掲載されていませんが、Youtubeにアップされたパシ・サールベリー氏のアメリカでの講演で提示されたものです。PISA調査の科学的リテラシーの成績をみると、フィンランドの学校内での成績のばらつきは小さくありませんが、学校間の成績のばらつきが極めて小さいことがわかります。これは、フィンランドが、地域間の経済格差による教育格差が小さく、私立学校がほとんどなく、公立校でも学校選択制度がないというような公平性を貫いていることでもたらされており、結果的に国家全体としての教育の質を高めているとパシ・サールベリー氏は説明しています。

学校間のばらつきを小さくさせているもう一つの重要な要因は、フィンランドの現在の学校制度にあります。この左側の図は、1970年以前のフィンランドの学校制度で、10歳から12歳の段階で高等教育を目指すか、職業学校に進むかに分かれる制度が採られていました。しかし、1970年代の学校制度改革で、右側の図のように小中一貫の総合小中学校ペルスコウルのみに一本化され、校区内に住む子どもたちは校区内のペルスコウルに通うことが原則とされました。この学校制度改革によって、中学校卒業までの教育の公平性が確保されました。

ただし、フィンランドの好成績は、公平性の確保などの4つのパラドックスだけで実現されたものではありません。パシ・サールベリー氏は、“The Finnish Advantage    The Teachers”という章を設けて、フィンランドでは教師という職業が高く評価され、将来なりたい職業の最上位にあることを述べています。それとともに、そのような優秀な教員集団が育成されるうえで、①世界レベルの教師教育プログラムの確立し、小学校教師も修士課程卒を原則とし、教師を実践者であるとともに研究者として位置づけていること、②カリキュラムや学校改善の主役を教師に付託し、教師としての専門知識と判断力を行使できるような教師の自律性を確保すること、が重要であると指摘しています。まさに、佐藤学氏が一貫して重視している「専門家としての教師」の集団を生み出すことに成功しています。

学習者自身の主体性・自律性・協働性を重視するアクティブ・ラーニングが真の学力向上をもたらすのと同様に、質の高い教師教育プログラムを準備するとともに専門家としての教師の主体性・自律性・協働性を尊重した授業実践や学校運営が好結果を生み出していると言えるのではないでしょうか。教師を管理するのではなく、教師の主体性・自律性・協働性が発揮される環境作りが日本でも求められていると思います。

Finnish Lessonsで強調されているフィンランドの好成績のもう一つ要因として、サールベリー氏がグローバル教育改革運動(GERM=病原菌、Global Education Reform Movement、英語読みでは「ジャーム」、「ゲノム」風に読めば「「ゲルム」)と名付けた、新自由主義的な教育手法をフィンランドが採用しなかったことをあげています。GERMの例として、①学校選択制の導入などの入学者獲得を巡る学校間の競争、②生徒の成績に対する学校や教師の説明責任、③教師への業績に基づく給与査定、④入学者の少ない学校の閉鎖、⑤チャータースクールの開設、などが挙げられており、これらに対し、「産業界でも時代遅れとなった管理モデルに基づく教育制度改革」と断罪しています。逆に、逆に、学校間の協力、教師への権限移譲、教師の教育力向上政策、公平性確保のための資金供与、教師と校長の専門性への信頼等、フィンランドが築いてきた学校文化の有効性を指摘しています。

パシ・サールベリー氏は2014年に行った講演で、このスライドに見られるように、GERMとフィンランドの方法を対比させたわかりやすい図を提示しています。日訳を付さなかった斜めの部分、すなわち“Marketization(市場主義)”と”Professionalism(専門性(尊重))“は、対応関係とは言い難いのですが、GERMとフィンランドの方法の違いの重要な点を浮き彫りにしています。

パシ・サールベリー氏によると、フィンランドは新自由主義的な教育改革は受け入れなかったが、①ジョン・デューイの教育哲学、②協同学習(cooperative learning)、③多重知能(multiple intelligences)、④代替教室評価(alternative classroom assessments:標準化されたテストによる評価に代わるポートフォリオ評価など)、⑤ピア・コーチング(peer coaching: ティームティー チングを通した授業改善)、といったアメリカで開発された教育手法を積極的に受け入れていると述べています。

フィンランドの教育制度改革として特筆すべきものは、1970年代の小中一貫総合学校(ペレスコウル)の創設ですが、世界各国と同様に、社会の大きな変動がもたらす新たな教育課題への対応を求められてきました。それらに対し、フィンランドはおおむね適切な対応をして、レベルの高い教育の維持を果たしてきた、とパシ・サールベリー氏は評価しています。しかし同時に、第3版では、二つの問題に対する懸念にも言及しています。その一つは、2010年以降の予算削減によって、学校とクラスのサイズが大きくなり、特別な支援を必要とする子どもたちが取り残されがちになっていること、そしてもう一つは、若者たちがデジタルなメディアやテクノロジーに過剰な時間を費やすというような若者の変化によって、学校での心理的、情動的、社会的、認知的な課題を持つ児童生徒の数が増えてきていることです。情報通信技術の進展の負の影響は、フィンランドでも無縁でないようです。

以上述べてきたように、2000年以降、OECDが新たな学校教育の在り方を牽引しようとしており、特にラーニング・コンパス2030が示した「変革をもたらすコンピテンシー」の育成は、SDGsに呼応するものとして画期的なものです。しかし、伝統的に学校が担ってきた教科学習の縮小が進まないまま、新たな教育課題に取り組むことは学校にとっても教師にとっても、また児童生徒にとってもオーバーロードをもたらします。

それでは、そのようなオーバーロードを回避する道はあるのでしょうか?このスライドで示したのは、その可能性を開く一つの方策として文科省も推進している学校と地域の連携・協力・協働、もう一つの方策としてFinnish Lessons が示唆する学校教育の原点回帰を取り上げ、それらを掛け合わせることである程度の効果を発揮しうるではないかという提案です。前者については、上からの政策だけでは不十分で、地域の教育NPOのサポートが重要であり、後者については、競争原理の排除と教師への信頼に基づくカリキュラムや学校改善の権限移譲(エンパワーメント)が眼目と言えます。言い換えると、次の時代の地域社会の担い手を育むという教育の本来の姿に少しずつ意識的に戻していくことと言えるかもしれません。

すでに半世紀ほど経過するかもしれませんが、経済学者の宇沢弘文氏が、社会が共通に利益を受ける自然環境やインフラや制度を「社会的共通資本」とし、学校教育制度もその一つに位置づけています。そして、社会的共通資本の管理・運営については、国や官僚に任すのではなく、社会がその役割を担うべきであると論じています。経済的な発展拡大に代わって持続可能な社会の追究が基調になるSDGs時代はおいては、新たな「定常型社会」の到来も予測されています。そこでは、「社会的共通資本」としての学校は、漠然とした「社会」ではなく、自立的・自発的な個人からなる「新しいコミュニティ」が管理・運営する姿を目指すべきなのではないでしょうか。そこで展開されているのは「地域の誰もが学びに参加する」「地域の全員で次世代を育てる」姿で、名付けるとすれば、「地域の学習共同体」と言えるのかもしれません。(完)

2021年8月6日

教育改革の潮流とオーバーロード(その2)

―7月24日の特別講演会で伝えたかったこと―

この図が、OECD のEducation2030プロジェクトが2019年に提示したラーニング・コンパス2030です。仲間や教師、親、コミュニティに見守られながら、学習者がコンパス(羅針盤)を用いて、様々なルートをたどり、最終的な目標である“Well-being 2030”を目指すイメージが描かれています。羅針盤の「針」の部分には知識・態度・価値観・スキルというコンピテンシーが配されていますが、水色に着色された羅針盤の「盤」の部分に、①新たな価値の創造、②対立やジレンマへの対処、③責任ある行動、の三つの「変革をもたらすコンピテンシー(Transformative competencies)」が置かれている点が画期的です。2030 という数字からもSDGsが記述された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を意識したものであることがわかりますが、このTransformative competenciesも、2030アジェンダの冒頭に書かれた”Transforming Our World(我々の世界を変革する)”を連想させます。なお、『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来』(白井俊著、ミネルヴァ書房、2020年12月)には、このラーニング・コンパス2030が誕生するに至った経緯と詳しい解説が記載されています。Transformative competenciesの訳語として7月24日のプレゼン段階では「変革的コンピテンシー」を使っていましたが、白井氏の「変革をもたらすコンピテンシー」がその意を的確にとらえているので、修正しています。

OECDの「教育とスキルの未来2030プロジェクト」(通称Education 2030 Project)は2015年に活動を開始し、フェーズ1の締めくくりとして2019年にラーニング・コンパス2030を提示しました。現在はフェーズ2として評価、教育法、管理運営を開発している段階です。OECDがキー・コンピテンシーの後継ともいえる新たな教育指針を開発・提示することになった背景には確実にSDGsがあります。つまり、①コンピテンシーは人材論、組織論から出発したこともあり、社会経済の変化に対応する力を求めました。しかし、②SDGs時代にあっては、対応するという力を育むという受け身の姿勢ではなく、あるべき社会を作り上げる能動的な姿勢が求められる、という認識に変わっていったと思われます。Education 2030 Projectが提示する文書には、ラーニング・コンパス2030の核心をなすキャッチコピーとして“The Future We Want”(私たちが実現したい未来)が繰り返し登場してきます。

ラーニング・コンパス2030の重要なキーワードは「エージェンシー」です。エージェンシーという言葉は、通常「代理店」などに使われますが、心理学などでは「行為主体」を表しており、Education 2030Project では「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」と定義しています。「エージェンシー」は、羅針盤を用いて未知なる環境の中を自力で目標達成に向けて歩みを進めるイメージですが、エージェンシーは一人だけで発揮されるものではなく、仲間や教師、親、地域の人々という周囲との関係性の中で育まれ、発揮されるものであることから、「共同エージェンシー」が大きな役割を果たすことが期待されてるように説明されています。白井俊氏の訳語に従って「共同エージェンシー」としましたが、関連する文書でも”work together”という言い方が出ていますので、「協働エージェンシー」でもいいのかなと思っています。日本の教育改革の第三のベクトルと述べた「ヨコ社会化」に通じるものと捉えています。 ラーニング・コンパス2030のもう一つの最重要キーワードはWell-beingです。個人の場合は、心身ともに健康で充足した状態を表す概念ですが、個人のWell-being以上に社会のWell-beingを重視した説明がしばしばなされています。この点でも、SDGsが目指す方向や価値観との一致を感じさせられます。

OECDが以前に提示したキー・コンピテンシーが、主要国のカリキュラム改革に大きな影響を与えたように、新たに提示したラーニング・コンパス2030も、世界各国の学校教育の在り方に大きな衝撃を与えることになると考えています。つまり、「実現したい未来」を実現する能力を育む学校教育への転換が、これから2030年に向けて世界各国で競い合うように進むであろうと予測しています。筆者がかつて『学校教育3.0』(三恵社、2018年)の中で願望を含めて予測した「持続可能社会型教育システム」への移行が、OECDによるラーニング・コンパス2030によって加速される可能性が拡大してきたと見ています。そして、このラーニング・コンパス2030の示す方向への学校教育の転換は、課題満載の青少年と学校現場を抱えた日本でこそ、求められていると言えます。この図は、2019年に日本財団が発表した「18歳意識調査」という国際比較です。諸外国に比べて、日本の若者の社会変革意識が極端に低いことがはっきりと示されています。特に、「自分で国や社会を変えられると思う」に対する肯定的な回答が、日本の若者は極端に低率です。

日本の学校の抱える大きな課題の一つが教職員の勤務時間の長さで、OECD諸国の中でも突出していることがTALIS2018実施時の調査で明らかになっています。しかも、「教えることに割いた時間」はOECDの平均値よりも少ないぐらいで、全勤務時間の3分の1ほどです。部活指導や事務的な報告、あるいは課題を抱えた児童生徒への対応に多くの時間を割いているという日本の学校の特殊な状態は明らかです。それにもかかわらず、2021年1月の中教審答申「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して」は、「子供たちの知・徳・体を一体で育む」姿を「日本型学校教育」として、その継承を求めています。

OECDが中学校教師を対象に実施した2018年の調査で、「もう一度選べるとしたら、教員として働くことを選びますか?」という問いに対しても、日本はOECD諸国の最下位。このような状況は、教職を目指す人の減少を招き、学校教育のレベル低下を引き起こしかねません。後に述べるフィンランドの事例のように、教師の職業が社会でも高く評価され、教師自身も誇りを持てる職業にすることが求められていますが、なかなかその展望を見い出せないのが現状です。

今日の学校教育のもう一つの大きな課題は、児童生徒に関わる課題の増加です。ここでは小中学校の不登校児の割合の推移を取り上げます。この図からもわかるように、1990年代に急増した中学生の不登校は、21世紀になって高止まり状態でした。しかし、2012年以降、再び増加し始めています。しかも2010年代の増加は、小学生にも顕著にみられます。小中学校段階の不登校は、しばしばその後の「引きこもり」につながりがちで、今や社会全体の大きな課題となっています。しかし、この大問題の原因解明は進んでいないように思います。もちろん社会的なストレス増加が大きく関わっていることは想像できますが、以前にこのコーナーの「小学生の異変」で触れたように、有害化学物質の関与も考えられます。

文科省はGIGAスクール構想を打ち上げ、学校におけるICTの活用を進めようとしています。しかし、青少年の日常生活におけるICT化は、スマホの普及によってすでに著しく進んでいます。ただし、それが好ましい方向に進んでいるとは言い難い面があります。デジタルアーツ社が10年以上にわたって実施してきた未成年のスマホ利用実態調査は、2015年から2019年までの4年間で小中学生の1日平均のスマホ使用時間が約1時間増えたことを明らかにしています。この図を作成した後に、2020年の調査結果のデータに接し、若干減少していてホッとしました。一方、ゲーム機器やスマホなどの機器の普及と、子どもたちの外遊びの時間が減少の一途を辿っていることも確認できます。

しかし、ホッとしたのは一瞬でした。2019年と2020年の小学生の平均利用時間の内訳をみると、一日平均6時間以上スマホを利用している比率が2019年は6%弱でしたが、2020年では約13%と倍増しています。2019年の方は単に「小学生」と書かれており、2020年の方は「小学校高学年」と書かれていますが、2019年の調査も10歳以上が対象とされていますので、対象もほぼ同じです。ちなみに、2020年の調査は、2020年2月21日(金)~2月25日(火)に行われており、安倍前首相による全国一斉の休校がはじまる前の時期ですので、突然の休校で時間を持て余してスマホ三昧が増えたとも考えられません。「スマホ中毒」の比率が、今現在、小学生で急上昇している可能性があります。

1990年頃から約30年の間に世界中で進行した教育改革は、21世の社会に対応する能力育成という、避けて通れない道でした。そして、新たにOECDが提示したラーニング・コンパス2030は、「私たちが実現したい未来」を創り出す能力を育もうというもので、持続可能な未来社会を創ろうとするSDGsに呼応するものです。これも、生態的・社会的な持続可能性の危機が迫っている現在、教育面から取り組むべき最優先事項といえます。

しかしながら、教育改革が打ち出されるたびに、従来の新たな教育課題がこれまで継承されてきた教育課題に上乗せされていくと、教員にとっても児童生徒にとっても、過剰負担が生じますし、カリキュラム自身も許容量を超えるオーバーロード(過剰負荷)となるのは必然です。OECD自身もカリキュラムの拡大と過剰負荷を最小限に抑えるという大きな課題に直面していることを自覚しており、2020年11月には“Curriculum Overload”という冊子を刊行して、その対応策を提示しています。しかし、そこで例示されているのは、既存の教科への埋め込みやクロス・カリキュラムでの対応という、学校内の、しかも既存の大枠の中での対処が中心で、実際に生じるオーバーロードを大きく軽減させるものとなることは期待しがたいと感じています。特に「タテ社会」的傾向の強い日本の学校教育の世界では新たな教育課題が加わった時に、守旧勢力が古いものにこだわり、若い世代も前の世代を気遣うことでスクラップ・アンド・ビルドが起こりにくく、仕事が積み上げられがちだからです。しかも、6枚目のスライドの左下にしっかりと書き込まれているように「学習内容の削減は行わない」と書かれてしまっているので、スクラップ化はしにくい構造となっています。

それではどうすればよいのでしょうか。その一つの答えは、この間、文科省が旗を振り、各教育委員会も積極的に進めてきた学校と地域の密な連携です。地域の応援を得て学校の負担を軽減させようというものです。そもそも、ラーニング・コンパス2030において、変革をもたらすコンピテンシーとして掲げられた「新たな価値の創造」「対立やジレンマへの対処」「責任ある行動」などは、地域社会での活動を通して学ぶ方が効果が大きいものではないでしょうか? そして、どうすればよいのか、に対するもう一つの答えは、「フィンランドの教訓」の中に見出せるのではないかと思っています。このあとは、地域との連携とフィンランドの教訓について述べていきたいと思います。(続く)

2021年8月4日

教育改革の潮流とオーバーロード(その1)

―7月24日の特別講演会で伝えたかったこと―

2021年7月24日に小淵沢市のアルソア・コミュニティ・ホール「陽樹」で、NPO法人八ヶ岳SDGsスクール主催の第2回特別講演会「未来の教育改革を創造する」を実施しました。当日の諏訪の「教育改革の潮流とオーバーロード」と題したプレゼンテーションは、時間の制約から提示したPPTも3分の2に削減し、説明も大幅にカットしたものでした。ここでは、もともと準備したPPTに簡単な説明を付して、「7月24日の特別講演会で伝えたかったこと」を、3回に分けて書いていきます。

プレゼンテーションの骨子は、ここに掲げた6項目ですが、特に3の「OECDが2019年に提示したラーニング・コンパス2030」と、6のFinnish Lessons (=フィンランドの教訓)は、 まだ日本ではそれほど広く知られてないので紹介します。ラーニング・コンパス2030はSDGsに呼応した画期的な提案ですし、Finnish Lessonsが示唆するフィンランドの教育政策は、教育改革に伴うオーバーロード(過剰負荷)回避の参考になると思います。

1990年以降、世界の教育改革の潮流は、大きく変化してきました。最初の変化は、教師による知識注入型の教育」から「学習者中心の学び」への改革で、アクティブ・ラーニングという言葉に象徴される教育方法の改革が進みました。2000年以降は、世界の経済発展を目的とするOECD(経済協力開発機構)が教育改革を牽引しているように見えます。OECDが2000年から3年ごとに実施してきたPISA調査と2002年に提示したキー・コンピテンシーという概念は、主要国のカリキュラムを「何を学ぶか」という内容重視から「何ができるか」という到達目標重視に転換させてきました。そしてOECDが2019年に提示したラーニング・コンパス2030は、最終的には、社会的Well-being実現のための教育改革の提案で、SDGsが描く将来像に対応したものとみることができます。一番右に書いたように、学校教育の大きな目標が「個人の変容」から「社会の変容」に移行しつつあるとも言えます。

「何を学んだか」から「何ができるか」への変革を牽引したのは、OECDが1999年から2003年に実施したDeSeCoプロジェクトで、3つのキー・コンピテンシーを提示しました。コンピテンシーは、「特定の文脈における複雑な要求に適切に対応していく能力」のことですが、学校教育では、どのような文脈においても適用できる汎用性の高い鍵(キー)となるものの育成が重要との観点から、「異質な集団で交流する」という社会性、「自律的に活動する」という主体性、「相互作用的に道具を用いる」という、具体的にはICT活用などのスキル獲得という3つを抽出しました。

OECDによる国際的な学力比較調査(PISA調査)に世界の注目が集まり、PISA調査の出題の根底にはコンピテンシーという「何かを成し遂げる能力」を求めているという認識が広がると、多くの国々でコンピテンシー重視のカリキュラム改革が進行していきました。この図はシンガポールの中等教育のカリキュラム改革の向かう方向を示したもので、「市民的リテラシー、国際感覚・異文化に対応するスキル。批判的・創造的思考力。コミュニケーション・協働性・情報に関するスキル」といったコンピテンシーの獲得によって、「自信のある人、自発的な学習者、能動的な貢献者、当事者意識のある市民」を育むことを目指しています。

これはニュージーランドの新しいカリキュラムの骨格を示した図です。従来の教科・科目に相当する「学習領域」の隣に「キー・コンピテンシー」が列記されています。さらに注目したいのは、「学習領域」「キー・コンピテンシー」と並んで、「価値観(values)」が記載されている点です。実はシンガポールの教育改革の図でも中心に「核となる価値観(Core Values)」が置かれています。コンピテンシー・ベースの教育改革を進めるうえで、価値観を根底に据えることが不可欠という認識が広がったものと思われます。

実は、日本の現行学習指導要領も、中教審による審議段階でたびたび示されたこの図にあるように、「何ができるようになるか」を一番上に位置づけており、コンピテンシー・ベースのカリキュラムを目指したものです。もちろん、1990年以降の世界の教育改革の潮流の一つであるアクティブ・ラーニングという教育方法の変革も「主体的・対話的で深い学び」として取り入れています。なお、上の枠では「資質・能力の育成」という「個人の変容」に関わる記載があり、「資質・能力」は現行指導要領の最頻出熟語となっています。しかし、中央部には、小さい字ながらも「よりよい社会を創る」ための「社会に開かれた教育課程」というキャッチコピーを据えており、「社会の変容」への視点もしっかりと打ち出しています。

この図は、十数年前から進行し、近未来へと向かう日本の教育改革の方向性を3つのベクトルで表現してみたものです。一番下の第一のベクトルは今回の学習指導要領改訂で強調された「協働的な学び」を重視する教育方法の改革です。第二のベクトルは、2021年1月の中央教育審議会答申「「令和の日本型学校」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す個別最適な学びと協働的な学びの実現~」で強調された、ICTの活用による「個別最適」を目指す方向性です。そして第三の「ヨコ社会化」のベクトルは、2018年に文科省のタスクフォースが描いた「Society5.0に向けた学校er.3.0」に描かれた、学外者・学外機関の学校教育への関与を示したものです。詳細は『教育展望』2021年6月号に寄稿した提言「「個別最適」と「タテ社会」—ICT活用の懸念と学校の「ヨコ社会化」—」(p.46-52)をご参照ください。(本ホームページの八ヶ岳SDGsスクール | 人類史的転換期における教育改革 – 八ヶ岳SDGsスクール (yatsusdgs.com)でも触れています。)

第一のベクトルである「協働的な学び」あるいはアクティブ・ラーニングが21世紀に求められる創造力やコミュニケーション能力の育成という点で有効なことは、以前から指摘されてきたことです。しかし、伝統的な教育からの転換には、新たな教育方法の効果についての確実な証拠が必要でした。その確実な証拠の一つが、2009年に初めてPISA調査に参入した上海が、断トツの世界一になったことです。中国では2001年に伝統的な知識注入教育から学習者中心の協働的な学びへの転換を図る「基礎教育課程改革」が発令されましたが、上海では1990年代初めから学習者中心の協働的な学びが実験的に導入されていました。上海の学校、といってもすべてではありませんが、右の写真のような協働的な学びや、左の写真のような家庭科と算数の合科授業が試みられています。

第二のベクトル、すなわちICTを活用して「個別最適化」を追究する動きの第一歩として、文科省は児童生徒一人に1台の端末を配布するとともに、高速大容量の通信ネットワークを整備する「GIGAスクール構想」を描いて着手し始めました。そこにちょうどコロナウイルス感染拡大による全国一斉休校が安部前首相によって要請され、「GIGAスクール構想」は前倒しで実施に移されています。ただし、前述の提言「「個別最適」と「タテ社会」—ICT活用の懸念と学校の「ヨコ社会化」—」でも述べたことですが、ICTの活用による個別最適化の追究には懸念材料が少なくありません。

第三のベクトルは、学校以外の人々や機関が学校教育に関与する学校の「ヨコ社会化」で、文科省も将来の方向性として「Society5.0 に向けた学校3.0」というポンチ絵で示したものです。筆者が学校運営協議会の会長を務めている杉並区立西田小学校で2020年2月に実施された第1回「NISHITA未来の学校」は、小学生も教職員も、卒業生も地域の方々も、みんなが日ごろの活動を報告し、質疑応答し、意見を交わす、という様々な世代の人が、学校の内外を越えて学び合う、まさに「ヨコ社会化」された学びの場でした。その場にいたほぼすべての人が、学びの深まりを実感できる催しでした。年1回のイベントではなく、恒常的に展開されるようにするのは、乗り越えるべき課題は多いでしょうが、不可能なことではないと感じました。(続く)

2021年8月1日

私の学習共同体論

基本のキーワード:異質との交流、共通目的の達成、オープンな世界、ソフトランディング、「Local educational supporting community」

 本稿は以下の3視点で論を展開します。

1.異学級・異学年との協働

2.学校外との交流(施設・人)

3.地域の学習共同体~Local educational supporting community(まちぐるみの子ども支援)

1.異学級・異学年との協働

現在の学校は言うまでもなく同じ年齢の子どもを集めて教育システムが存在します。小学校なら6段階の区分で教育が行われています。学級を基本とし日々その中で学習が進みます。

これからは、これだけではいけません。カリキュラムの大幅な改革も考えられますが、現状でも可能なことを考えることにします。まずやれることは隣の学級の子どもたちとの対話・交流を進めます。さらに異学年の学年の子どもたちとも協働することのできる場を設けます。

異なる知識、異なる思考、異なる学び方から多くの知見が得られます。年齢が同じということで区切られた学びの集団を広げてオープンな学びの世界を設定していくことが緊急課題です。

https://kyoiku.sho.jp/93436/
https://kyoiku.sho.jp/7092/

2.学校外との交流(施設・人)

いわずと知れた「社会に開かれた教育課程」の構築です。ここでのキーワードは連携と分担です。学校外の社会資本や文化資本、時には経済資本も巻き込んで連携を図るわけですが、やみくもにつながれば良いというものではありません。どこでどう連携して、どの部分を分担していくか、その際はある程度責任の所在もはっきりさせておかないといけません。そして、どの主体につながろうとも目的を共通にしておくことが肝要です。石川県教育委員会の実践事例集や文科省「社会教育士」資料は先行事例として参考になります。

https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/syougai/documents/tiikitogakkougarennkeikyoudousitazissennzireishuu.pdf
https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/what.html

3.地域の学習共同体~「Local educational supporting community」(以下、LESC)

上記1と2は現在のシステムを改良して学校教育を少しでも活性化する案です。いわばソフトランディングな手法です。しかし、もう少し踏み込んで考えると「学校」ならぬ「Local educational supporting community」(学習を進める地域共同体)ということに行きつきます。このLESCはややもするとその中でクローズドな世界をつくりがちですので、他のLESCとつながりあえるように初めからオープンなシステムを構築します。このLESCの構成要素は多様です。学校、PTA、塾、企業、公共施設、地域自治会、NPO等様々です。ここでも当然前述したように連携と分担を意図的・計画的に進めるのです。

すでに文科省のホームページには「コミュニティ・スクールと地域学校協働活動の一体的推進」についての構想が載っています。その解説文は以下の通りです。「地域と学校の連携・協働を効果的、継続的に行うためには、学校運営協議会と地域学校協働本部、地域学校協働活動の一体的な推進が求められます。具体的には、地域と学校が、子どもたちの学びの充実のために、協議し、協働し、活動後の評価をして、また次の取組につなげていくというPDCAサイクルを回していくことが重要です。」

本稿のLESCはこれよりもより多くの多様性を求めたホールエリアの構想を意図したものであり、あらゆる人・こと・ものから学びを得ようとしているところに特徴を見出します。LESCをあえて和訳すると「まちぐるみの子ども支援」となりますでしょうか。そう遠くない将来に実現したいものです。

https://manabi-mirai.mext.go.jp/torikumi/chiiki-gakko/

(栗原 清)

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