学校教育とSDGs

2022年5月9日

ダン・ローティの『スクールティーチャー』

これから数回、教員や教員養成ついての著作等を紹介します。今、日本の教員養成制度が抜本的大改革が求められていると感じ始めているからです。

教師についての社会人類学的研究

ダン・ローティが1975年に著したSCHOOL TEACHER : A Sociological Studyの日本語訳が、2021年11月に『スクールティーチャー 教職の社会学的考察』として学文社から刊行されました。アメリカ合衆国の約50年前の教員を対象にした社会人類学的手法を用いた研究ですが、そこに描き出された教員の姿の相当部分は、今日の日本の教員の姿そのものと言っても過言ではありません。

本書は、冒頭で監訳者の佐藤学が11ページにわたる行き届いた解説をしています。「著者と学風」に続いて解説の第2節で「教師研究としての意義―ウォーラーとの比較」を書いていますので、ここでも、まず佐藤学の解説を手掛かりに、ローティからさらに40年以上遡った、ウォーラーの捉えたアメリカの教員の姿を少し見ておきます。

ウィラード・W・ウォーラー(1899–1945)は、1932年に、The Sociology of Teaching(教職の社会学、1957年の日訳は『学校集団』(明治図書))を刊行しています。同書を、教師研究の草分けとなった古典的名著とする佐藤学は、「ウォーラーの研究の主たる関心は、教師の偽善、欺瞞、卑屈、権力性、権威性などの「非人間性(impersonality)」が、学校という制度のなかでどのように形成されるのかにあった。」「何よりも同書が、教師には特有のものの見方や考え方や行動の仕方があるという教師文化の存在を明示したことは、ウォーラーの最大の功績であった。」述べています。

ウォーラーは短い生涯でしたが、軍事アカデミーで自らが6年間携わった教師についての著作以外に、「離婚と法廷」「戦争と退役軍人」に関する著作があります。ローティが修士論文で医師の研究、博士論文で弁護士の研究を行っているのと同様に、他の職業についての研究や経験を踏まえて、教職や教師を外から(ないしは斜めから)捉えています。

ウォーラーは、学校の基本的な性質についてほとんどの政策立案者が理解おらず、教師が内外の圧力に対して脆弱性を強く感じていることが、偽善、欺瞞、威圧的態度といった教師の非人間性を生み出しているということを、多くの事例をあげて説明しています。The Sociology of Teachingの最後の節で、「学校の改革は教師から始めなければならず、教師の個人的なリハビリテーションを含まないプログラムでは、教師の古い秩序に対する受動的な抵抗を克服することはできない。」(p.458)、「教師のトレーニングの中心的な要点は、学校という社会の現実の性質に対して深い洞察を試みることであるべきである。」(p.459)と述べています。

観察の徒弟制

ウォーラーが、自身の経験と様々な見聞を集約して社会学的に考察して教師の特質を描き出したのに対し、ローティは自身が行った質問紙を用いたインタビュー調査と全米教育協会による大規模調査データにもとづいて、教師の「個人主義」「現状主義」「保守主義」の形成要因を探究しています。ローティの重要な分析概念となっている「観察の徒弟制」「卵のパッケージ構造」「精神的報酬」「風土病的不確実性」について以下で順に説明を加えていきます。

 「観察の徒弟制」とは、教師は、職業としての教職というものを、自らが学校での授業を長年経験する過程で観察し、あたかも「徒弟制度」のように、教職についての文化や価値、規範などを身に付けているという意味です。その結果、教師はその参入過程で、他の専門職のような専門的な職業教育を軽視していると指摘しています。ローティの指摘する「観察の徒弟制」が教職の伝統的で直感的なアプローチの基礎を築くことについて、佐藤学は「教職を志望する学生は、大学に入る前から教職について「わかったつもり」になっており、他の専門職(医師や弁護士)のように専門家教育を受ける必要を感じていないし、教師になって以降は自分が教わった授業を再生産することになる。」(p.iv)とわかりやすく説明しています。

 ローティは、「観察の徒弟制」がもたらす不利益について、「ある職業が専門職として認識される理由の一つは、そのメンバーが極めて重要な公的事項についての奥義的(arcane)知識を共同で保有していると信じられているからである。」「教師たちの個人主義が自分の立場を強調したがらないことの基底にあると私は見ている。」と述べ、「成果(パフォーマンス)に関する考えが個人主義的であるがゆえに、教師たちは集団の達成レベルを向上させる戦略を発展させることが困難であると感じている。教師たちは専門文化の潜在力を向上させる方法を知らない。集団として要求に応答する能力がないことが、教職の地位を脅かしているのである。」(p.124 )と結論づけています。

卵のパッケージ構造

2番目の「卵のパッケージ構造」については、本文では、「細胞構造」と表現され、しかも様々な項目に分散して書かれています。卵のパッケージにしても細胞にしても、一まとまりの形状をしていながら、それぞれが分断されている学校の教室の姿、あるいはそのことに由来する各教員の孤立した姿を象徴した表現といえます。本書の第1章の「歴史的概観」に描かれた「卵のパッケージ構造」の成立過程には「なるほど」と納得させられます。

アメリカの場合、広大で人口の少ない土地に開拓地が分散していたため、それぞれの教師たちも互いに分散・隔絶された単細胞状態でした。しかし、都市の規模が大きくなるにつれて、学校のパターンが変化し、「それまで分離していた細胞は1つの屋根の下に結合され、生徒は年齢に応じて別々の教室に割り当てられた。」と述べています。重要な点は、一つの屋根のもとで複数の教員が集まることになって相互依存性が高まったわけではない点です。「なぜなら、個々の教師は、特定のグループに全教科を一年にわたって教えるか、のちに高学年で展開するように、単一教科を同じ集団に所定の期間教えるかのいずれかだったからである。」とローティは書いています。1950年代後半から、チーム・ティーチングや学校内部の壁の除去などの主張が現れて変化が生じていますが、教師間の分離と職務の相互依存の低さが長年続いています。そのもう一つの要因として、若い女性に依存しながらも既婚女性の雇用を認めない教育委員会の方針もあって、教職が離職率の高い職業で、「平均在任期間が短い場合、緊密に連携した分業体制を構築することはむつかしい」と指摘しています。

この学校の細胞構造が学校と教師に様々な不合理・不具合を引き起こしていることを、ローティは以下のような例で示しています。

・初任教師は同僚から物理的に離れて多くの時間を過ごす。初任者は校長やその他の教職員から指導的な関心を向けられるが、そうした最善の支援を提供できる学校システムにおいてさえ、1ヶ月に合計2,3時間以上に達することはまれである。(p.115)

・学校は細胞化された構造であるため、教師は閉ざされたドアを背にして、生徒以外の誰にも見られず、(おそらく)自分の成果を誰からも称賛されないことが容易に想像できる。(p.184)

・教師は互いの仕事をみることがほとんどなく、同僚からの監視から免れることを好むのである。(p.330)

精神的報酬

この「精神的報酬」は、本書の充実した「索引」を信用すると、29ものページに登場する本書における最頻出フレーズです。他の専門職に比べて決して高くない給与、長く勤めても低下するばかりの昇給比率といった経済的な報酬、あるいは名声や他者に対する権力という点でも満たされることの少ない教職に、多くの人が参入し、留まっている理由の追究が、社会学者としてのローティには大きな関心であったことが伺われます。このことは、以下のインタビュー項目の39番目にも、はっきりと表れています。

39今日では教師が抱える問題を耳にすることが多いのですが、アメリカ合衆国では150万人が教職で働いています。公立学校の教職の何が人々を引きつけているから、教職にとどまるのだと思いますか?

 大雑把にまとめると、教師の文化では、上記のような外発的報酬の獲得を重視していない、ということになります。ローティは「教師の報酬構造は、精神的報酬を重視している。教室の文化が奉仕を重んじることを思い出せば、教師の労働生活における精神的報酬の重要性を強調するデータがあったとしても驚くことはない。」(p.156)と述べています。

ローティが、教師の得る報酬をどのように分類していたかは、以下に転載した質問紙インタビュー調査で用いた質問項目(巻末p.352-353に付録として掲載)を確認するとわかりやすいと思います。

外発的報酬に関する質問項目

T8 学校教師を「特権階級」と呼ぶことはまずありませんが、教師はおかねっを稼ぎ、ある程度は他者から尊敬され、何らかの影響を及ぼす立場にあります。あなたに最も満足をもたらすのは、これら3つのうちのどれですか?

 専門職として稼ぐ給料

 他者からの尊敬

 何らかの影響を及ぼす機会

 いずれも満足をもたらさない

精神的報酬に関する質問項目

T9 教師は自分の仕事で多様なことを楽しむことができます。あなたにとって最も重要な満足の源泉は、次のうちのどれですか?

授業の勉強をし、読書をし、計画する機会

規律と教室経営の習得ために与えられる機会

生徒(集団)の「心に届き」、生徒が学んだことが分かるとき

子供たち(少年たち)と交流して関係を築くための機会

付帯的報酬に関する質問項目

T10 教職について最も好きなのは、次のうちのどれですか?

収入と地位の総体的な安定性

旅行や家族活動などが認められる時間(特に夏季)

多くの競争相手や他者との競争なしに生計を立てるための機私のような人間にとっての特別な適切さ

いずれも満足とはならない。 

ローティは、実際に収集したデータの集計結果として「とくに教職から得られる満足を尋ねる質問に対する回答では、職務に関連する成果への言及が圧倒的に多かった。たとえば、ある質問項目では、125件が精神的報酬としてコード化されたのに対し、11件が付帯的報酬、9件が外発的報酬であった。」「質問に対する回答で最も強調されたのは、満足が生徒に関する望ましい結果に付随して生じることであった。」(p.156)ことを明らかにしています。

本書には、この精神的報酬に触れたインタビューへの回答事例が多く掲載されていますが、以下に一つだけ転載します。

卒業生が学校にやってきて話をしても、彼らは何の得もしてないし、握手することもないのですが、自分に大きな影響を与えてくれたことを話して、感謝の気持ちを伝えたいと思っているのです。これはいかなる教師生活のなかで何物にも代えがたい瞬間だと思います(以下略)。(p.182 )

風土病的不確実性

一方で、教師の仕事に対する評価の困難さなどが、教師の安心感ややりがいの喪失につながると、精神的報酬を脅かすことになります。教師の仕事に対する評価における不確実性の度合いの高さなどが、ローティが取り上げた4番目の特質「風土病的不確実性」です。この「「風土病的」という用語の説明は本文中には見当たりませんが、佐藤学は「職業病的」という意味であると解説しています。

 第6章の「風土病的不確実性」の最初の方で、ローティは、他の職業の場合との比較で、以下のように教職の不確実性を多方面から例示しています。

「有形の分野における職人は、作業モデル、青写真、計画、詳細仕様を活用する。教師は、この種の物質的な標準(スタンダード)を何も保持していない。」

「職人は、特定の製品のどの部分に責任を負うかを把握しており、その段階にあるステップを統制するのが通例である。(中略)しかし、通常、教師は子どもに影響を及ぼす意義深い大人の一人にすぎない。教師の影響力の評価は、自己と他者との関係しあう影響力についての困難な判断を必要とする。」

「弁護士は訴訟に勝つか負けるか、技術者の橋は所定の重量に耐えるか否かである。しかし教職の行為は、同時に採用される多様な基準(クライテリア)の観点から評価される。クラスを魅了する教師が、内容の正確さを批難される場合がある。特定の子どもを叱責することは、残りの生徒たちを静かにさせるだろうが、その被疑者から不平等の申し立てを招くこともある。」(以上すべてp.199 )

 ローティは、以上のような模範にする具体的なモデルの不在、不明確な一連の影響力、多元的で論争的な基準、に加え、教師の成果を評価するための適切な時間やタイミングが曖昧であること、対象である子どもたちは教えられた後の成熟過程で変化し続けること、等の不確定性を上げています。

 そしてさらに、教師は教える対象を選択する権利をってないことや、教師の役割義務が「規則遵守を確保するだけでなく、「学習する仕事」への関心や努力を高めるような絆を築くことが期待されている」こと、教師は教室での一般的なルールを確立し、それらのルールからの逸脱を罰するが、「一人の子供に対して行われる行為は、他の子どもたちにも見えてしまうため、生徒たちは不公平だと思う扱いを受けるとすぐに反発する」ことなど、教職の不確実性の要因にも言及しています。

 この「不確実性」が教師の不安感や繊細な感情などを生み出していることを、ローティは豊富な事例を交えて丁寧に説明していますが、佐藤学は「教師たちは「不確実性」によって絶えず不安に陥り。教育学の専門的知識に不信感を抱き、自らの経験を絶対化し、教育の理念においても理論においても知識においても集団的合意を形成せず、それぞれが悩みながら孤立している。」(p.vi)と、見事に要点を手短にまとめた解説をしています。

 また、佐藤学は、本書のインパクトとして、ローティがこの「不確実性」を「専門家として克服しなければならないと提起したことが、その後の教職の専門性の開発研究を促し、1980年代半ば以降の教師教育改革を準備したとしています。この点については、そこから導かれる「同僚性」にも関わることで、是非、本書の佐藤学の解説を直接設参照してほしいと思います。

教育改革と教師の「個人主義・現状主義・保守主義」

ローティは、主に「観察の徒弟制」「卵のパッケージ構造」「精神的報酬」「風土病的不確実性」の4つの分析概念に基づいて、教師の「個人主義」「現状主義」「保守主義」が形成され、保持され続ける所以を本書で解明していますが、その研究の意図は、最終章の「変革についての総合的な思案」で明らかになります。

 ローティは「近年、何百万ドルもの費用が教育開発に費やされてきたにもかかわらず、学校の実情についての報告が質量ともに著しく不十分なのは逆説的である。学校への大規模な介入が意図せざる帰結をもたらすのは明らかである。(p.301)」と学校や教職や教師の実態についての研究が不足していることを訴えています。

 そのうえで、3つのシナリオを提示して、教師のエートスとなっている「個人主義」「現状主義」「保守主義」を克服しなければ、教師や教職の置かれる状況は一層悪くなることを予言しています。3つのシナリオのうち、2番目、3番目は約50年前の、しかも、アメリカ合衆国の実態を出発点としたシナリオという性格が多分にあるので、ここでは1番目のシナリオの要点を紹介します。ただし、2番目、3番目のシナリオは、進行しつつあった新自由主義的な改革に公立学校の教育現場が適切に対応できずに、悪化し続ける事態を招いているので、何をしなければならなかったのを理解する意味では重要です。

 「伝統の侵食」というタイトルのついたシナリオ1は、教員文化の変化に焦点を当てたものです。今後、教育上の選択肢が急増する結果として、教師の保守主義に対する疑念の眼差しが高まり、教師たちが順応しなければならなくなるというシナリオです。教師たちは提示されたすべての選択肢を受け入れなければならないわけではないが、頑固な執着が功を奏することはないからです。 高度に構造化された事業プログラムが開発され、効果が高いと宣伝された場合、教師はそうした変革にどのように立ち向かうのか、そうしたプログラムに反撃するために、教師はどのように知的資源を持たなければならないのか、という問いに対して、納得いく回答を見いだすためには、協同するとともに、教師は自前の専門家を必要とすることになる、というシナリオです。

2022年3月18日

持続可能な社会の構築に向けた教育改革の円滑な推進のために

持続可能な社会の構築に向けた教育改革がいよいよ本格化しはじめています。しかし、改革案が明確になるとともに、その推進を阻むことになりそうな要素も明らかになってきていると感じています。その一つが学校と学校の外の世界の文化の違いです。この1年ほど、世界の教育改革の潮流や日本の教育改革の動向を私なりに整理して、この「SDGsと学校教育」欄に書いてきました。今回は、世界と日本の教育改革の潮流と動向を簡単に振り返るとともに、「学校文化」「教員文化」とも呼ばれる学校内の文化と、学校の外の世界の文化の溝が教育改革を阻むのではないかという懸念を述べ、その解消にための一つの提案をしたいと思います。

近年の国際的な教育改革の潮流

地球環境問題の深刻化や貧困・格差の拡大を背景に、持続可能な社会を目指す動きは、特に1992年の国連環境開発会議(リオ・サミット)以降、活発化してきました。また、2005年から始まった「国連持続可能な開発のための教育の10年(DESD)」によって、持続可能な社会の構築には、教育が大きな役割を果たす必要があるという認識も世界的に広まっています。

2015年の国連持続可能サミットにおいて、SDGs(持続可能な開発目標)を中心に据えた「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が全会一致で採択されました。SDGsは、「私たちの世界を変革する(Transforming our World)」ために、それまで別々に議論されがちであった環境、社会、経済に関わる問題を統合したもので、17の目標についても「相互関連性と統合」が重視されています。また、同じ2015年に、OECD(経済協力開発機構)もEducation 2030プロジェクトを発足させて、持続可能な社会の構築に向けた教育のあり方について本格的に検討を始めました。そして2019年に、これからの世界の学校教育の潮流を大きく変える可能性を秘めたラーニング・コンパス2030を提示しました。

OECDは、2000年から国際的な学力比較調査PISAを実施してきましたが、2001年には「キー・コンピテンシー」という概念を提示して、それまでの「何を学ぶか」が中心であった世界の学校教育を、「何ができるか」に重点を移行させる役割を果たしています。近年の日本の学習指導要領でも「何ができるか」というコンピテンシーが重視されています。しかし、Education 2030プロジェクトでは、「社会の変化に対応する力を育む」という、それまでのOECDのスタンスでは、「持続可能な社会の構築」といった人類が直面する課題に対応した教育としては不十分なのではないか、という認識に基づいて、Well-beingを実現するための「変革をもたらすコンピテシー(transformative competencies)」を求めています。ラーニング・コンパス2030では、「新たな価値の創造」「対立やジレンマへの対処」「責任ある行動」の3つが変革的をもたらすコンピテンシーとして示されています。

これらのコンピテンシーは、従来から重視されてきた「知識・態度・価値観」に付加されるものですので、学校にとっても児童生徒にとっても、オーバーロード(過負荷)問題をもたらす可能性があり、その対応に向けた教育の変革もこれから求められることになります。

近年の日本の教育改革の動向

一方、日本では、新学習指導要領の前文で、児童生徒が「持続可能な社会の創り手となる」ことを求めています。これはまさに、持続可能な社会の構築を目指す世界の潮流に対応しようとしたものです。また、この持続可能な社会の構築に向けた教育を実質化するためには新たな学校教育の枠組みが必要という認識と、科学技術やイノベーションの立ち遅れが日本の国際的な地位低下をもたらしているという認識が重なって、2021年度から内閣府主導による教育行政への強力なテコ入れがはじまっています。

2021年4月に、内閣府の管轄する科学技術基本計画を科学技術イノベーション基本計画と改め、その3本柱の一つに「教育・人材育成」を位置づけ、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議のもとに「教育・人材育成ワーキンググループ」を発足させました。同ワーキンググループでは9月以降、急ピッチで教育・人材育成についての検討を進め、2022年3月に取りまとめの提案がなされました。そこでは「学年・学校種を超える学び」「教科の枠組みを超えた実社会に活きる学び」「多様な人材・協働体制」というように、これまで分断されていたものを統合することで学校教育を変革しようという姿勢が強く打ち出されています。従来の学校の姿を大きく変える大胆な提案で、日本中の学校に激震をもたらす可能性もあります。

とりわけ、強調されているのが「協働体制」です。様々な新たな教育課題が学校に押し寄せている一方で、教員の過剰労働の解消が大きな課題となっていることから、これまで学校においてもっぱら教職員が担ってきていたものを教職員以外の学外の「よそ者」にも協力して担ってもらおう、というものです。「協働体制」を構築する必要があるという観点から、下図のような協働体制への移行が示されています。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/5kai/siryo2.pdf

このような日本のこれからの教育改革の方向性は、持続可能な社会の構築を目指す、「統合」による「変革」という世界の潮流にも一致したものであり、その着実な実施と学校教育への浸透が望まれます。

教育改革に伴う様々な軋轢・葛藤

しかし、これまでの学校教育の改革の経験から、国から示される改革が学校現場ですんなりと受け入れられ難いことは明らかです。授業や児童生徒・保護者への対応に加え、教育委員会などからも様々な報告等が求められ、多忙な日々の連続であって、将来の学校の在り方をじっくり考える余裕のない教員が多いのが実態でしょう。それだけではありません。従来の学校は社会から切り離された存在であったために独特の「学校文化」「教員文化」が存在しており、外からもたらされる変革も、できることなら避けて済ませ、現状を維持しようとする傾向が存在します。20世紀末のカリキュラム改革で導入された「総合的な学習の時間」についても、教科担任制が採られ、教科別の教員免許制度となっている中学校や高等学校の多くでは、その定着に10年以上の時間が必要でした。

しかしながら、教職員が「よそ者」とともに「協働体制」を構築すべきであるという教育・人材育成ワーキンググループの提案は、持続可能な社会の構築に求められる「変革をもたらすコンピテンシー」を育むためにも、また、児童生徒の多様化が進み、様々な新たな教育課題が押し寄せてきている現状に対応するためにも、大変重要な学校改革です。しかも、常態化しつつある教員の「過剰労働」が教員志望者を減少させ、教員の全体的なレベル低下を招くのではないかと懸念され始めている現在、「協働体制」の構築は、避けて通れないものと思われます。

学校教育に学外者の協力を求める姿勢は、以前から徐々に進行してきました。いじめの深刻化や不登校児童生徒の増加を受けてスクール・カウンセラー制度や、発達障害児の増加への対応として特別支援教育支援員制度などを導入してきました。また「チームとしての学校」という構想の下で、スクール・カウンセラー以外にもICT支援員、部活動支援員などを学校に配置されるようになってきました。

また、各学校に学校運営協議会を設置することを教育委員会の努力義務と課し、それまでの「地域に開かれた学校」から「地域とともに歩む学校」への転換を促してきました。そこでは「学校における地域との連携・協働体制を組織的・継続的に確立する」というように「協働体制」という言葉が使われています。しかし、約5年半、学校運営協議会の会長を務めてきた経験からも、学校運営協議会は学校の外側から学校運営に参画するというイメージで、学校の教職員との密な接触は限定的です。多くの学校に設けられ始めている学校支援地域本部にしても、それをさらに発展させる構想と思われる地域学校協働本部にしても、そこで展開される活動は、学校の外の「社会教育」のフィールドでの活動が中心で、学校内では「授業補助」「教員補助」「部活動指導補助」という補助的な位置づけの活動に留まっています。いわば、外堀に関わる活動といえます。

しかし、今回の教育・人材育成ワーキンググループが提示している「協働体制」は、従来から学校が担ってきた学習活動や特別活動、あるいは児童生徒指導という本丸に「よそ者」が入っていって役割分担をし、またある時は協力し合って協働活動をしよう、という提案です。この実施は「よそ者」を受け入れる学校側にとっても、「よそ者」として学校に乗り込む学外協力者にとっても、大きな、しかも多様な軋轢・葛藤を生み出す可能性が大きいと思われます。

地ならしのための双方の主体的学習

大胆な教育改革の提案が様々な軋轢や葛藤をもたらし、構想通りにすんなりと進行しないであろうという懸念には、根拠があります。アメリカの社会学者D.C.ローティによる『スクールティーチャー』(原著は1975年刊、織田泰幸らによる全訳は2021年)は、社会学的な調査研究に基づいて、教師という職業の特性として「風土病的不確定性(endemic uncertainty)」や保守主義、個人主義、現状主義をあげています。「風土病的不確定性」とは、一般的な物資の生産活動のようにマニュアル化し難く、次々と変化する子どもの反応に対して常に臨機応変の対応が求められるという意味です。そして、上記のような特性の結果として、「教師たちの提案は、ラディカルというよりは保守的であり、集団主義者というよりは個人主義的であり、未来志向と言うよりは現状維持志向になる。」「それらの提案は、革命よりは修繕に近く、要するに、要求の厳しい改革ではなく、軽微な調整で構成される。」(p.259 )と述べています。

このような教師の姿のままでは、社会の急速な変化の中で、次世代をしっかりと育むことができないということから、アメリカのハーグリーブス氏や日本の佐藤学氏は、同僚との協働の重視や、授業を互いにオープンにして研鑽を諮る「レッスン・スタディ(授業研究)を通した「専門職としての教師」という、新たな教師の在り方を追求していく必要があると主張してきました。しかし、教師の保守主義、個人主義、現状主義は今日も根強く残っています。しかも、これまでにもこの欄で書いてきたように、日本の教員社会は、日本の社会全般以上に、今もなお「タテ社会」の傾向が顕著です。したがって、そもそも教育改革自身にも消極的であるばかりでなく、「よそ者」が入ってく来ることに対して拒絶反応ないしアレルギー反応を起こす可能性が他の国々以上に大きいと思われます。

他方で、学校教育に協力しようという学外の組織団体のメンバーが学校に入って協働活動を進めようとした場合、独特の学校文化・教員文化に大いに戸惑うことになります。例えば、教員同士が同僚と密接に連携しているように見えながら、学校全体としてではなく、教科や学年といった特定の集団に留まっている「バルカナイゼーション(バルカン半島の国や民族に見られる敵対的な小集団に分割されている現象)」と名付けられた実態に接すると、国境を超えたサプライ・チェーンが当たり前の世界にいる人々には、学校の時代遅れを感じさせられるに違いないでしょう。

では、どのようにすれば無理のない「協働体制」を確立し、役割を分担して双方の力を存分に発揮できるのであろうか。以下に、具体的な提案を述べていきます。

教育改革の円滑な推進のための具体的方策

まずは、以下の事柄について、双方が当事者としてより正確な共通認識を持つことが、「協働体制」を創るうえでの前提になると思います。

(1)生態的・社会的な持続可能性の危機が、人類が解決すべき最優先課題となっており、それに対して教育が大きな役割を果たす必要が生じている。

(2)社会の急速な進展に伴い、学校が担うことが求められている新たな教育課題が急増している。

(3)児童生徒の多様性が拡大しており、これまでのような教室に30人以上を集めて一人の教員が一斉授業を行うことが困難になっている。

(4)また、上記のような課題に加え、保護者への対応や様々な事務作業の増大もあって、教員の過剰労働は、看過できない段階になっている。

(5)このような学校教育を取り巻く環境の変化の中で、文部科学省は、「地域とともにある学校」という、地域と学校との密な連携を重視してきた。しかし、地域との連携だけで乗り越えることができるレベルではないという判断から、さらに一歩踏み込んだ「よそ者」との「協働体制」が不可欠と考えるに至っている。

(6)しかし、長年培われてきた学校文化、教員文化について、学校側の教職員も自覚し、また学校教育に参画する「よそ者」もそれらが生まれてきた背景を理解しておくべきである。

 このような共通認識を持つには、双方が出会い、対話を重ねるのが最も有効でしょうが、そのような機会を度々設定することは現実的ではないでしょう。そこで、以下のような簡略化したアクティブ・ブック・ダイアローグ(以下、簡略版ABD)を中心とした勉強会をそれぞれが2回ほど事前に実施してはどうかと提案する次第です。

 なお、簡略版ABDに用いる資料は、A4版4ページ×5,6章を2回分で、新たに書き起こす必要があります。しかし、以下の項目の相当部分は、すでにこの「学校教育とSDGs」欄にアップしていますので、それほど多くの作業量にはならないと見込んでいます。

第1回目の勉強会案

世界の教育の潮流と日本の教育改革の動向に関する簡略版ABD

第1章 1990年以降の世界の教育の潮流と持続可能な社会

第2章 新自由主義的教育改革と『Finnish Lessons』

第3章 OECDのEducation2030 とラーニング・コンパス2030

第4章 戦後日本の教育改革を振り返る

第5章 内閣府教育・人材育成ワーキンググループの改革案(前半)社会と子供たちの変化

第6章 内閣府教育・人材育成ワーキンググループの改革案(後半)改革案の骨子

第2回目の勉強会案

学校文化・教員文化を理解し、未来の学校を考える簡略版ABD

第1章 ダン・ローティ『スクールティーチャー』の概要

第2章 アンディ・ハーグリーブス『専門職としての教師の資本』の概要

第3章 日本の学校と「タテ社会」

第4章 日本の教員養成制度とその特質

第5章 教師の専門性追求か、多様性追求か

第6章 2050年の学校の姿を予測する

簡略版ABDの進め方(合計時間150分)

1.【ガイダンス、教材配布】簡略版ABDについての手順や意図の説明し、参加者を5~6人のグループに分け、各グループのメンバーにそれぞれ1章分の教材を配布する。(5人の場合、第1回目、第2回目とも第4章を使用しない)【5分】

2.【資料読み込み】各メンバーは、自分が担当する章の資料を読み込む。(読み進める過程で、重要と思った部分にサインペン等で下線を引くことがお勧め)【30分】

3.【要旨書き込み】配布されたB6用紙6枚に、マーカーで要旨を書き込む。用紙は横長で用い、4行以内に収める、マーカーは太字を用いる。【30分】

 (休憩【10分】:この間に書き終えなかったメンバーは書き終えるようにする)

4.【説明】第1章分担者から順に、B6判用紙を1枚ずつ机に並べながら説明を加えて発表していく。一人4分以内。【25分】

5.【対話】全員分のB6判用紙を眺めながら、質問をしたり意見を交換したりする。【25分】

6.【ギャラリー・ウォーク】他のグループの机に並んだ36枚の用紙を見て回る。【10分】

7.【ふりかえり】ふりかえり用紙に感想等を記入し、グループ内で順に読み上げる。【15分】

《参考》

簡略版ABDを実施した2018年夏の免許更新講習(日本環境教育フォーラム主催、学習院大学協力、講師:川嶋直氏(日本環境教育フォーラム理事長)、中野民夫氏(東京工業大学教授)、諏訪)の記録写真を添付します。使用した教材は、拙著『学校教育3.0』(2018年4月刊、三恵社)の各章でした。

2022年2月16日

内閣府 教育・人材育成ワーキンググループの〈中間まとめ〉に対する雑感(後半)

3本の政策と実現に向けたロードマップ

政策パッケージの中心は、以下で概略を紹介する「3.3本の政策と実現に向けたロードマップ」です。この部分は、12月末に公表された〈中間まとめ〉段階では、ポンチ絵を用いたPPTが示されており、提示する政策の具体性が見えにくい感じがありました。しかし、2022年2月9日の会議資料で具体的な政策(案)が多数提示されています。しかし、それぞれの具体的な政策について、「課題・ボトルネック」「必要な施策・方向性」「具体の検討・実施体制」が文章化されて列記されており、個別の政策に関心のある方は、これらをご覧になることをお勧めいたします。しかし、それら全体の大きな方向性については、むしろ12月末時点で提示されていたPPTのポンチ絵に沿ってみていく方が適切と判断し、以下ではそのように記述していきます。なお、そのほかに、3つの大分類の政策ごとに今後いつどのように取り組んでいくかのロードマップも付されています。それを一覧するだけでも、2022年度から教育改革が加速されることは間違いないと断言できます。

<政策1>子供の特性を重視した学びの「時間」と「空間」の多様化

表題は、「時間」と「空間」の多様化と抽象的に書かれていますが、各スライドに書き込まれた内容をよく見ると、大転換なしには済ませないものが並んでおり、事実、先ごろ示された政策(案)でもこれからの大転換をもたらす可能性のある案が列挙されています。<目指すイメージ①>で示されたスライドの図(下図)を、「“これまで”を“これから”に変えねばならないので、この左側から右側への移動を政策として実行に移しますよ」と捉えると、関係する組織や部門に激震をもたらすことになります。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

例えば、2段目の「同一学年」を「学年に関係なく」とすると、教科書会社からは、「じゃあ、一体どんな教科書を作ればいいんだ!」という声が上がるでしょう。4段目の「教科ごと」に替わって「教科の枠組みを超えた実社会に生きる学び」が学校の中心になると、これまでの教科を軸に据えた教員養成制度の大手術が必要でしし、教科中心の人員構成となっている教員養成系の大学関係者の相当数は、「自分たちの出番がなくなる!」と大騒ぎするに違いありません。

しかし、その左右に配された子どもたちの多様性を示す図を改めて見せつけられると、「主体」から「教職員組織」に至るまで、これまでの姿を大幅に変える政策が、実際に次々と繰り出されても反論する理屈を見い出しにくくなります。どのような紆余曲折があるかはともかく、あと数年後にはこれまでの左側の姿が右側の姿に移行していることは、かなり高い確度の近未来像と思われます。

では、このような激震が伴う変革を肯定するのか否定するのかと問われれば、筆者は全面的に肯定します。なぜならば、このような学校教育制度の変革(Transformation)がなければ、新学習指導要領が前文ではっきりと断言した、児童生徒が「持続可能な社会の創り手になる」教育を実現できないと考えるからです。さらに言えば、未来社会の主役である小中学生が「「持続可能な社会の創り手」になれないような学校は、存在意義がなくなる時代に間もなく入っていくと考えるからです。

「学年に関係なく」をめぐって

上図では、6段にわたってこれからの姿が描かれていますが、このうち最上段の「子供主体の学び」や最下段の「多様な人材・協働体制」は、すでに以前から話題に上がっています。また、5段目のTeachingからCoachingは、授業ではなじみが薄いかもしれませんが、部活動の領域では、あれこれ指示するのではなく、子どもたちに寄り添って「伴走者」として見守るほうが子供たちの意欲を引き出すと、以前から認識されてきました。子供たちが多様化する中で、画一的な教え込みや一律の指示が通じなくなっていることは、すでに大方の教員は自覚しているはずです。

4段目の「教科等横断・探究・STEAM」は次の政策2の中心テーマですので、ここではそれ以外の「学年に関係なく」「教室以外の選択肢」を中心に見ていきます。

小学校教育関係者以外の方々にとっては、学校教育に学年があり、1年ごとに学年が上がって上級生になっていくのが、「学校の当たり前」の一つとなっていることでしょう。小学校の場合、1998(平成10)年度改訂(2002(平成14)年度実施)の学習指導要領から、各教科の目標と内容が、〔第1学年及び第2学年〕というように2学年をまとめて表記されるようになっています。

4月になると上の学年に上がるのがあまりにも普通のこととなっているため、一年ごとに進級する以外の学校の姿を想像しにくいかもしれませんが、一年ごとに進級させるのは、まさにSupply Sideの都合です。年齢を重ねるとだいたい同じように成長するので、誕生時から6年目の春に小学校に入学させ、同時に各学年の子どもたちは1学年進級し、6年生は3月末に卒業させてしまうのはシステムとしては実に合理的ですが、必然性はありません。子どもたちの成長発達の多様性が進む中で、1年ごとの進級に対する疑問が、小学校の学習指導要領における2学年ごとの目標と内容の表記となったといえます。それをさらに進めようというのが「学年に関係なく」です。イエナプラン教育では、通常4~6歳・6~9歳・9~12歳の3つのグループに分かれて活動しており、あるグループで3年間の活動を終えると次の年上のグループに移行することになっています。

しかし、「学年に関係なく」の説明文を見ると、学年だけでなく学校種も視野に入っています。つまり、小学校も中学校も一緒に、いやいや高校も関係なく、という考えです。例えば、マイクロプラスチックを削減するという課題の解決方法については、例えば、ドキュメンタリー映画『マイクロプラスチックストーリー』を小学生も中学生も高校生も一緒に見て、それぞれが考え、みんなの前で感じたこと・考えたことを発表しあうことは可能です。さらに、みんなで取り組んでどこかに働きかけなければ十分に効果が現れないものが多いことに気付いたころに、そのタイミングで大人の伴走者が、「みんなで解決方法を探究してみたら」と促す効果的です。学年も学校種も関係ない異年齢集団でプロジェクトが実際に動き始めることでしょう。小中高生が一緒になって、川を流れて海に向かうプラ製品や海岸に漂着するペットボトルなどの収集・調査をすると、学校種を越えて、次にどのように行動するべきかという議論になっていきます。このようなプロジェクトを経験すると、子どもたちは異年齢集団の中でこれまで経験したことのないような多様で深い学びを味わうことになるはずです。

筆者自身、杉並区立西田小学校の「NISHITA未来の学校~大人も子供も一緒に考えよう」という催しで、小学生、教職員、保護者、学校支援員、卒業生、地域関係者などがそれぞれのポスターの前で発表し、子どもも大人も質問し答えるという活動を企画したことがあります。大成功をおさめ、子どもにとっても大人にとってもどれほど大きな学びとなるかを自分の目で確認することができました。NPO法人八ヶ岳SDGsスクールが他の団体とともに毎月1回開催してきた「八ヶ岳SDGsコミュニティ」でも、大人に混じって小学生も高校生も発表し、質問して感想を述べています。大人にとっても大きな刺激を受けるイベントです。 「NISHITA未来の学校」にしても「八ヶ岳SDGsコミュニティ」にしても、現段階では単発的なイベントです。しかし、かつて拙著『学校教育3.0』の「付録 未来の教育ショートストーリー」で述べたように、学校に行くのを週4日に減らし、週1日は、例えば異年齢集団で地域を探究する学びの日としてそれを可能にする体制を整備すれば、まさに学校種に関係のない豊かな学びを実現することができます。「学年に関係なく」は言うまでもなく、学校種を超えた学びが新たな「当たり前」になるのも、まんざら夢物語ではない、実現可能なことです。

「教室以外の選択肢」とレイヤー構造

上図の3段目の「空間」のこれからの姿として「教室以外の選択肢」が書かれています。そこでの説明では、「教室になじめない子供が教室以外の空間でも」と書かれているので、不登校・不登校気味の子供たちのためのフリースクールやコロナ禍でインターネットを利用した自宅学習などを連想しがちです。もちろんそのような想定も含まれていますが、その次のスライドにおけるこれからの姿として、下図のようなレイヤー構造が示されているので、もっと大規模な「教室以外の選択肢」が構想されていると考えてよさそうです。

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これまでは、学校が子どもたちの教育のすべての分野・機能を担ってきましたが、これからは分野や機能ごとに、多様な担い手に委ねる構想が描かれています。部活動の大部分が学校の枠外に置かれるだけでなく、学習活動についても学校外の場で、社会や民間の力に委ねる姿が描かれています。

それではこの図と、2021年1月の中教審答申「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して」において、「日本型学校教育」を「子供たちの状況を総合的に把握して教師が指導を行うことで, 子供たちの知・徳・体を一体で育む」としていることとの間に矛盾はないのでしょうか。この図では、「知」の半分は学校外、「体」の相当部分を占める部活動は大部分が学校外です。そもそも教員の過剰労働が明らかになり、地域社会の支援が求められて「地域とともにある学校」を打ちだしている中で、「子供たちの知・徳・体を一体で育む」学校像を目指すというのは大きな無理があったと反省し、本来の路線に戻ることにしようということなのでしょうか。

いや、そうではないでしょう。全人的な成長を考えたときに知・徳・体を一体で育むことは適切なことです。19世紀、20世紀は要素を分解して効率を上げることに汲々としてきました。その結果として生態系や社会的な持続可能性の危機が発生してしまっています。その反省に基づいてSDGsなどでは、様々な要素を統合して、総合的な観点から課題を解決しようとしています。いわば、21世紀は「統合・総合」によってこれまでの破壊を修復し直す時代ともいえます。したがって、「令和の日本型学校教育」という「知・徳・体を一体で育む」考え方が不適切なのではなく、問題なのは、現在の学校の体制の中で、現在の教職員の体制の中で追求していくような印象をもたらしている点でしょう。外部の人材や資源を活用していく方向性が示されていますが、それらを誰がどのように束ねていくのかについて具体的な提示がなされなかったこと、現在の教育に大きな負担がかかるという不安を抱かせないような丁寧な構想が十分に提示されなかったことが問題だと感じています。

いずれにせよ、これまで学校教育が一手に引き受けてきたものを領域・機能に分解して社会や民間に委ねるのが適切、という考えが本ワーキンググループの結論といえるかと思います。となると、学びの場として「教室以外の選択肢」が用意されるのも必然です。問題は「餅は餅屋」というようにレイヤーごとに別の組織や団体が役割を引き受けた場合、レイヤー間をどのようにつないで子どもたちの全人的な成長を確認していくか、ということです。つまり、各レイヤーがばらばらになって、それぞれが独自の路線を歩んでは、全人的な育みを達成するどころか、トンデモナイことになってしまいます。

「それこそ教員の仕事でしょう!」ということになると、教員に新たな負担がかかることになります。しかも「タテ社会」的な傾向の強い学校社会になじんできた教員にとっては、「ヨコ」の関係にある人々との周到な連携が求められる業務は大きなストレスをともなうものです。上図の下には、レイヤー構造の課題も以下のように書かれています。

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×印のついた学びの時間的・空間的な多様化による教育機能の低下という懸念に対して、①子供の学びを教師が把握し、伴走する、②協働的な学びの場を確保する、という2つの対応策が書かれていいます。また、学びや活動などの実施主体や責任の所在が不明確になる懸念も示されており、これには「学びの全体(を)学校が把握・支援する」とされています。いずれに対しても、「スタディログ等」を活用することが示されていますが、「スタディログ等」はあくまでもツールであって、中心になるのは教職員や学校です。しかし、前にも触れたように「伴走」を急に求められても、教科指導中心の「教え込み」重視の教員養成の下で育っている教員が、急に「伴走者」に変身できるわけではありませんし、学校が学びの全体を把握・支援するように求められると、実際に各レイヤーからの情報を収集し、整理し、さらに各レイヤーに発信するという業務が新たに学校、教職員に加わることになります。

これまでの学校の枠組みや、これまでの教員が教員養成や研修で学んできたものとはまったく異なるものが求められているように感じますが、その点についての具体的な言及は現段階ではみあたりません。この「教室以外の選択肢とレイヤー構造」の構想を進める以上、同時に各レイヤーと密接な連携を図ったり、各レイヤーを束ねたりするプロフェッショナルなコーディネーターは不可欠です。そのようなコーディネーターの養成こそ最優先で取り組むべき課題であろうと思われます。

<政策2>探究・STEAM教育を社会全体で支えるエコシステムの確立

この政策2では、探究とSTEAM教育は併記されていますが、探究についてはこれまでも中教審答申や学習指導要領の改訂で度々言及されてきたので説明する必要もないかと思います。STEAM教育については、まだなじみが薄いので少し補足しておきます。

STEAM教育については、2021年1月の中教審答申「「令和の日本型学校教育」の構築に向けて」の本文の56ページでかなり詳細に説明がなされています。そこでは、「教育再生実行会議第11次提言において,幅広い分野で新しい価値を提供できる人材を養成することができるよう,新学習指導要領において充実されたプログラミングやデータサイエンスに関する教育,統計教育に加え,STEAM教育の推進が提言された」とあります。2019年1月に示された教育再生実行会議第11次提言の中間まとめにも、一か所STEAM教育に触れた記述があるので、2018年には教育再生実行会議内でSTEAM教育に関する議論が活発化していたと推定できます。

筆者がSTEAM教育を初めて知ったのは、2011年12月にソウルの梨花大学で開催された韓国環境教育学会の下半期学術大会でした。「緑色成長と環境教育」というテーマで開催された学術大会の第1部では、開会式に先だち9件の口頭発表が行われました。そこで筆者が注目したのが、3件の発表に「STEAM教育」「STEAM授業」という用語があったことです。昼食時に韓国におけるSTEAM教育の提唱者であった金ジンス氏(韓国教員大学技術教育科教授、韓国技術教育学会会長)に声をかけてSTEAM教育を広めようとする理由を訊ねると、理数系忌避の傾向のある韓国の青少年を新たな教育手法で理数系に引き戻す意図があるという返答でした。通訳をしてもらった元鍾彬氏(学習院大学非常勤講師)によると、当時、STEAM教育についての研究を支援していたのは、教育府の外郭団体である「韓国科学創意財団」で、STEAM教育に関心を高めていたグループは科学教育(理科教育)のグループだったとのことでした。

STEAM教育は、以前からあったSTEM教育にArtのAが付加されたものですが、Artについては、「芸術」と捉える見方と「リベラルアーツ」(≒教養科目群)と捉える見方があります。「リベラルアーツ」には幅広く色々な分野をカバーするイメージがあるのに対し、「芸術」というと何か一つのこと究めるというイメージです。前述の中島さち子氏の場合、ジャズピアニストとして音楽というArt(芸術)を究めることが数学的な創造力にむすびついたのかと想像したくなります。しかし、中島氏が立ち上げたsteAmのホームページでは「アート・リベラルアーツ(Art/Arts)」と双方を併記しています。キックオフ・ミーティングで資料として示された「経済界から見たSociety5.0に求められる人材の能力」(下図参照:ただし、簡略化された図ではなく、原図を転載)では、「論理的思考力」や「規範的判断力」を涵養するという意味を持つものとしてリベラルアーツ教育が書き込まれています。

経済団体連合会 http://分科会の中間とりまとめ (keidanren.or.jp)

〈中間まとめ〉では、このArtについて 「問いを立て、デザインする力を軸にした、芸術、文化、生活、経済、法律、政治、倫理等を含めた広い範囲」と定義しています。この定義は、STEAM教育を最初に提唱したとされるジョーゼット・ヤクマン(Georgette Yakman)の“ST∑@M Education: an overview of creating a model of integrative education“(2008)という論文で示されたArtsの概念とほぼ一致しています。ヤクマンが概念的に示したSTEAM教育のピラミッド構造図(下図左)を細かく見ると(下図右)、リベラルアーツよりもさらに広く捉えている。しかし、ヤクマンの論文では、STEAMを「科学、技術、工学、芸術、数学の伝統的な学問分野(サイロ)を、統合的なカリキュラムにするために、いかに一つのフレームワークに構造化できるか、という開発中の教育モデル( a developing educational model of how the traditional academic subjects (silos) of science, technology, engineering, arts and mathematics can be structured into a framework by which to plan integrative curricula.)」と説明しており、Artsの内容が何であるかよりも、学問領域や教科が個別の教育内容となっている姿を、統合的なカリキュラムにすることにより大きな関心を向けていることがわかります。ヤクマンのピラミッド構造図の加筆されたバージョンではピラミッドの左側にContent Specific(個々の内容)→Discipline Specific(個々の学問領域)→Multidisciplinary(学際的)→Integrative(統合的)と書き込まれています。頂上付近には、当初から“Life-long” ”Holistic”と書き込まれており、社会の進展と共により上位に移行する必要があることを示しています。

STEAMについてのヤクマンのピラミッド構造図
上図の一部拡大図

となると、文部科学省が、「STEAM教育等の教科等横断的な学習の推進について」(令和3年?)の中でヤクマンの図を示しているのも、STEAM教育の推進を通して「教科の壁を低くする」という方向へ進めようとしているとも受け取れます。〈政策1〉の「時間」と「空間」の多様化を示した図の「教科」の欄の右側には、「教科等横断・探究・STEAM」という表題が掲げられ、その説明欄には、「教科の本質の学びとともに、教科の枠組みを超えた実社会に活きる学びを」と書かれています。「教科の本質の学びとともに」とは書かれていますが、これまでも言われてきた教科等横断・探究に、さらにSTEAMを加えることで、理系重視の印象を与えるとともに、教科の持つ比重を減らして教科の壁を低くする方向を意図しているようにも思われます。

この政策の表題にある「エコシステム」についても、筆者の専門領域に近い概念であるので補足しておきます。エコシステムは、エコロジカル・システム(ecological system)の短縮形で、日本語では生態系と訳されています。ある範囲に生息するすべての生物が、それらを取り巻く大気や水、土壌などの環境あるいは生物同士が相互に複雑に影響し合っているシステムを指すのが本来の意味です。様々な生物同士の食物連鎖/食物網(food chain/food web)などを連想してもらえるとよいでしょう。生態系が安定していることが望ましいという考え方から「エコロジカル」に「生態系に好ましい」⇒「環境に悪影響を与えない」という意味が派生し、いわゆる「エコ=環境にやさしい」が定着していきました。

近年「人新世(じんしんせい、ひとしんせい)」という用語が一般化してきているように、人類の活動が他の生物や環境に及ぼす影響が巨大となり、また、人類集団同士の相互関係が重大な関心事になると、Human Ecological System(人文生態系)という言葉も使われ始め、それを短縮したHuman Ecosystemという概念も生まれました。しかし、この概念がビジネスを中心とする一世界に広がると、Humanが付されずともエコシステムがもっぱら人類集団、特に企業や団体同士の相互関係に用いられるようになり、しかも、それらが相互依存の関係にあり、さらには協力関係の構築によって相乗効果が発揮される状況を指す用語として定着してきています。

ややエコシステムの説明が長くなりましたが、この政策2の「探究・STEAM教育を社会全体で支えるエコシステムの確立」の<目指すイメージ①>に描かれたエコシステムの構成母体を列記した図(下図)に書かれた説明を見ると、コーディネートや「つなぐ」が散見されるだけでなく、つなぐ人材≒コーディネーターの存在が前提となっているものが少なくありません。繰り返しになりますが、エコシステムの確立に不可欠やつなぎ役・コーディネーターの早急な養成が望まれます。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf

【政策3】文理分断からの脱却・理数系の学びに関するジェンダーギャップの解消

〈政策3〉は「文理分断からの脱却」と「理数系の学びに関するジェンダーギャップの解消」の2項目からなっていますが、この政策に当てられたスライドは1枚のみで、しかも添えられた図は、学校段階が上がるにしたがって理系の比率が減少し、大学院への進学者が極めて少なくなることを示した下図のみです。

https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/chukan.pdf
http://B章 教育への支出と人的資源:文部科学省 (mext.go.jp)

修士課程進学者も博士課程進学者も文系の大学卒業者では比率が低いので、学部段階での文系学生比率が高いことと、理系であっても大学院進学後の経済的な不安等が重なってこのような姿になっており、このことが冒頭に掲げた博士号取得者の伸び悩みや研究開発力の低下に結びついています。

このような結果になった理由は多々あるであるでしょうが、このスライドの「現状・課題」では触れられていない重要な理由があると考えています。それは、高等教育機関に対する教育支出に占める私費負担の割合が過去20数年にわたってOECD諸国中でも最低に近い水準であったことです。高等教育の教育費に対する公財政負担は2000年以降さらに低下し、2003年の国立大学の大学法人化以降、国立大学法人に対する運営費交付金は以後10年間毎年1%以上減額されました。そして、2015年には、大学教育への公財政負担がGDPに占める割合はOECD諸国平均の3分の1以下の0.5%にまで落ち込んでいます。OECD諸国では最低です。

日本の私費による教育費負担としては、小中学生の塾通いなどもあります。しかし、より大きな教育費の私費負担は、大学進学に伴う学費等の負担です。大学教育の相当部分が公的支出ではなく、学生あるいはその家庭の負担となっています。その結果、とりわけ収容学生比率で8割を占める私立大学では、マスプロ授業が可能で低い授業料を設定できる人文社会系の学部の入学定員を増やして収益の増加を図っていきました。大学の授業料を無償とする国は少なくありません。そのような国の場合、国家にとって必要な人材を考慮し、分野ごとの入学定員を決めることが可能です。これからは熾烈な理数系のイノベーション競争が展開され、それが国力や国民の豊かさを左右すると認識すれば、理数系の大学入学者比率を増やすことができます。しかし、日本のような大学進学にかかる費用の大部分を私費負担とすると、そして私立大学の営利優先を容認すると、学費が割安で済み、かつ大学としては収益の大きい人文社会系の入学者比率はじわじわと上昇することになっていきます。そして大学設置基準が新構想大学の新規参入を阻むことで、既存私立大学の既得権益を保護し、生き残りを助けているのが実態です。

ほかにも国際競争力低下の大きな要因となっている理系人材の先細りの理由は色々あるが、何よりも、国が高等教育を軽視してきたことが、今になって大きなしっぺ返しを受けているように思われます。

まとめ

教育・人材育成ワーキンググループの〈中間まとめ〉の記述内容を繰り返し確認し、補足的な説明を書きながら、提出された政策パッケージを実現するうえで何が最も重要で、今からすぐにでも着手すべきことは何かを考えてきました。これまでの記述でもかなり触れてきましたが、以下にまとめると

①学校と学外の様々なレイヤーをつなぐコーディネーターを相当規模で養成する仕組みづくりと早期の稼働、そしてコーディネーターに対する十分な報酬の確保

②72年以上にわたってマイナーチェンジで済ませてきた教科中心に構成された教育職員免許法の抜本的改革と、その際に求められる新たな領域に関連する人材の緊急育成

③中教審答申「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」(2018年11月)に掲げられた「大学設置基準の抜本的改訂」として本当に求められている事柄の早期実施

の3点です。

①については、全国の教職課程設置大学に潤沢な助成金を準備して「教育コーディネーター養成コース」設置を促すとともに、コースのカリキュラム開発を同時に進め、まさにアジャイルに(機敏に)かつ柔軟により効果的なカリキュラムにブラッシュアップさせていくべきでしょう。この①に関連することとして心配なことは、既存の教職員集団が、それまでの学校にいなかった教職員以外のメンバーの加入に前向きでない姿勢が現れることです。「タテ社会」と言われる日本の社会の中でも、学校は「タテ社会」色が濃い傾向があります。新規加入者をしっかりと自分たちの仲間として受け入れるためには、既存の教職員集団に日ごろからヨコの関係を広げるように促すことが有効ではないかと思っています。長期休暇期間中は、なるべく学校外での活動を奨励するのも大事だと思っています。また、コーディネーターという立場を理解するために、教員免許取得要件に、介護等の体験の義務化と同様に、コーディネーター等の体験を組み入れることも有効かもしれません。このような措置も同時に組み入れた制度設計が求められると思っています。

②については、2021年3月に文科大臣より中教審に対して「「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について」が諮問され、目下、中教審初等中等教育分科会教員養成部会を中心に議論がなされています。ただ残念ながら、下図のように「③教員免許の在り方・教員免許更新制の抜本的な見直し」が諮問されているのですが、これまでの経緯のしがらみにとらわれており、現時点では、抜本的な改訂の議論が進んでいるようには思われません。

https://www.mext.go.jp/content/20210312-mxt_kyoikujinzai01-000013426-2.pdf


例えば、教員養成部会が公開している最新の「配布資料」(2021年6月開催分)では、廃止が決まった免許更新講習や教員養成フラッグシップ大学構想あるいは教職課程コアカリキュラム(案)などの資料が並んでおり、その後の会議での議事録を眺めても、この教員・人材育成ワーキンググループでの議論との大きなギャップを感じさせられます。

③の高等教育改革についても、地域の活性化に資する大学が求められているにもかかわらず、文科省や中教審主導の改革は活発ではありません。中教審の高等教育分科会や文科省の高等教育局での「大学設置基準の抜本的改訂」に関する議論が進展しないことに業を煮やしたのか、内閣府が2021年8月に「地域中核・特色ある研究大学総合振興パッケージ」構想を打ち出しています。

このような府省庁に置かれる審議会等の会議体では、いわゆる学識経験者が相当部分を占めます。文部科学省に関わる会議体の場合は、そのような学識経験者が利害関係の当事者であったり、利害関係のある組織からの被推薦者であったりする比率が高くなります。となると、そのような会議体からの答申や報告等には、利益誘導的であったり守旧的な要素が多くなります。この構造的な問題は、社会の変化が著しく、早急かつ的確な対応が求められる現代社会にとってはかなり深刻なことです。内閣府が今後とも教育・人材育成政策の主導権を握るのはやむをえないことと思わざるをえません。

しかし、その際も会議等の方向付けの準備をする事務局側の未来社会に対する確かな見通しが求められることになります。また、内閣府が教育・人材育成政策の大きな方向性を定めた後の、「具体の検討・実施体制」は関連省庁が中心になって進めることになります。今回提示されたロードマップでは複数の省庁の連携の下で進められるものもありますが、特に文科省単体で進めるものも半分ほどあります。既存の政策との調整が求められるものもありますし、新たな会議体を設けて議論を深め、制度改正を目指すものもあります。

そのような中で注目したいのは、中央教育審議会初等中等教育分科会の下に、「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」が設けられ、今月(2022年2月)から「教育課程の在り方の見直し」や「学校の役割、教職員配置や勤務の在り方の見直し」、「子供の状況に応じた多様な学びの場の確保」という、とりわけ大きな課題の具体施策の策定に関わることになった点です。しかも、その特別部会の委員11名のうち5名が、教育・人材育成ワーキンググループの中心メンバーであることです。もともと中教審側から教育・人材育成ワーキンググループに入ったメンバーですので、不思議でも何でもありませんが、政策をぶれることなくしっかりと進めていくという意気込みを感じさせられます。引き続き内閣府主導の教育・人材育成改革に期待するとともに、改革の実行ぶりを見まもりつつ応援していきたいと思っています。

(いったん完了)

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