学校教育とSDGs

2021年9月13日

「地域の学習共同体」への道

2021年9月4日にZOOMで開催された「アクティブ・ラーニング研究会@学習院」の勉強会の冒頭で、意見交換の導入として、改めて「地域の学習共同体」のイメージを整理して簡単に話しました。7月29日に開催した勉強会で「OECDのラーニング・コンパス2030とオーバーロード」について紹介した際に、最後のスライドで、将来の地域社会における教育は、「地域の学習共同体」という姿にしていくべきではないか、と述べました。その発想は、前期のブログ八ヶ岳SDGsスクール | 教育改革の潮流とオーバーロード(その3) – 八ヶ岳SDGsスクール (yatsusdgs.com))の最後に書いたように、経済学者の故宇沢弘文氏が、社会が共通に利益を受ける自然環境やインフラや制度を「社会的共通資本」とし、学校教育制度もその一つに位置づけていることに触発されたものでした。勉強会では、「地域の学習共同体」が議論の中心になり、参加者に対して「私の「地域の学習共同体」」の提出が宿題とされました。そして、それらについてさらに議論を深めていくことが、9月4日の勉強会の趣旨でした。話の骨子を書いたスライド1が、画面共有したPPTのタイトル・ページです。

1.社会変動の趨勢から導かれる2050年の地域社会の教育像

SDGsやOECDのラーニング・コンパスは2030年という近未来のあるべき姿を描いていますが、もう少し先を見越した地域社会における教育像が必要という考えから「2050年」設定しました。「2050年」というのは、学習院大学に教育学科を開設するにあたっての作ったキャッチコピー「2050年の社会を見据えた教員養成」の流用であって、それほど厳密なものでないことは言うまでもありません。

現代の社会の変動はどんどんスピードアップしていますが、2050年時点で持続可能な社会の構築が実現できていたとしたら、おそらく今日の激動を乗り越え、ある程度安定した「定常型社会」となっているであろうし、意識的に「定常型社会」を目指さねば、持続可能な社会の構築には至らないだろうという私なりの確信に基づいて、そのころの地域の教育像を考えようということです。基本的な姿は、「世代を超えたすべての地域住民が一緒に学び合う場で未来世代を育む」というもので、SDGsやラーニング・コンパス2030が描く未来像に応える教育が2050年であっても求められているはずです。また、地域社会の抱える課題はますます大きくなり、地域の課題解決型教育は今以上に重視されるはずです。

また、2050年には、いよいよ本格的な生涯学習時代となっていることも、社会の変動の趨勢からの必然と言えるでしょう。本格的な高齢化社会が到来し、「人生百年」を謳歌する元気なリタイア層が、健康で充実した生(Well-being)を求めているはずです。また、「AIとIoTが多くの職業を駆逐する」といわれる第4次産業革命後の社会で生き残るには、青少年期に集中的に行う今日の学校教育での学びでは耐用年数が短すぎるものが多く、社会人となった後も継続的に学び続けざるを得なくなっているはずです。しかも、人々の微妙な心理に寄り添うようなAIやロボットが苦手とする能力、多様な人々の多様な考え方を取り入れながら強調して課題を解決していくような能力は、到底青少年期の集中学習だけで十分に修得できるものではなく、継続的な、しかも様々な協働作業の過程での学びを通して身に付けていくものと言えます。

他方で、2050年といえども、青少年期の集中的な学習の場である学校の必要性は失われません。ただ、家族の複雑さやヴァーチャルな世界の拡大などで学校をめぐる様々な課題はますます増大し、学校内で対応できるものではなくなっていると予想されます。「地域とともにある学校」の実現や、SDGsやラーニング・コンパス2030の期待に応える地域側の体制も求められているはずです。

このような社会の変動の趨勢から導かれる生涯学習社会における学びの場の全体が、「地域の学習共同体」であって、教育機関と地域社会との様々な協力・支援関係が有機的に結びつき、その境界もあいまいなものになっているはずです。また、地域の学習共同体の中核部分である学校も、乳児段階から幼稚園・保育園段階、そして初等中等教育段階から高等教育段階あるいは生涯学習段階の間の壁が希薄になっている姿を描くことができます。

そこでは、日常的に地域の人々が子育てを手伝い、幼児を見守り、児童生徒の学びを支援し、高等教育機関や生涯学習機関の運営に協力する姿が展開されているはずです。また、高等教育機関や生涯学習機関では地域内外の人々が学習者として参加するだけでなく、なかばボランティアとして指導に参画する姿も常態化しているはずです。高等教育機関や生涯学習機関の役割として地域の課題解決が重視されるようになると、アカデミックな素養の豊かな人もさることながら、地域社会の実態を熟知し、地域での生産活動に関わっている人々が指導陣に加わることは必然となります。もちろん地域の産業界やNPO等の諸団体による支援や協力も「地域の学習共同体」が持続的に機能していく上では不可欠なs要素となっているはずです。

2.「地域の学習共同体」への道

「地域の学習共同体」はどのような規模の地域を単位として形成されることが望ましいのでしょうか。小中学生が何とか通学が可能であり、「自分たちの地域」というまとまりがあるのは、平成の大合併以前の市町村(全国に3000強存在)ぐらいが一つの目安ではないでしょうか。平成の大合併以前の市町村の大部分は、現在も小学校、中学校が少なくとも各1校は備えていますので、その前提で「地域の学習共同体」が形成される過程を描いたものがこのスライドです。

まず、学校統廃合に当たって、隣の町村の小学校同士、あるいは中学校同士が水平的に統合されるのではなく垂直的な統合で小中一貫校が作られます。そこに高校普通科改革で設置が可能になった地域探究科の分校を設置します。高校の分校ですから地域外からも通学可能ですし、分校の生徒も週に1~2日は本校で過ごします。そのようにして誕生した地域の小中校一貫校に、(大学設置基準の大幅緩和で開設が可能になる)地方分散型低学費大学の地域キャンパスが設けられ、小中高大一貫校が作られます。その大学部分は地域の生涯学習センター的な機能も果たすことになります。そして、地域と一貫校との協力・連携が進み、境界が意識されなくなることで、「地域の学習共同体」が誕生していきます。

実際には、そう簡単には進まないでしょうし、今日の地域に根付いた学校教育制度から「地域の学習共同体」への移行には相当な時間を要すると考えられま。それゆえに今からしっかりと目標を定めて、地域性を無視した経済合理性第一の水平統合ではない、垂直統合を軸に学校統廃合を進めていく必要があります。

そのようなやや迂遠な道筋を辿ったとしても、構築するに値するのが「地域の学習共同体」で、そのメリットはこのスライドに列記した通りです。

「地域の学習共同体」は、学外の多様な人々・組織が一体となって次世代を育むという、文科省が「Society3.0時代の学校ver.3.0」で描いた将来構想とも一致するものですし、地域の人々の支援の下、安心安全な子育てと教育が可能になり、児童生徒の不登校やいじめが激減して、子どもたちの伸び伸びとした学校生活の評判が広がれば、多くの移住者を導くことになります。また、生涯学習機能を備えた高等教育機関が付加されることで、地域の課題解決に向けた産学公連携も進み、地域の持続可能な活力維持・向上を見込むことも可能になります。

ただし、この「地域の学習共同体」の構築は、既存の学校教育から逸脱する部分が多いので、様々な抵抗が予想されます。特に、時代遅れの教員免許制度と大学設置基準が構想実現の大きな妨げになることは容易に予想できます。

このスライドに描いた図は、既に『教育展望』2021年6月号に寄稿した提言「「個別最適」と「タテ社会」—ICT活用の懸念と学校の「ヨコ社会化」—」(p.46-52)で説明していますしが、文科省が十数年前からこれまでに進めてきた2つの教育改革の方向性と、近未来へのもう一つの方向性を3つのベクトルで表現してみたものです。8月にアップしたブログ八ヶ岳SDGsスクール | 教育改革の潮流とオーバーロード(その1) – 八ヶ岳SDGsスクール (yatsusdgs.com))でも述べたように、一番下の第一のベクトルは今回の学習指導要領改訂で強調された「協働的な学び」を重視する教育方法の改革です。第二のベクトルは、2021年1月の中央教育審議会答申「「令和の日本型学校」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す個別最適な学びと協働的な学びの実現~」で強調された、ICTの活用による「個別最適」を目指す方向性です。そして第三の「ヨコ社会化」のベクトルは、2018年に文科省のタスクフォースが描いた「Society5.0に向けた学校er.3.0」に描かれた、学外者・学外機関の学校教育への関与を示したものです。「地域の学習共同体」の基本をなす多様な学外者・学外組織の学校教育への関与は、文科省が推進しようとしているものと一致しています。

このOECD のEducation2030プロジェクトが2019年に提示した「ラーニング・コンパス2030」の図も、一連のブログですでに紹介していますが、要点だけを再度記しておきます。 ラーニング・コンパス2030は、学習者がコンパス(羅針盤)を用いて、最終的な目標である“Well-being 2030”を目指すイメージを描いています。とりわけ重要な概念がエージェンシーという「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」です。OECDが約20年前に提起したキー・コンピテンシーが、「社会や経済の変化に対応する鍵となる能力」という受け身の能力概念でしたが、、ラーニング・コンパス2030では「変革をもたらすコンピテンシー(Transformative competencies)」が重視されています。SDGsを内包する「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が冒頭に掲げた”Transforming Our World(我々の世界を変革する)”に通じるものです。また、エージェンシーは一人だけで発揮されるものではなく、仲間や教師、親、地域の人々という周囲との関係性の中で育まれ、発揮されるものであることから、「共同エージェンシー」が大きな役割を果たすされており、取り巻く人々が大きな役割を果たす「地域の学習共同体」とも通じるものです。

3.高校普通科改革で「地域探究科」を

前述の高校の分校の設置による小中高一貫校については、若干の補足説明が必要と思われます。

日本の高等学校の生徒の7割は普通科に在籍しています。そして普通科卒業生の約3分の2が大学に進学しています。他方で自宅での学習時間が30分以下という高校在籍者が6割に達しており、日本の18歳の青年のうち、「自分は責任ある社会の一員だと思う」比率は約45%で、他の国々が軒並み80~90%であるのと雲泥の差があります。学習意欲が低く、社会に対する責任意識や参画意識の低い高卒者が大挙して大都市圏に集中する大学に進学し、地方の若年人口減をもたらしているという現実があります。その流れを断ち切り、高校段階から世界的な課題や地域の課題と向き合う青年を育てる必要があるという認識に基づいて進行したのが高校普通科改革で、特にSDGsなどの現代的な課題に取り組む学科と地域社会の課題解決に向けた学びの学科を設けるべきとの結論が中教審内の高校改革ワーキンググループから出されました。ワーキンググループの中心メンバーには島根県教育魅力化特命官の岩本悠氏や地方の活性化に向けて発信し続けてきた小田切徳美氏などが加わっていました。

この高校普通科改革で開設が可能になった「地域探究科」を地方の主要な高校に設けることは、卒業後も地域の活性化に貢献しようという育むという点で、非常に有効なことだと感じています。その場合に、「地域探究科」の生徒を高校のキャンパス内にとどめるのではなく、近隣の複数の小中一貫校に付設する形で分校を設け、そこで1学年20人程度の生徒を分散させることで、地域に腰を据えて地域の課題解決に向けた学びに立ち向かう、まさに地域に密着した学びを行うことが可能となります。地域探究科の生徒は、授業の一部は本校で通常の授業を受け、多くは分校を拠点にフィールドワークなどの地域密着型の学習を行いますが、さらに、分校間の交流を活発にすることで各地域の特質の違いを深く理解できるようになり、「地域探究科」本来の役割をより効果的に果たすことができるであろうと考えています。この小中一貫校に付設された高校の分校は、地域の小中一貫校と地方分散型低学費大学の懸け橋という役割も担うことになります。小中一貫校に高校の分校が付設されることで小中高一貫校が誕生し、そこにさらに地方分散型低学費大学地域キャンパスが置かれると、小中高大一貫校となります。高校の生徒は中学生の、また大学の学生は高校生のメンター的な役割を果たせますし、逆に、上級学校の授業に参加して学ぶことも可能になります。

4.地域活性化に対する高等教育機関の役割

アクティブ・ラーニング研究会@学習院は、2014年の現行の学習指導要領の文科相諮問段階で、「アクティブ・ラーニング」を重視する姿勢が示されたことから、その応援団的な勉強会という形で生まれました。メンバーの多くが地球環境問題のような地球的課題に対する関心を持つとともに、少子高齢化と人口減少で活力を維持しにくくなる地方の活性化が重要と考えていました。さらに、当時の(多分に今の)学校教育が硬直的で、社会の大きな変化に対応できていない、と考えていました。そこで、当初は初等中等教育段階の問題点と、その解決への道筋を探ることが話題の中心でした。しかし、2018年頃から、地方の活力低下が放置されているのも、初等中等教育が歪められているのも、大学に大きな問題があり、その抜本的な改革が不可欠との認識で一致するようになりました。旧態依然とした大学が大都市圏に集中し、大学進学を機に地方の若者が大挙して地元を離れる構造を断ち切り、このスライドに列挙したような地域の課題を解決して地域のニーズに応えるには、地方に地域課題解決の役割を果たす高等教育機関が分散して存在する必要がある、しかも低学費が絶対条件だ、ということから「地方分散小規模低学費大学」構想へと展開しました。

そのような中で、諏訪の地元である山梨県北杜市にそのような大学を作るとどのような具体的なイメージになるか、を描いてみたのが下の図です。この北杜共創大学構想については、NPOのブログ八ヶ岳SDGsスクール | 小規模分散型低学費大学設置の必要性 – 八ヶ岳SDGsスクール (yatsusdgs.com)八ヶ岳SDGsスクール | 北杜市に大学を! – 八ヶ岳SDGsスクール (yatsusdgs.com) )などで、述べてきていますが、要点を簡単にピックアップすると、メインキャンパス以外に研究センターが市内の各町に分散して存在すること、市内の全世代の住民が受講したり研究センターの活動に参画したりすること、ここには書かれていませんが、MOOCsの利用なボランティア的な講師陣主体の授業運営で国公立大学の半分以下の低学費にすることなどです。この構想をかつて合田哲雄氏(当時文科省初等中等教育局財務課長、現内閣府(科学技術・イノベーション担当)審議官にお話ししたところ、「まさにこのような大学がこれから求められているのです。」との返答をいただき、ぜひとも近い将来に実現したいと思った次第です。そして今回の構想は、小中学校の垂直統合と高校普通科改革による地域探究科創設とこの地方分散小規模低学費大学構想をドッキングさせ、さらにその先の「地域の学習共同体」にまでイメージを膨らませたものです。

2021年8月8日

教育改革の潮流とオーバーロード(その3)

―7月24日の特別講演会で伝えたかったこと―

学校には課題満載。未来のための改革は必要。しかし、過剰負担は避けたい。では、どうすればよいのでしょうか?文科省が提示している一つの答えが学校と地域の密接な連携・協力です。今回の学習指導要領改訂のキャッチコピーとして「社会に開かれた教育課程」を掲げたのは、かつての地域社会との間に高い壁を設けていた学校との決別の強い意志とも言えます。学校と地域の連携・協力については、1995年の中教審に対する文部大臣諮問に「学校・家庭・地域社会の役割と連携の在り方」に盛り込まれて以降、学校評議員制度や学校支援ボランティア制度、さらに「学校運営協議会」や「チームとしての学校」などの仕組みが整備され、かつての「地域に開かれた学校」という言い方が、「地域とともにある学校」に変わり、「連携・協力」も「連携・協働」が使われるようになっています。筆者自身も杉並区立西田小学校の学校運営協議会の会長を5年近く経験し、学校と地域の協力・協働が、学校が抱える様々な負担軽減にも大きな役割を発揮してきていることを実感しています。しかし、それがしっかりと根付くには、いわば上からの政策とともに、地域関係者や当該学校関係者の自発的・主体的な参画によって立ち上げられたNPOによる下からのサポートが求められるようになっていると感じています。

学校をサポートするNPOの役割としては、例えば指導の困難な子どもたちの増加への対応や、学外人材との橋渡しなど、学校が現在直面している課題への対応などがあります。しかし、多様な人々から構成されがちなNPOは、「タテ社会」の傾向のつよい学校の「ヨコ社会化」に貢献すると思われます。特に教職員が、自分の居住地域の学校サポートNPOに参加したり、以前の勤務校のNPOに加わって学校をサポートすると、教員の交流関係が学校外にひろがり、7枚目のスライドで示した未来の学校(≒Society5.0 時代の学校)を担うにふさわしい資質を身に付けていくことが期待できます。近未来の持続可能な社会、多文化共生社会、生涯学習社会に適合した学びの場として筆者は「地域の学習共同体」を構想していますが、そのような未来の学びの場の構築のためにも、教育サポートNPOの普及・定着は需要なステップと捉えています。

教育NPOの基本的な役割は、学校教育の支援です。その範囲は多岐にわたるでしょう。当面、教員の多忙の大きな要因となっている部活動を地域が引き受ける場合、教育NPOが受け皿になることが考えられます。また、スライドの18枚目、19枚目に示したスマホの利用時間の急増や外遊びの減少といった、情報化の進展に伴う負の側面の拡大に対応した活動の支援が重要だと感じています。具体的には、多忙を極める学校では対応しにくいフィールドワークや自然体験などを学校に代わって実施し、子どもたちが人間本来の感性を取り戻したり野生の姿の追体験の支援が求められていると思っています。

それでは、学校と地域の連携・協働が進み、教育支援NPOが普及・定着していけば、学校・教師・児童生徒のオーバーロードは解消されるのでしょうか?学校教育の在り方の根本に、勘違いや攪乱要因が作用して、様々なストレスやオーバーロードをもたらしているのではないでしょうか。そのことに気付かせるとともに、具体的な処方箋を示してくれていると感じたのが、パシ・サールベリー氏が著したFinnish Lessons (フィンランドの教訓)です。2011年の初版の後、2015年に第2版、2021年1月に第3版が出版されています。

フィンランドは、2000年にOECDが実施した最初のPISA調査で、読解力で世界第1位、科学的リテラシー、数学的リテラシーでも世界3位と4位という好成績を示し、世界中の教育関係者から注目された国です。著者のパシ・サールベリー氏は、教職経験を経た後、フィンランドの教育行政に関与するとともに、その後OECDや世界銀行で世界各国の教育の実態に精通するようになった人で、その経験からフィンランドの好成績の要因を絞り込んでいます。その第1番目が4つのパラドックスで、とりわけ1番目の「教えることを減らすと、より多く学ぶようになる」と2番目の「テストを減らすと、より多く学ぶようになる」は、これまでの学校教育関係者の多くが思い込んでいたことに反するものだけに注目されました。3番目の「たくさん遊ぶと、より多く学ぶようになる」に2021年出版の第3版で初めて登場したものです。フィンランドは、過去20年間に相当数の移民を受け入れており、PISA調査では、じわじわと順位を下げていますが、依然としてEU諸国の上位に位置しています。

この図は、OECD加盟各国のジニ係数(=所得の不平等指数)と子供の貧困率を示したものですが、フィンランドはいずれも低い水準で、公平性の高い国家といえます。パシ・サールベリー氏はパラドックスの4番目として、経済面でもまた教育面でも公平性を高めることが学びの質を向上させると指摘しています。

この図はFinnish Lessonsには掲載されていませんが、Youtubeにアップされたパシ・サールベリー氏のアメリカでの講演で提示されたものです。PISA調査の科学的リテラシーの成績をみると、フィンランドの学校内での成績のばらつきは小さくありませんが、学校間の成績のばらつきが極めて小さいことがわかります。これは、フィンランドが、地域間の経済格差による教育格差が小さく、私立学校がほとんどなく、公立校でも学校選択制度がないというような公平性を貫いていることでもたらされており、結果的に国家全体としての教育の質を高めているとパシ・サールベリー氏は説明しています。

学校間のばらつきを小さくさせているもう一つの重要な要因は、フィンランドの現在の学校制度にあります。この左側の図は、1970年以前のフィンランドの学校制度で、10歳から12歳の段階で高等教育を目指すか、職業学校に進むかに分かれる制度が採られていました。しかし、1970年代の学校制度改革で、右側の図のように小中一貫の総合小中学校ペルスコウルのみに一本化され、校区内に住む子どもたちは校区内のペルスコウルに通うことが原則とされました。この学校制度改革によって、中学校卒業までの教育の公平性が確保されました。

ただし、フィンランドの好成績は、公平性の確保などの4つのパラドックスだけで実現されたものではありません。パシ・サールベリー氏は、“The Finnish Advantage    The Teachers”という章を設けて、フィンランドでは教師という職業が高く評価され、将来なりたい職業の最上位にあることを述べています。それとともに、そのような優秀な教員集団が育成されるうえで、①世界レベルの教師教育プログラムの確立し、小学校教師も修士課程卒を原則とし、教師を実践者であるとともに研究者として位置づけていること、②カリキュラムや学校改善の主役を教師に付託し、教師としての専門知識と判断力を行使できるような教師の自律性を確保すること、が重要であると指摘しています。まさに、佐藤学氏が一貫して重視している「専門家としての教師」の集団を生み出すことに成功しています。

学習者自身の主体性・自律性・協働性を重視するアクティブ・ラーニングが真の学力向上をもたらすのと同様に、質の高い教師教育プログラムを準備するとともに専門家としての教師の主体性・自律性・協働性を尊重した授業実践や学校運営が好結果を生み出していると言えるのではないでしょうか。教師を管理するのではなく、教師の主体性・自律性・協働性が発揮される環境作りが日本でも求められていると思います。

Finnish Lessonsで強調されているフィンランドの好成績のもう一つ要因として、サールベリー氏がグローバル教育改革運動(GERM=病原菌、Global Education Reform Movement、英語読みでは「ジャーム」、「ゲノム」風に読めば「「ゲルム」)と名付けた、新自由主義的な教育手法をフィンランドが採用しなかったことをあげています。GERMの例として、①学校選択制の導入などの入学者獲得を巡る学校間の競争、②生徒の成績に対する学校や教師の説明責任、③教師への業績に基づく給与査定、④入学者の少ない学校の閉鎖、⑤チャータースクールの開設、などが挙げられており、これらに対し、「産業界でも時代遅れとなった管理モデルに基づく教育制度改革」と断罪しています。逆に、逆に、学校間の協力、教師への権限移譲、教師の教育力向上政策、公平性確保のための資金供与、教師と校長の専門性への信頼等、フィンランドが築いてきた学校文化の有効性を指摘しています。

パシ・サールベリー氏は2014年に行った講演で、このスライドに見られるように、GERMとフィンランドの方法を対比させたわかりやすい図を提示しています。日訳を付さなかった斜めの部分、すなわち“Marketization(市場主義)”と”Professionalism(専門性(尊重))“は、対応関係とは言い難いのですが、GERMとフィンランドの方法の違いの重要な点を浮き彫りにしています。

パシ・サールベリー氏によると、フィンランドは新自由主義的な教育改革は受け入れなかったが、①ジョン・デューイの教育哲学、②協同学習(cooperative learning)、③多重知能(multiple intelligences)、④代替教室評価(alternative classroom assessments:標準化されたテストによる評価に代わるポートフォリオ評価など)、⑤ピア・コーチング(peer coaching: ティームティー チングを通した授業改善)、といったアメリカで開発された教育手法を積極的に受け入れていると述べています。

フィンランドの教育制度改革として特筆すべきものは、1970年代の小中一貫総合学校(ペレスコウル)の創設ですが、世界各国と同様に、社会の大きな変動がもたらす新たな教育課題への対応を求められてきました。それらに対し、フィンランドはおおむね適切な対応をして、レベルの高い教育の維持を果たしてきた、とパシ・サールベリー氏は評価しています。しかし同時に、第3版では、二つの問題に対する懸念にも言及しています。その一つは、2010年以降の予算削減によって、学校とクラスのサイズが大きくなり、特別な支援を必要とする子どもたちが取り残されがちになっていること、そしてもう一つは、若者たちがデジタルなメディアやテクノロジーに過剰な時間を費やすというような若者の変化によって、学校での心理的、情動的、社会的、認知的な課題を持つ児童生徒の数が増えてきていることです。情報通信技術の進展の負の影響は、フィンランドでも無縁でないようです。

以上述べてきたように、2000年以降、OECDが新たな学校教育の在り方を牽引しようとしており、特にラーニング・コンパス2030が示した「変革をもたらすコンピテンシー」の育成は、SDGsに呼応するものとして画期的なものです。しかし、伝統的に学校が担ってきた教科学習の縮小が進まないまま、新たな教育課題に取り組むことは学校にとっても教師にとっても、また児童生徒にとってもオーバーロードをもたらします。

それでは、そのようなオーバーロードを回避する道はあるのでしょうか?このスライドで示したのは、その可能性を開く一つの方策として文科省も推進している学校と地域の連携・協力・協働、もう一つの方策としてFinnish Lessons が示唆する学校教育の原点回帰を取り上げ、それらを掛け合わせることである程度の効果を発揮しうるではないかという提案です。前者については、上からの政策だけでは不十分で、地域の教育NPOのサポートが重要であり、後者については、競争原理の排除と教師への信頼に基づくカリキュラムや学校改善の権限移譲(エンパワーメント)が眼目と言えます。言い換えると、次の時代の地域社会の担い手を育むという教育の本来の姿に少しずつ意識的に戻していくことと言えるかもしれません。

すでに半世紀ほど経過するかもしれませんが、経済学者の宇沢弘文氏が、社会が共通に利益を受ける自然環境やインフラや制度を「社会的共通資本」とし、学校教育制度もその一つに位置づけています。そして、社会的共通資本の管理・運営については、国や官僚に任すのではなく、社会がその役割を担うべきであると論じています。経済的な発展拡大に代わって持続可能な社会の追究が基調になるSDGs時代はおいては、新たな「定常型社会」の到来も予測されています。そこでは、「社会的共通資本」としての学校は、漠然とした「社会」ではなく、自立的・自発的な個人からなる「新しいコミュニティ」が管理・運営する姿を目指すべきなのではないでしょうか。そこで展開されているのは「地域の誰もが学びに参加する」「地域の全員で次世代を育てる」姿で、名付けるとすれば、「地域の学習共同体」と言えるのかもしれません。(完)

2021年8月6日

教育改革の潮流とオーバーロード(その2)

―7月24日の特別講演会で伝えたかったこと―

この図が、OECD のEducation2030プロジェクトが2019年に提示したラーニング・コンパス2030です。仲間や教師、親、コミュニティに見守られながら、学習者がコンパス(羅針盤)を用いて、様々なルートをたどり、最終的な目標である“Well-being 2030”を目指すイメージが描かれています。羅針盤の「針」の部分には知識・態度・価値観・スキルというコンピテンシーが配されていますが、水色に着色された羅針盤の「盤」の部分に、①新たな価値の創造、②対立やジレンマへの対処、③責任ある行動、の三つの「変革をもたらすコンピテンシー(Transformative competencies)」が置かれている点が画期的です。2030 という数字からもSDGsが記述された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を意識したものであることがわかりますが、このTransformative competenciesも、2030アジェンダの冒頭に書かれた”Transforming Our World(我々の世界を変革する)”を連想させます。なお、『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来』(白井俊著、ミネルヴァ書房、2020年12月)には、このラーニング・コンパス2030が誕生するに至った経緯と詳しい解説が記載されています。Transformative competenciesの訳語として7月24日のプレゼン段階では「変革的コンピテンシー」を使っていましたが、白井氏の「変革をもたらすコンピテンシー」がその意を的確にとらえているので、修正しています。

OECDの「教育とスキルの未来2030プロジェクト」(通称Education 2030 Project)は2015年に活動を開始し、フェーズ1の締めくくりとして2019年にラーニング・コンパス2030を提示しました。現在はフェーズ2として評価、教育法、管理運営を開発している段階です。OECDがキー・コンピテンシーの後継ともいえる新たな教育指針を開発・提示することになった背景には確実にSDGsがあります。つまり、①コンピテンシーは人材論、組織論から出発したこともあり、社会経済の変化に対応する力を求めました。しかし、②SDGs時代にあっては、対応するという力を育むという受け身の姿勢ではなく、あるべき社会を作り上げる能動的な姿勢が求められる、という認識に変わっていったと思われます。Education 2030 Projectが提示する文書には、ラーニング・コンパス2030の核心をなすキャッチコピーとして“The Future We Want”(私たちが実現したい未来)が繰り返し登場してきます。

ラーニング・コンパス2030の重要なキーワードは「エージェンシー」です。エージェンシーという言葉は、通常「代理店」などに使われますが、心理学などでは「行為主体」を表しており、Education 2030Project では「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」と定義しています。「エージェンシー」は、羅針盤を用いて未知なる環境の中を自力で目標達成に向けて歩みを進めるイメージですが、エージェンシーは一人だけで発揮されるものではなく、仲間や教師、親、地域の人々という周囲との関係性の中で育まれ、発揮されるものであることから、「共同エージェンシー」が大きな役割を果たすことが期待されてるように説明されています。白井俊氏の訳語に従って「共同エージェンシー」としましたが、関連する文書でも”work together”という言い方が出ていますので、「協働エージェンシー」でもいいのかなと思っています。日本の教育改革の第三のベクトルと述べた「ヨコ社会化」に通じるものと捉えています。 ラーニング・コンパス2030のもう一つの最重要キーワードはWell-beingです。個人の場合は、心身ともに健康で充足した状態を表す概念ですが、個人のWell-being以上に社会のWell-beingを重視した説明がしばしばなされています。この点でも、SDGsが目指す方向や価値観との一致を感じさせられます。

OECDが以前に提示したキー・コンピテンシーが、主要国のカリキュラム改革に大きな影響を与えたように、新たに提示したラーニング・コンパス2030も、世界各国の学校教育の在り方に大きな衝撃を与えることになると考えています。つまり、「実現したい未来」を実現する能力を育む学校教育への転換が、これから2030年に向けて世界各国で競い合うように進むであろうと予測しています。筆者がかつて『学校教育3.0』(三恵社、2018年)の中で願望を含めて予測した「持続可能社会型教育システム」への移行が、OECDによるラーニング・コンパス2030によって加速される可能性が拡大してきたと見ています。そして、このラーニング・コンパス2030の示す方向への学校教育の転換は、課題満載の青少年と学校現場を抱えた日本でこそ、求められていると言えます。この図は、2019年に日本財団が発表した「18歳意識調査」という国際比較です。諸外国に比べて、日本の若者の社会変革意識が極端に低いことがはっきりと示されています。特に、「自分で国や社会を変えられると思う」に対する肯定的な回答が、日本の若者は極端に低率です。

日本の学校の抱える大きな課題の一つが教職員の勤務時間の長さで、OECD諸国の中でも突出していることがTALIS2018実施時の調査で明らかになっています。しかも、「教えることに割いた時間」はOECDの平均値よりも少ないぐらいで、全勤務時間の3分の1ほどです。部活指導や事務的な報告、あるいは課題を抱えた児童生徒への対応に多くの時間を割いているという日本の学校の特殊な状態は明らかです。それにもかかわらず、2021年1月の中教審答申「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して」は、「子供たちの知・徳・体を一体で育む」姿を「日本型学校教育」として、その継承を求めています。

OECDが中学校教師を対象に実施した2018年の調査で、「もう一度選べるとしたら、教員として働くことを選びますか?」という問いに対しても、日本はOECD諸国の最下位。このような状況は、教職を目指す人の減少を招き、学校教育のレベル低下を引き起こしかねません。後に述べるフィンランドの事例のように、教師の職業が社会でも高く評価され、教師自身も誇りを持てる職業にすることが求められていますが、なかなかその展望を見い出せないのが現状です。

今日の学校教育のもう一つの大きな課題は、児童生徒に関わる課題の増加です。ここでは小中学校の不登校児の割合の推移を取り上げます。この図からもわかるように、1990年代に急増した中学生の不登校は、21世紀になって高止まり状態でした。しかし、2012年以降、再び増加し始めています。しかも2010年代の増加は、小学生にも顕著にみられます。小中学校段階の不登校は、しばしばその後の「引きこもり」につながりがちで、今や社会全体の大きな課題となっています。しかし、この大問題の原因解明は進んでいないように思います。もちろん社会的なストレス増加が大きく関わっていることは想像できますが、以前にこのコーナーの「小学生の異変」で触れたように、有害化学物質の関与も考えられます。

文科省はGIGAスクール構想を打ち上げ、学校におけるICTの活用を進めようとしています。しかし、青少年の日常生活におけるICT化は、スマホの普及によってすでに著しく進んでいます。ただし、それが好ましい方向に進んでいるとは言い難い面があります。デジタルアーツ社が10年以上にわたって実施してきた未成年のスマホ利用実態調査は、2015年から2019年までの4年間で小中学生の1日平均のスマホ使用時間が約1時間増えたことを明らかにしています。この図を作成した後に、2020年の調査結果のデータに接し、若干減少していてホッとしました。一方、ゲーム機器やスマホなどの機器の普及と、子どもたちの外遊びの時間が減少の一途を辿っていることも確認できます。

しかし、ホッとしたのは一瞬でした。2019年と2020年の小学生の平均利用時間の内訳をみると、一日平均6時間以上スマホを利用している比率が2019年は6%弱でしたが、2020年では約13%と倍増しています。2019年の方は単に「小学生」と書かれており、2020年の方は「小学校高学年」と書かれていますが、2019年の調査も10歳以上が対象とされていますので、対象もほぼ同じです。ちなみに、2020年の調査は、2020年2月21日(金)~2月25日(火)に行われており、安倍前首相による全国一斉の休校がはじまる前の時期ですので、突然の休校で時間を持て余してスマホ三昧が増えたとも考えられません。「スマホ中毒」の比率が、今現在、小学生で急上昇している可能性があります。

1990年頃から約30年の間に世界中で進行した教育改革は、21世の社会に対応する能力育成という、避けて通れない道でした。そして、新たにOECDが提示したラーニング・コンパス2030は、「私たちが実現したい未来」を創り出す能力を育もうというもので、持続可能な未来社会を創ろうとするSDGsに呼応するものです。これも、生態的・社会的な持続可能性の危機が迫っている現在、教育面から取り組むべき最優先事項といえます。

しかしながら、教育改革が打ち出されるたびに、従来の新たな教育課題がこれまで継承されてきた教育課題に上乗せされていくと、教員にとっても児童生徒にとっても、過剰負担が生じますし、カリキュラム自身も許容量を超えるオーバーロード(過剰負荷)となるのは必然です。OECD自身もカリキュラムの拡大と過剰負荷を最小限に抑えるという大きな課題に直面していることを自覚しており、2020年11月には“Curriculum Overload”という冊子を刊行して、その対応策を提示しています。しかし、そこで例示されているのは、既存の教科への埋め込みやクロス・カリキュラムでの対応という、学校内の、しかも既存の大枠の中での対処が中心で、実際に生じるオーバーロードを大きく軽減させるものとなることは期待しがたいと感じています。特に「タテ社会」的傾向の強い日本の学校教育の世界では新たな教育課題が加わった時に、守旧勢力が古いものにこだわり、若い世代も前の世代を気遣うことでスクラップ・アンド・ビルドが起こりにくく、仕事が積み上げられがちだからです。しかも、6枚目のスライドの左下にしっかりと書き込まれているように「学習内容の削減は行わない」と書かれてしまっているので、スクラップ化はしにくい構造となっています。

それではどうすればよいのでしょうか。その一つの答えは、この間、文科省が旗を振り、各教育委員会も積極的に進めてきた学校と地域の密な連携です。地域の応援を得て学校の負担を軽減させようというものです。そもそも、ラーニング・コンパス2030において、変革をもたらすコンピテンシーとして掲げられた「新たな価値の創造」「対立やジレンマへの対処」「責任ある行動」などは、地域社会での活動を通して学ぶ方が効果が大きいものではないでしょうか? そして、どうすればよいのか、に対するもう一つの答えは、「フィンランドの教訓」の中に見出せるのではないかと思っています。このあとは、地域との連携とフィンランドの教訓について述べていきたいと思います。(続く)

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