学校教育とSDGs

2020年12月24日

「所有の文化」と「共有の社会」、そしてSDGs

教育実践指導の両巨頭が登壇した特別講演会

12月12日午後、NPO法人八ヶ岳SDGsスクールと山梨共創型対話学習研究所共催の特別講演会を小淵沢のアルソア女神の森セントラルガーデン「メインホール」で開催しました。メインテーマとして「未来の学校教育を創造する」を掲げ、共創型対話学習の先導者である多田孝志先生と学びの共同体の先導者である佐藤学先生という、日本の教育実践指導の両巨頭に登壇していただきました。お二人が一緒に講演し、その後対談されるということは、これまでにもなかった初めての試みです。NPO法人八ヶ岳SDGsスクールとしても今年最大のイベントでしたが、コロナウイルスの第三波が着実に押し寄せている最中で、十分な宣伝ができない状態での開催となったことは残念でした。

配布資料作成用として事前に当日使用するPPTを送っていただきましたが、両先生にとっても久々の対面での講演だったこともあり、「あれも話しておきたい、これも話しておきたい」という思いが込められた、内容の豊富なPPTでした。そして、あらかじめ予想していた通り、お二人ともそれぞれ40分の持ち時間では話しきれず、最後を超特急で締めくくるという結果になりました。

そこで、最後の「登壇者間の意見交換」の時間を使って、是非とも補足してもらいたいというスライドを再度巨大スクリーンに投影して説明を求めました。それがこのコラムのタイトルにある「所有の文化」と「共有の社会」です。ご講演の骨子については、後日このコーナーで少し丁寧に紹介したいと思っていますが、お二人が結論として触れておかねばと思われていたことが、「行き過ぎた(私的)所有」で一致していたことに強く共感させられました。

所有の文化=戦争の文化

先に講演をされた多田先生の最後のスライドが以下のものです。

多田先生のご講演のテーマは「共創型対話が導く未来の学校と教師の役割」でした。様々なタイプの「対話」の中でも、グローバル化する社会の中で、異との共生に求められる共創型対話の重要性の指摘が前段。その共創型対話に導くうえで特に留意すべき、「間」や「ゆさぶり」や「ふりかえり」や「聞き合う関係」など、特に教師としての役割に関わる要点の解説がご講演の中心部分。

そして、上掲の最後の1枚のスライドに、こんにちの趨勢が進行することによる未来の学校教育の懸念材料が列挙されていました。「数字化・数量化」への懸念は、のちに触れる佐藤学先生のICT教育批判にも通じるものです。中央の「人間疎外」は最下段の「人間性喪失」に対応しており、それを「知性の劣化」と並列されている真意ももっと詳しく伺いたいところでした。そして3番目の「所有の文化」。経済のグローバリゼーションが「所有の文化」を世界中に拡散させ、さまざまなとんでもない弊害を生み出していることを指摘されたものと受け止めていますが、とりわけ「所有の文化=戦争の文化」という断定的な記述は強烈です。当日は時間の制約から、その真意を深く追究することは避けましたが、農耕社会が始まって富の蓄積が可能になると、より多くの富の所有を求めて他の集団との戦争が始まったことを思い起こせば、決して大げさすぎる表現とは言えません。世界中が経済的な利益の獲得・拡大に奔走している現代社会の着地点が、再度の大規模な戦争になる可能性は否定できません。そして、今日の「競争」を基調に据えた学校教育も、「所有の文化=戦争の文化」への流れの上に存在しているといえるかもしれません。

ポスト・コロナの社会は、資源と資産を共有し合う社会

多田先生のあとに講演された佐藤学先生の最後のスライドは、「結論2 これからの学校、これからの授業、これからの学び」のタイトルが付されたもので、①これからの<学び>は、「探究と協同」を核とする学びとなること、②これからの<授業>は、「デザイン」と「リフレクション」によって創造される授業となること、③ これからの<学校>は、民主的で先進的な専門家としての教師集団による学びの共同体としての学校となることが示されていました。そして最後から2枚目の「結論1」が以下のスライドです。

上のスライドの4項目のうち上の3項目は、ICT教育が誤った方向に進んでいることの指摘です。そして最後の4がここで取り上げたい部分です。ポスト・コロナの社会を“sharing, caring and learning community” として、「この社会に向けて、一人も独りにしない教育で子どもたちを守り育てる必要がある。」と書かれています。多田先生が未来の学校教育への懸念として「所有の文化」の危険性を指摘されたのに対し、佐藤学先生は「資源と資産を共有し合う社会」という未来の姿の具体的なイメージを提示しています。そして、それが単なる願望ではなく、実現可能なものであることを、対談の中で、私的所有の概念が人類社会に広がったのはつい最近のことであって、今でも世界の6000ほどの言語のうち、私的所有を意味する「持つ」という動詞のある言語は200ほどでしかないことを話されました。佐藤学先生が描いておられる「共有の社会」は、まだ大きな潮流にはなっていませんが、すでに芽生え始めています。若者の間にマイカー離れが進み、カー・シェアリングが急速に拡大しているのもその一つといえます。

「タテ社会」と「所有の文化」

実は、登壇者間の意見交換に向けて、当日話題にしたいことを準備していただきたい旨のメールを両先生にお送りしました。それに対して、多田先生から講演会当日の朝にメールが届き、対談の冒頭で核心部分を赤字にしたスライドを投影して紹介しました。それが以下のスライドです。

文中にある中根千枝先生は、筆者の大学在学中に「女性初の東大教授」になった方で、メールを受け取ってすぐにネットで検索し、94歳でご健在であることを確認しました。多田先生が「タテ社会」が変わっていないことを重視されているのは、これからの多文化共生時代において、日本社会が未だに「タテ社会」であることが大きな障害になると感じられたからであろうと思います。

集団への参加が「場」に基づいており、単一集団への一方的な帰属が求められる「タテ社会」においては、「場」を異にする外来者は排除されがちになります。日本の役所の悪弊とされる「タテ割行政」も、よそ者が越境して自分たちの領域(=場)に入ってくることを拒み、自分の本来の領域(=場)とは別の領域(=場)に立ち入ることを躊躇するのも、「タテ社会」の伝統が大いに関与しているといえるでしょう。このことは、多田先生が教師仲間の実感として紹介されている「過度に目立つことを厭い、(中略)自己表現を忌避する青少年たちが、むしろ増加している」ことや「スクールカーストにみられるように集団の中で、些細な差異を要因として序列化する」傾向にも当てはまります。また、「タテ社会」においては、役職や階級などの序列が重視されるため、その場の上位者にとっては、その集団全体を自分の思い通りに操れる「所有物」と見なす感覚も生まれます。まさに、「所有の文化」と通じる部分が少なくありません。場の上位者でなくとも、一つの場や集団へ執着することも、「所有の文化」から派生した意識といえるかもしれません。

「タテ割り行政」とSDGs

上記のように「タテ社会」が日本の社会に根強く残っていることは、役所の「タテ割行政」に端的に現れています。しかし、「登壇者間の意見交換」の場では、下のスライドを投影して、SDGsの浸透によって「タテ割行政」も徐々に変わろうとしていることを述べました。

http://環境省ローカルSDGs -地域循環共生圏づくり プラットフォーム- | しる (env.go.jp)

このスライドは、2018 年4 月に閣議決定された第五次環境基本計画に盛り込まれた「地域循環共生圏」をより具体的に示した図の中心部分の拡大図です。「環境省ローカルSDGs 地域循環共生圏づくりプラットフォーム」というホームページに掲載されており、「地域循環共生圏(日本発の脱炭素化・SDGs構想)」という表題がついています。上記のホームページでは「「地域循環共生圏」は、農山漁村も都市も活かす、我が国の地域の活力を最大限に発揮する構想であり、その創造によりSDGsやSociety5.0 の実現にもつながるものです。」と説明されています。

注目したい点は、地域循環共生圏を実現させるための5つの具体的な取り組みが5色の枠の中に示されている点です。右上から見ると、オレンジ色の枠の中には「健康で自然とのつながりを感じる「ライフスタイル」」、紫色の枠の中には「多様なビジネスの創出」、一番下の青色の枠の中には「自然分散型の「エネルギー」システム」、左の赤い枠の中には「災害に強い「まちづくり」」、そして左上の緑色の枠の中には「人に優しく魅力ある「交通・移動」システム」と記入されています。将来的に地域循環共生圏を実現させるには、これらの取り組みが不可欠であることは当然ですが、従来のタテ割り行政のもとでは、厚生労働省や経済産業省あるいは国土交通省の管轄と思われる事柄に、環境省が口出しすることはタブーといっても過言ではありませんでした。しかし、将来のあるべき姿を描き、そこからバックキャスティングして、今から何に取り組むべきか、というSDGsの観点に立てば、ほかの省庁が管轄する事柄かどうかは関係ありません。ある意味でSDGsというマジックがこの図を描かせたといえるかもしれません。ここには取り組むべき事柄を各省庁が「共有」しはじめた姿、タテ割り行政の枠を超えて共に取り組もうとする「共創」の姿を見ることができます。これまでの基調をなしていた「競争」を排して「共創」に向かおうとする姿は、学校教育の世界でも見習うべきことだと思います。

2020年12月5日

"地域循環共生圏"と教育

環境省の地域循環共生圏構想

地域循環共生圏は、2018年4月に環境省が公表した第五次環境基本計画に盛り込まれた、「各地域が自立・分散型の社会を形成し、地域資源等を補完し支え合う」という構想です。これからのSDGs時代に、地域社会が持続可能な活力を維持するために、地域内で資源や経済の自立した循環を目指すことは重要ですし、「自立・分散型」という考え方は、当NPOの将来構想に掲げた地域分散型低学費大学とも方向性を同じくするものです。

環境省が2019年9月に立ち上げたポータルサイト「環境省ローカルSDGs地域循環共生圏づくりプラットフォーム」では、"地域循環共生圏"とは、各地域が足もとにある地域資源を最大限活用しながら自立・分散型の社会を形成しつつ、地域の特性に応じて資源を補完し支え合うことにより、環境・経済・社会が統合的に循環し、地域の活力が最大限に発揮されることを目指す考え方であり、地域でのSDGsの実践(ローカルSDGs)を目指すものです、と説明しています。「地域でのSDGsの実践を目指す」という私たちのNPOと同じ目標を掲げた地域循環共生圏について、しっかり理解しておく必要があると感じた次第です。

"地域循環共生圏"は、第五次環境基本計画段階では下図のような都市と農山漁村の間の資源や資金・人材の循環に焦点があてられた図で説明されていました。

https://www.env.go.jp/press/files/jp/108981.pdf

しかし、1年数か月が経過してから立ち上がった地域循環共生圏づくりプラットフォームでは、説明図が詳細化し、環境省自身が「曼荼羅」と名づけるほどに進化しています。ぐちゃぐちゃしすぎていて一目見ただけでは読み取りにくい図ですが、よく見ると重要なポイントがかなり書き込まれています。そのいくつかについて、独断偏見を駆使した解説を試みます。

http://Society5.0により実現する地域循環共生圏_v25 (env.go.jp)

Society5.0と地域循環共生圏

この図のタイトルは、ポータルサイトの画面上では「地域循環共生圏(日本発の脱炭素化・SDGs構想)」となっていますが、そのネット検索アドレスをコピペすると「Society5.0により実現する地域循環共生圏」という別の名前に変換されます。Society5.0と深く関わる図であることは、最下段に“「Society5.0」と人の生産性向上が創る「地域循環共生圏」”と書かれていることからも明らかです。表題の副題の「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合」という表現も、「Society5.0」に対する内閣府による定義の「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)」の前半がそのまま流用されています。また、拡大しないととても読み取れない黄色地に赤枠の具体的な取り組みの横や上に“IoT”、“AI”、”Big Data”の四角いロゴが並べられており、「Society5.0」を十分に意識した図であることを読み取れます。

ただし、この構想が発表された時期は、他のコラムで紹介した文科省の「Society5.0に向けた学校ver.3.0 」(2018年6月)や内閣府の「未来投資戦略―「Society 5.0」「データ駆動型社会」への変革 ─」(2018年6月)など、各省庁間で「将来構想には必ずSociety 5.0を入れましょう」という申し合わせがあったのではないかと疑いたくなるほどのSociety 5.0づくしですので、それほど重みのあるものと捉える必要はないように思います。

「自立分散」×「相互連携」×「循環共生」

より重要なのは、上から2番目の肌色の枠に書かれた「自立分散」×「相互連携」×「循環共生」=活力あふれる「地域循環共生圏」⇒「脱炭素化・SDGsの実現、そして世界へ」という考え方でしょう。

まず、「自立分散」について考えてみます。この言葉と深くかかわるのは、① 「東京一極集中」を是正する、 ② 若い世代の就労・結婚・子育ての希望を実現する、③ 地域の特性に即して地域課題を解決する、を掲げた「まち・ひと・しごと創生総合戦略」です。「地域循環共生圏」は、2014年に成立した「まち・ひと・しごと創生法」に基づいて、2015年から官邸主導で進められている「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の一環として、環境省が脱炭素化を目指す循環社会の構築を視野に入れて構想したものです。したがって、「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の基本的な考え方が前提となっています。

「まち・ひと・しごと創生総合戦略」では、当初から人口減少の克服と地方創生を実現するために5つの政策原則を設けています。

http://20141227siryou4.pdf (kantei.go.jp)

その冒頭に掲げられているのが ①自立性で、地方公共団体、民間事業者、個人等の自立につながる政策を進めることが謳われています。 ②将来性についても、地方が自主的かつ主体的に取り組むことを支援する方針が示されています。

東京への一極集中の是正は、言うまでもなく地方への分散ですので、「自立分散」には、前述のように「地域循環共生圏」構想が「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の一環をなすものであることが示されているといえます。

次の「相互連携」はあらゆる政策に登場する常套用語であり、最重要概念であることだけ確認しておけばよいでしょう。環境省の独自性が現れているのが3番目の「循環共生」という言い方です。 2000年に成立した循環型社会形成推進基本法に基づいて環境省は2001年から「循環型社会白書」を刊行し、2007年版からは環境白書と合体させて「環境白書・循環型社会白書」に、さらに2009年版からは「環境白書・循環型社会白書・生物多様性白書」を毎年刊行しています。「循環」が環境省の最重要ワードであることは言うまでもありません。逆に、地域創生や地域の活性化に関わる構想を環境省が発信する上では、「循環」という言葉は必須といえます。"地域循環共生圏"に対して「地域の特性に応じて資源を補完し支え合うことにより、環境・経済・社会が統合的に循環し」という説明を付加することで、環境省も地域創生に「循環」という観点から貢献しますよ、という意思表示が読み取れます。

「地域循環共生圏」の「共生」の意味とは

ではなぜ「共生」という言葉が付加されているのでしょうか。多くの人が「共生」という言葉を知るのは、小学校の理科でアリとアブラムシ互いに助け合う共利関係を通してかもしれませんが、今、最も頻繁に使われるのは「多文化共生」、つまり、文化的な背景を異にする人々が地域社会の構成員として共に生きていく、という概念でしょう。そして「多文化共生社会」に深くかかわる省庁としては、総務省、厚生労働省、外務省、文科省、場合によっては農水省が連想できますが、環境省については「?」と思う方が多いのではないでしょうか? 実際に環境省が2012年に地方自治体に向けて提示したのは「地域循環圏形成推進ガイドライン」で、「共生」という言葉はありませんでした。

「地域循環共生圏」構想の中で「共生」がどのような概念として使われているのかを確認する必要があります。そのヒントは2020年3月に公表された「森里川海からはじめる地域づくり」と題された地域循環共生圏構築の手引きにありました。そこでは「自然共生社会」というフレーズが書かれていました。ただし、「自然共生社会」といわれても、イメージが湧きにくいのですが、「森里川海からはじめる地域づくり」のリーフレットの表紙を見てようやく「ああ、そういうことなのか」と理解できました。そこには副題として「~新時代の地域と自然の共生関係~」と書かれていました。要するに、地域と自然との「共生」ということです。理解はできたのですが、すっきりしたという感じはありません。自然は地域の基盤となっているものですので、あえて「共生」という言葉を使わなければならないものか、という釈然としない気持ちが残っています。

http://chiikijunkan.env.go.jp/pdf/tebiki_pamphlet.pdf

地域循環共生圏の取り組みの五本柱

さて、地域循環共生圏では具体的にどのような取り組みを行うのでしょうか。その柱となる取り組みは、中央の地域循環共生圏という文字を取り囲むように5つの色分けで示されています。上部右側のオレンジ色から時計回りに見ていくと、「健康で自然とのつながりを感じる「ライフスタイル」」、次の紫色は「多様なビジネスの創出」、一番下の青色が「自律分散型の「エネルギー」システム」、左の赤が「災害に強い「まちづくり」」、そして最後の緑が「人に優しく魅力ある「交通・移動」システム」です。

五本柱の項目を見て、「えっ、なぜこれが環境省主導の地域循環共生圏で取り組む項目なの?」と思う方が多いと思います。従来の省庁の縦割り行政から考えると、「健康」は厚労省、「ビジネス」は経産省、「災害に強いまちづくり」と「交通・移動システム」は国土交通省の管轄で、「エネルギーシステム」がかろうじて環境省の管轄かな、というのが普通の感覚でしょう。

実は、これこそがSDGsの魔力ともいえるものなのです。従来の縦割り行政の垣根を軽々と飛び越えて、「地域循環共生圏」の柱として不可欠な取り組みを取り入れてしまえるのがSDGsの理念に適った行政の在り方なのです。「環境」「経済」「社会」を統合すること相乗効果が発揮され、持続可能な社会の構築が可能になるという考え方です。

「自分たちの領分はこれですから、これについてだけは責任をもってやりますよ」という発想を一旦断ち切って、持続可能な未来の社会を作るには、今、どのような取り組みが必要かを洗い出す。そして、それらすべてをバランスよく成し遂げなければ、様々な不都合な事態が生じて本来の領分についても不都合が生じてしまうという、バックキャスティングによる自覚と統合的な視点を与えているのがSDGsにほかならないと思われます。

持続可能な未来につなぐ「教育」

それでは、5色の五本柱への取り組みで、「地域循環共生圏」が目指す「環境・経済・社会が統合的に循環し、地域の活力が最大限に発揮される」という状況は保証されるのでしょうか。もちろん不完全なものでしょうが、今よりも相当素晴らしい姿を描けるように感じます。内橋克人氏が主張し、多くの賛同を得ている「FEC自給圏」、すなわち、食(food)、エネルギー(energy)、相互扶助(care)の自給がなされる圏域という観点からは、食の自給が欠けています。しかし、現実の食料自給率の低さや食料輸入をめぐる日米関係を考慮すると、この図の中に食料自給までは書き込めなかったのは理解できないわけではありません。

地域循環共生圏の持続可能性という点で、欠けているのは「教育」であろうと思っています。一応、右端に「「知の源泉」となる大学・高専・研究機関」と書き込まれていますが、そのような「知の源泉」という意味での教育ではありません。今後の変化の激しい社会では、新たな地域課題も次々と生まれてきます。そのような新たに生まれる地域課題に対して、常に対応する体制が必要です。そこに求められるのは、新たな共創社会を維持・革新していくために、あらゆる世代の人が学び続けることです。まさに、学校に限定されない「学びの共同体(Learning Community)」という教育システムの存在が、持続可能な地域循環共生圏には必要であろうと考えています。

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