社会の変化と教育改革
学校教育の改革とは、基本的には社会の変化あるいは社会の変化に対する子どもたちや保護者の変化に対して、学校教育における従来の在り方ややり方では対応できないことから、新たな仕組みを設けたり、従来と違ったやり方に変更したりするものと言えます。
社会の変化と広義の教育改革との関係は、人類史という長いスケールの中でも確認できます。狩猟採集社会では、狩猟の方法や食用になる植物の選別などは、大人のやり方をまねたり、周りの人から子供のうちに教え伝えられたりして習得していました。しかし、農耕社会になると社会の階層化が生じ、都市が誕生し、支配階層では社会の秩序維持や人々の統率のための様々な仕組みを学ぶための特別な訓練が行われはじめます。文字や算術も、社会の秩序維持や人々の統率のために生み出されたもので、一部の人たちが特別な訓練を受けて学ぶという、最初の「教育改革」といえるかもしれません。
社会が複雑化して、学ぶべきことも実用的なものばかりではなく、芸術的なもの、哲学的なもの、宗教的なものなどが加わり、高度化すると、専門的な素養を身につけるための大学をはじめとする学校が誕生していきます。また、「読み書き算盤」の習得が就業や生活水準の向上に有利な要素と見なされるようになると、教育は一層普及していきます。一度に多くの人がある一定の場所に集まって学ぶという学校の誕生は、人類史上の大きな「教育改革」といえます。
約150年前、国民国家の成熟によって、国家に奉仕する人材の大量育成による国民統合という国家的な要請によって、国民のほぼ全員が学校に通って学ぶ「公教育制度」が生まれました。ほとんどすべての人が少年期の一定期間を学校に通って過ごすというこの公教育制度の誕生も、人類史上の大きな「教育改革」の一つといえるでしょう。
そして現在、社会の急速な変化と、社会的生態的な持続可能性の危機が差し迫る中で、新たな教育改革が始まっています。
近年の学校教育改革の4つの主要因
日本における近年の教育改革は主に、以下の4つの大きな要因に基づくのではないかと考えています。便宜上4つに分けて述べていきますが、それぞれの要因が相互にかなり密接に関連し合っていることは言うまでもありません。
①新たな教育課題の誕生
②教育方法の主流の変化
③学校と地域との関係の変化
④児童生徒や保護者の多様化
これらは、持続可能性の危機の拡大、グローバル化や情報化の進展、産業構造の変化、雇用形態の変化、家族構造の変化、格差の拡大、少子高齢化など、広い意味での社会の変化とそれに付随する子どもたちや保護者の変化に起因しているものが大半です。
①新たな教育課題の誕生
1947年に6・3・3制の新しい学校教育制度が誕生してから、今年で75年目になります。その間だけでも社会の変化には著しいものがあり、それに対応して、学校教育には多くの新たな教育課題が押し寄せてきました。
例えば、1960年代には工業化の歪な発展がもたらした公害が社会問題となる中で、公害教育の必要性が叫ばれ、その後公害教育は自然保護教育と合流し、環境教育として学校教育に定着していきました。また、20世紀後半を通じて、ヒト・モノ・カネの国境を越えた交流が急拡大する中で、国際理解教育や外国語教育の強化が求められました。そして近年の情報通信技術の急速な進展に対応するために、高等学校に情報科という教科が設けられたり、新学習指導要領で小学校にプログラミング学習が導入されたり、今回の中教審答申に示されたように、ICTの活用が学校教育に求められてきています。
さらに社会的・生態的な持続可能性の危機に対応するために、新学習指導要領では「前文」において、「(一人一人の児童生徒が)持続可能な社会の創り手となる」ように指導することを求めており、国連持続可能な開発サミットで採択されSDGs(持続可能な開発目標)も重要な教育課題となってきています。
このような新たな教育課題を学校教育に取り入れる一方で、従来の教科等についても、児童生徒が習得すべき基礎基本と捉えているため、結果的に「足し算」となって、児童生徒にとっては授業時間数増となり、教員にとっては、もともと過剰労働であったところに指導すべき課題が次々と押し寄せてきて、対応しきれないということになっています。じっくりと新たな教育課題についての指導方法を学ぶ時間もなく、「やってられないよ」という感覚を持つ教員も少なくないはずです。
②教育方法の主流の変化
ところで、①で例示したような新たな教育課題は、従来の教科のように児童生徒に知識を習得させることで済むというものではありません。「持続可能な社会の創り手となる」という言葉が象徴しているように、獲得した知識や技術を活用し、主体的な行動や活動への参画に結びつくことを求めています。筆者の専門領域である環境教育でも、環境についての知識を生み重ねるだけでなく、環境をよりよいものにするための行動・参画が重要という観点から、「参加体験型の学習」という手法が確立してきました。中教審での議論の中で「主体的・対話的で深い学び」と言い換えられましたが、課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ「アクティブ・ラーニング」が新学習指導要領の柱に据えられた背景には、このような新たな教育課題の性格も影響しているはずです。
上記のような新たな教育課題の影響もありますが、20世紀の末に起きた、受動的な学習から能動的・主体的学習への転換という教育方法の主流の変化には、学習効果についての本質的かつ根本的な考え方の変化に基づいたものと理解した方が正しいでしょう。主体的に何かに熱中しているときに大きな学びがあることや、回り道であっても、様々な体験や経験を重ねながら学ぶ方がしっかりと定着をすることは、以前から多くの人が実感してきたことです。しかし、それが世界の学校教育の在り方を大きく変えはじめたのはつい最近のことです。
世界の学校教育事情に精通している佐藤学氏は、ベルリンの壁の崩壊前後からヨーロッパを中心に始まった学習者中心の学びの拡大を「教室の静かな革命」と言っています。教師主導の教育から学習者中心の教育への転換は、その後、世界の多くの地域に広がっていきました。その一つの流れが、学習者が主体的・協働的にプロジェクトを進めていく「総合学習」の広がりでした。日本でも1998年告示の学習指導要領で、「自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育てる」ことを目指す「総合的な学習の時間」がはじまりました。
一方、学校教育の全教科等を学習者中心の学びに大転換させたのが中国です。上海での先行実施で好結果を確認した中国の教育部は、それまでの教師主導の知識注入型教育との決別を「基礎教育課程改革」として2001年に中国全土に発令しました。2009年にPISAに参入した上海が3領域のいずれでも断トツの一位になり、また成績低位者の比率が少なかった点も注目されました。上海の躍進の理由は、いち早く学習者中心の学びに転換し、しかもそれに応じた教員養成に取り組んだ結果とみられています。
日本では、世界全体で浸透し始めていたこのような教育手法の主流の変化をキャッチしながらも、全面的な舵の切り替えには慎重でした。しかし2007年から再開された「全国学力・学習状況調査」(通称「全国学力テスト」)の分析が進み、「総合的な学習の時間」の趣旨に沿った主体的・協働的な問題解決型の学びに取り組んでいる学校の成績が、そのような取り組みをしていない学校を大きく上回ることが明らかになりました。そのこともきっかけとなって、学習者中心の学びへの転換の決断がなされ、2014年11月の下村文科相から「アクティブ・ラーニング」が4回も登場する中教審への諮問に結びつき、今回の「主体的・対話的で深い学び」を強調した学習指導要領にいたっています。
前述の公教育の誕生時には、多くの人に効率よく一定水準の知識を修得させることが重視されました。そのため教室の中に学習者を閉じ込め、教科に分けて時間割を組み、教科書に基づいて知識を伝授する、競い合わせることが活力を生んで有効との信念に基づいて試験を行い、席次を発表する、そして、師範学校できっちりと型を教え込まれた教師が教壇に立つという教育システムが確立されました。その教育システムががっちりと強固に出来上がってしまったために、能動的な学習の有効性を示唆する研究が様々な学問分野で提示されても、教員養成の場で、あるいは学校教育の場で新たな教育手法にすぐにシフトするということにはなりませんでした。知識の習得量に偏重した入試制度も、新たな教育手法へのスピーディなシフトを阻害してきました。デューイの流れをくむ経験重視の教育や、教科を統合した「総合学習」が勢いを増すことは何度かありましたが、20世紀末までの世界の教育の主流は、教科ごとに分かれて知識を注入する教育方法でした。それが20世紀末に大きく動き始めたのは、情報化や国際化や産業構造の変化といった社会の大きな変動に対して、従来型の教育方法ではいよいよ対応できなくなった、限界に達してしまったという認識が定着してきた結果と言えそうです。
この教育方法の主流の変化に対応した教育改革は、本来であれば、「児童生徒に委ねる」という部分がより多くなるため、指導者には時間的な余裕が生じるはずです。しかし、教員養成過程で学んできたことや、教員として長年経験したこととの間には大きなギャップがあるため、多くの教員にとっては、従来から求められている基礎基本の習得の上に、さらに新たな課題を課されている感覚にならざるを得ないでしょう。
③学校と地域との関係の変化
少子高齢化が進み、世界に先駆けて人口減少がはじまった日本では、各地域で活力の低下が懸念されています。一方で、④で述べる児童生徒や保護者の多様化に伴う対応課題の増大から、地域の方々の支援・協力も求められています。学校が地域の活力維持の拠点になるとともに、地域が学校教育の一端を支えるという、いわばWin-winの関係を構築しようという動きが、「地域に開かれた学校」からさらに一歩進めた「地域とともにある学校」です。それが、学習指導要領では「社会に開かれた教育課程」として前面に掲げられることになりました。新学習指導要領で強調された、①教科横断的な視点の重視、②人的・物的資源の活用、③PDCAサイクルの確立、という3つの質の異なる要素からなる「カリキュラム・マネジメント」の②の「人的・物的資源」は言うまでもなく、「学校外」の「人的・物的資源」を意識したものです。
学校と地域が密接な関係にあることはもちろん好ましいことです。私の住む地域では、平日の午後の4時ごろになると「地域の皆さん、いつも私たち小学生の見守りをありがとうございます。もうすぐ私たちの下校時間となります。今日も私たち小学生の見守りをよろしくお願いいたします。」という小学校の上級生による放送が流れます。しっかりした力強い児童の声に、逆に元気づけられているような気がします。
日本の場合、学校と地域を隔てる壁は、戦後徐々に低くなり、特に「総合的な学習の時間」が始まって以降、子どもたちが地域に出て学んだり、地域の人が学校に来て子どもたちに指導したりする機会も増えてきました。そして2016年1月に文部科学省から公表された「次世代の学校・地域」創生プランでは「チーム学校」の一員として地域の人々が学校を支える姿が描かれています。また、「地域とともにある学校」への転換を図るため設けられた学校運営協議会も、2017年から設置の努力義務化がなされ、急速に普及しつつあります。
しかし、地域と学校の関係が密になればなるほど、学校の教員は、地域との関係構築から日常的な諸連絡という新たな役割を求められます。学校という小さなコミュニティでの生活に慣れ親しみ、しかも多様な他者とのコミュニケーションが苦手な教員にとっては、この学校と地域の関係の拡大は大きな負担になるはずです。学外者との関係構築にたけた教員でも、そのことに時間を取られて勤務時間が長くなるということは起きているはずです。
「次世代の学校・地域」創生プランでは、地域学校協働本部の中に「地域コーディネーター」が位置づけられ、学校の地域連携の中核を担う教職員と連携・協働していくイメージが示されています。また、2017年の社会教育法の改正で地域学校協働本部が法律上きっちりと位置づけられ、地域コーディネーターをも包含する「地域学校協働活動推進員」制度を設けています。しかし、そのための十分な予算は確保されず、人員の配置は後回しにされているというのがほとんどの地域の実態と思われます。
④児童生徒や保護者の多様化への対応
④のうち児童生徒については、昨年末に「小学生の異変」と題したコラムでも取り上げたいじめや不登校、発達障害の増加、あるいは外国籍児童生徒の増加への対応という課題があります。外国籍児童生徒の増加の背景には、グローバル化の進展や少子高齢化があることは確かですが、いじめや不登校、発達障害の増加の要因は複合的なもので特定しづらい面があります。それでも非正規雇用の増加や片親世帯比率の増加、あるいは情報化の負の側面といえるSNSによる陰湿ないじめ、スマホ依存などが指摘されており、それらが複合することで「異変」と言わざるを得ない状況になってしまっています。保護者についても、雇用不安や片親での子育て負担、子供の抱える問題の増加など影響が間接的に学校に寄せられ、教員の負担増につながっています。
これらについては、「教員と多様な専門性を持つ職員が一つのチームとして、それぞれの専門性を生かして、連携、協働する」ことを趣旨とした「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について(答申)」が2015年12月に中教審より示され、スクールカウンセラーも従来以上に増員され、スクールソーシャルワーカーなどの配置も徐々には進んできています。また、地域によっては、教育委員会が顧問弁護士を雇い、学校における児童生徒や保護者などとのトラブルにも対応できる体制を整えつつあります。しかし、児童生徒や保護者の多様化に伴う様々な案件への対応の大部分は教員に託されており、教員の疲弊の原因としても、この④は相当大きなウエィトを占めているように思われます。
それでは、社会の変化あるいは社会の変化に対する子どもたちや保護者の変化に対応しようとしている「教育改革」が、教員の過剰労働や疲弊につながらないようにするためにはどうすればよいのでしょうか。次回からは、そのことについて考えてみたいと思います。