「教育改革」と「教員改革」は別物?
「ここ20年間、教員は「教育改革」で学校現場に強制された膨大な業務量に苦しめられている。さらに「教員改革」も推進され、「教育改革」との相乗作用で業務が激増し現場は疲弊し、教員集団も変質した—。」
上記の文章は、『教員という仕事 なぜ「ブラック化」したのか』(朝比奈なを著、朝日新書、2020年11月)の裏表紙部分の帯に書かれた文章です。著者は、公立高校の教員を約20年経験し、その後、公立教育センターにおける教育相談などの活動の傍ら、教育ジャーナリストとして教育現場を取材し著述活動している方です。教員の激務や教員間の人間関係の複雑さなどの記述、特にコロナ禍で教員の業務量がますます増加しているという指摘はまさにその通りです。また、約半分のページ数を割いている5人の教員のライフヒストリーは、近年の教員の実態に鋭く迫っています。
しかし、上記の文章を目にしたとき、「教員改革」という言い方に多少引っ掛かりを感じました。「教員改革」という言葉は、それほど当たり前に使われている言葉ではないからです。「教員の働き方改革」とか「教員組織改革」、あるいは「教員養成制度改革」といった改革の対象が明示された言い方が一般的で、「教員改革」では、教員に関わる何を改革するのかがわかりません。「教員を改革する」という教員そのものを改革の対象とするニュアンスのある言い方は、適切でないように感じます。
教員に関わる様々な改革を総称して「教員改革」と言っていると理解したとしても、「教育改革」と「教員改革」とが並列して書かれている点も気になりました。「教員改革」は「教育改革」と並列されるものでしょうか。教育改革という大きな枠組みの中の一つの領域が「教員改革」なのではないか、教育改革の本道を達成するために教員に関わる改革が付随して生じるものであって、並列的な関係ではないのではないでしょうか。
教員を取り巻く環境の変質と「教育改革」
冒頭に紹介した裏表紙の帯に書かれていた文章は、「はじめに」に書かれている以下の文章を、(おそらく編集者が)縮減して作成したものでしょう。
教員が直面している最大の問題は、長時間労働を余儀なくさせるほどの仕事量にある。それらは、「教育改革」という名の下、ここ20年間ほどで矢継ぎ早に学校現場へと強制された変化に対応するための仕事が大半を占める。「ゆとり教育」から「学力向上」への転換を基調に、新しい学習指導要領が作成されるたびに、その時点で必要とされた教科・科目の指導、学力や能力、スキルの育成が教員への新たな業務として付け加えられる。
そして、あまり知られていないが、この間には「教員改革」も推し進められている。「教育改革」と「教員改革」の相乗作用で業務が増え、教員は疲弊し、教員集団の変質・変容も生じているのだ。(p.6-7)
著者は、教育改革の中でも、「ゆとり教育」から「学力向上」への転換といった、学校教育の目指す方向性の変更や、それに伴う約10年に一回の学習指導要領の改訂に対して「教育改革」という言葉を用いています。上の引用に続く以下の記述から、著者の言わんとする「教員改革」の姿もかなり明確となります。
本書では、主に「教員改革」の動きを概観し、それが教員及び教員集団に与えている影響や、現在、教壇に立つ教員のリアルな姿などを取材から明らかにしていきたい。筆者は「教員改革」によって教員の同質化が起こり、ある種の「ムラ社会」化進んだと見ている。(中略)ある一定のタイプの人間を教員にしたい、既に教員になった人を一定のタイプにたわめたいという意図を持つ改革を進めたことが大きな原因だと考える。(p.7)
どうやら、著者がいわんとしている「教員改革」の相当部分は、教育改革の本道とは関係ないところで生じている教員の過重労働や疲弊をもたらしている制度の改悪や歪な慣行の拡大などではないかと感じました。
そして、本書のまとめとして結論的に書かれている以下の文章にも、違和感を覚えました。
まずは、現在進行している、また近年中に予定されている改革を一時中断し立ち止まって検証することが必要だ。どれほど緻密で優秀な機械やシステムでも点検が必要であり、そのための一時中断は不可欠だ。「教育改革」も今、その目ざすべき方向性や具体策を見直す時期に来ている。次々に実行される改革に関する書類を読むだけでも教員は多くの時間を取られ、忙しい日常の中ではそれについて真剣に考える暇もない。(p.202)
確かに、この1月に中央教育審議会が公表した「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して」という答申は、A4版で91ページに達しています。しかし、近年では重要な文書にはたいてい概要版がついているので、上記答申の趣旨を理解するには、それほど多くの時間を取られるわけではありません。「教育改革」の点検が必要という指摘は同意できますが、教員が忙しすぎて疲弊しているから「教育改革」を一時中断すべき、という結論は、適切な改革も不適切な改革も一緒に十把一からげにした議論と言わざるを得ません。
教員の過剰労働や疲弊が大問題であり、早急な解決が必要なことであるのは間違いないのですが、その原因究明の矛先を誤った方向に向けてしまうと、問題解決も遠のいてしまう恐れがあります。
「教育改革」や「教員改革」と一言でいうのではなく、どの改革のどの部分が教員の多忙や疲弊をもたらしているのかを、少し丁寧に見ていく必要があると思います。
今後、近年の教育改革の対象を分けて検討していくつもりです。