学校教育とSDGs

2021年1月4日

「新しいコモン」を活用した学び

「共有」と「コモン」

2020年の年末。コロナの拡大が収まらぬ中、沖縄を三泊四日で訪ねた以外は、人混みを避ける生活、人との会食や懇談を避けがちな生活となり、少しばかり読書時間が増加しました。もっとも、日中の暖かい時間は、運動不足を避けるためにも一番好きな活動を優先しました。白州の山から立ち枯れのクリの木を伐採して軽トラで自宅に運び込み薪小屋を完成させました。2年間十分に乾燥させた薪を確保しておくには、これまでの薪置き場では不足するという理由からです。

年末年始に新たに読んだり読み返したりした本のうち、ここでは「共有」と「コモン」に関わる部分を紹介しながら、「未来の学校教育」の構想に広げていきたいと思います。「共有」や「コモン」こだわったのは、12月12日の特別講演会「未来の学校教育を創造する」において多田孝志氏が「所有の文化=戦争の文化」と書かれたスライドを準備し、佐藤学氏がポスト・コロナの社会を「資源と資産を共有し合う社会」とされたことがきっかけです。(このことについては、12月24日にアップした「「所有の文化」と「共有の社会」、そしてSDGs」で詳しく触れています。)

まず、内田樹氏の『日本習合論』(ミシマ社、2020年9月)の一節を引用して「コモン」についての基本を確認しておきたいと思います。

イギリスの田園には「コモン(common)」と呼ばれる共有地がありました。自営農たちがそこで羊や牛を飼ったり、果樹を育てたり、野生獣を狩ったり、魚を釣ったりしていた。でも、コモンは十六世紀からしだいに私有化され、十九世紀には消滅しました。この私有化プロセスのことを「囲い込み(enclosure)」と呼びます。(中略)(コモンを私有化すれば責任の所在が明確になり希少資源の効率的な分配が実現するというのが)コモンを私有地化するときのロジックでした。そして、実際に資本家たちはコモンを買い集めて、大規模な農地にして、機械化・効率化を進めて農業革命を達成しました。でも、その一方で自営農たちは土地を失い、共同体のつながりを失い、没落して、農業労働者になり、あるいは都市プロレタリアになって産業革命の労働力を供給することになりました。(p.171-172)

私が立ち枯れのクリの木を伐採した白州の山には所有者がおり、所有者の許可を得て行った行為ですが、かつては日本の村落であれば、周辺にはコモンに相当する広々とした入会地が存在し、そこから必要な材料も持ち帰ったことでしょう。

内田氏がコモンを今の時期に取り上げたのは、「囲い込み」のロジックと、なんでも民営化を目指す新自由主義経済の両者に共通する自己利益の最大化が、社会をどんどん歪なものにしており、これからの社会では相互扶助的な共同体が重要な意味を持つようになる、したがって「新しいコモン」の再構築が求められていると考えているからと思われます。

斎藤幸平氏による晩期マルクスと「コモン」

「コモン」の説明は内田氏の文章の紹介で終えて、今回提案したい「「新しいコモン」を活用した学び」に進もうと思っていたのですが、2021年1月のNHKの「100分de名著」が『資本論』で、その第4回目のタイトルが「〈コモン〉の再生」となっていることを知ったので、やはりここでも広義の「コモン」について触れておくことにします。

『資本論』を取り上げた1月の「100分de名著」の指南役は、マルクス研究の新鋭・斎藤幸平氏で、2020年9月に集英社新書として『人新世の「資本論」』を刊行しています。佐藤優氏が毎日新聞の2020年の「今年の3冊」の1冊に選んでおり、書店で目次をぱらぱらと捲ると「〈コモン〉という第三の道」「地球を〈コモン〉として管理する」「コミュニズムは〈コモン〉を再建する」といった気になる節が並んでいたので、購入しました。

実は、斎藤氏は『人新世の「資本論」』の「はじめに」で、「政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められないのだ。SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。(中略)SDGsはまさに現代版「大衆のアヘン」である。」(p.4)と書いています。これからの学校教育にとってSDGsが極めて重要と考えている筆者は「SDGsに対する何たる浅い理解!」と憤慨したのですが、そこまで書くのなら何らかの対案を示しているのだろうと思い直して購入し、読み進めました。

残念ながら斎藤氏のSDGs批判は『人新世の「資本論」』にはその後ほとんど登場せず、ESG投資の急増によって企業の利益優先の経営に変化が生じていることや、合衆国で企業管理の原則を定期的に公表してきた“Business Roundtable”が、2019年8月に企業の目的を「株主優先から離れて、すべての利害関係者に献身する」と再定義し、それに181の大企業のCEOが署名したこと、そしてそれらの背景にSDGsが存在することを認識してないのではないかと疑わざるをえません。

http://Business Roundtable Redefines the Purpose of a Corporation to Promote ‘An Economy That Serves All Americans’ | Business Roundtable

また、斎藤氏が本書で提示している気候変動への対案は、「国家の力を前提にしながらも、〈コモン〉の領域を広げていく」ことを主軸にしており、「2050年までに世界全体の温室効果ガス排出量を森林や海洋などの吸収分を差し引いて実質ゼロにする」という時間的制約の中では実現不可能なものです。後述のように「コモン」を重視する筆者から見ても、〈コモン〉の領域を広げていくことの気候変動対策としての効果はわずか、と判断せざるを得ません。

しかし、これまで刊行されてなかった晩年のマルクスの手紙や研究ノートに対する斎藤氏らの研究によって、晩年のマルクスが環境問題に関心を寄せてエコロジー研究に力を注いだことや、資本主義以前の段階の共同体の研究を進め、共同体の人々によって民主的に共有され管理されてきた共有財産に関心を寄せていたことを知ることができました。また、斎藤氏が気候変動問題を最も重要な人類の課題と捉え、そのために脱成長に向かわねばならないとしている点は完全に同意できます。ただし、それを「コモン」の拡大で実現できるかというと別問題です。

問題は「コモン」ですが、もともとの「コモン」は、内田氏が書いているように「囲い込み」によって私有化されて消滅する以前のイギリスに存在していた農耕者たちの共有の土地を指していました。しかし、斎藤氏の著作では、「〈コモン〉とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富」(p.141)で、「〈コモン〉は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す。」(同)と書かれています。土地に限定しないだけでなく、公共財の管理システムというニュアンスにまで概念を広げています。そして「彼(=マルクス)にとっての「コミュニズム」とは、生産者たちが生産手段を〈コモン〉として、共同で管理・運営する社会のことだった」(p.142)と断定的に書いています。

以上のように、コモンは概念を広げて解釈するようになってきていますが、そのような公共財を利用できるのは、そのコモンの存在する地元の共同体構成員に限定されていると考えるべきなのでしょうか。これからの時代のコモンは、もっと幅広い人に開かれたものであるべきではないのでしょうか。

「新しいコモン」を子どもたちの学びの場として活用しよう

少々遠回りしましたが、ここで提案したいことは、今、どんどん拡大している耕作放棄地や管理者不在で荒廃している山林を、「新しいコモン」として地元の共同体構成員以外の人々にも利用してもらうようにしてはどうかということです。

たとえば、耕作放棄された農地を自治体が地元の農業法人に委託してブルーベリーやサクランボの果樹園にしてある時期には誰もが自由に摘み取りできるように開放するとか、管理者不在の荒廃した里山を自治体が地元林業関係者に委託してコナラ林に変えて、市民に暖房用の薪に年間2本の伐採権を与える、などのサービスを提供すれば、人口減少に直面している地域に関係人口を呼び込み、さらには転入者を増やすことも可能ではないかと考えています。

そして、実は一番願っていることは、耕作放棄地や荒廃した里山を小中学校に開放し、農作物を自由に作らせたり、自分たちで伐採した木で子どもたちに秘密基地を自由に作らせて宿泊体験をさせたり、シイタケを栽培させたり炭焼きをさせたりしてはどうでしょうか。

いやいや、利用の仕方は子どもたちに任せておけばよいのです。あれこれと斬新なアイディアを発見し、大人や教師が思いもよらなかったような活用法を次々と作り出していくはずです。その場合、「新しいコモン」で子どもたちを見守るという点では、学校の先生方以上に、地域の方々やNPO関係者が主役になることになるでしょう。

半分は農作業だったという戦後沖縄の小学校

耕作放棄や荒廃した里山を「新しいコモン」として子どもたちに開放したら面白いぞ、と考えるようになったのは、冒頭で少し触れた沖縄訪問に関係しています。新たな米軍基地として埋め立て工事が進んでいる辺野古からさらに北に車で十数分行ったところに「黙々100年塾 蔓草庵」という看板のかかった施設(建物+作業場+庭)があります。そこの主が1943年生まれの島袋正敏氏。名護市立博物館の元館長で、野生の植物の採集・利用などの日常生活に関わる沖縄の伝統文化を継承されている方です。その方の活動を映像に残してアーカイブズ化するプロジェクトに加えていただき、12月20日の午前中に島袋正敏氏にインタビューさせていただきました。軽妙洒脱な語りに魅せられて1時間の予定が30分もオーバーして同行者の顰蹙を買ったのですが、その分、面白い話をたくさん聞くことができました。

黙々100年塾蔓草庵
島袋正敏氏

その一つが戦後の沖縄の小学生の暮らし。印象的だったのは4年生までは子ども扱いされたが5年生になると一人前に扱われ、馬で畑を耕す作業なども任され、とても誇り高い日々を過ごしたという話。そして、思わず「それは素晴らしいですね!」と応じたのが、小学校に行っても授業は半分で、残りの半分は農作業だったという話。学校の所有する畑を耕してイモや野菜を作る作業、これこそ「真正の学び」そのものと感じました。島袋氏自身もその作業を通して多くのことを学んだと語られました。

昨年末に「小学生の異変」について書きましたが、耕作放棄地や荒廃した里山を「新しいコモン」として小中学生に開放して、そこで多くの時間をすごさせることが効果的なのではないかと思っています。時にはススキやセイタカアワダチソウを刈りはらって田畑に戻すことがイノシシやシカなどの獣害対策にもなることを学びながら、様々な学年の子どもたちが一緒に田畑の世話をし、時には雑木を伐って秘密基地を作ったり、枯れ木を集めて火を起こし、昼食を自分たちで作ったり、という時間を確保するための空間として、「新しいコモン」は絶好なのではないかと思っています。教育委員会がその気になり、地方自治体がそのために少し仲介すれば、実現可能なことだと思っています。

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