学校教育とSDGs

2021年2月27日

「個別最適」と「タテ社会」(その2)

「個別最適」への違和感

違和感を持ったのは、「部分最適」の総和が「全体最適」にならないのと同様に、「個別最適」を追い求めていっても、「全体最適」には到達しないのではないかということもありました。つまり、直面する生態的・社会的な持続可能性の危機に対しては、社会の、そして地球の「全体最適」が求められているのであって、根本に個人の資質・能力の向上を据えた「個別最適」を求めるのは、これからの学校教育が依拠すべき「持続可能社会型教育システム」ではなく、学校教育2.0すなわち「資質・能力重視教育システム」の発想ではないかと感じたからです。

もちろん、子どもたちの多様化と子どもたちが抱える課題の多様化への対応が求められていることも、その対応で教員がますます多忙化を強いられることが適切でないことも理解しているつもりです。しかし、それがICT の活用と少人数化で実現できるものだろうか、ICT の活用と少人数化が学校教育の在り方として適切なのだろうかということに対する疑問もあります。特に、情報化の流れに乗ることの危険性について吟味が不十分なのではないかという不信感のようなものと言ってもよいかもしれません。

科学文明は確かに人類に多大な利便や恩恵をもたらしました。と同時に、様々な環境問題や格差をもたらし、今、生態的・社会的な持続可能性が人類の最大の課題となっています。同様に、情報化の進展によって大きな恩恵を受けているのですが、ビッグデータが一部の企業や組織に集積されることの危険性やスマホ中毒の蔓延など、以前から指摘されていた懸念材料は現実のものとなっています。「個別最適な学び」が学習者の個別最適を目指すものであることは百も承知ですが、それが情報関連企業や情報操作側にとっての「最適」にすり替わってしまう危険性も十分にあります。嘘で塗り固められた情報が大量に発信され、そのような情報を鵜吞みにする人が極めて多いという実態を見ると、情報化の進展がもたらすマイナス面に対する防御は現段階でも脆弱ですし、今後もその脆弱さは変わらないのではないかと思っています。

今回の中教審答申の「個別最適な学び」については、『教育展望』2021年1・2月合併号の新春座談会「WITHコロナ時代の教育の方向性」でも、安彦忠彦氏や石井英真氏が、「分断」や「序列化」につながる懸念を述べています。「持続可能社会型教育システム」にしても「持続可能な開発モデル」にしても、持続可能性を追求する上では、従来の「競争」を基調とする教育から「共創」を基調とする教育への転換が不可欠と筆者は考えていますので、安彦氏や石井氏の懸念についても同様の感想を持っています。蛇足ながら、拙著『学校教育3.0』では、現行の学習指導要領で重視されている「資質・能力重視」に対しても、持続可能な社会の構築に対して阻害要素となりかねない「競争」と直結しがちであることから、否定的な見方を取っています。

情報化の進展によって、子どもたちの姿が明らかに変わってきています。子どもたちの世界にスマホががっちりと根付いてきたことで、逆に、社会的な事象に対して自分自身で突き詰めて考えることが苦手になってきているようも感じます。そして、さらに、恣意的な情報操作に対する抵抗力も弱まってきていると考もえています。このような危険性に対して、学校や教育委員会レベルだけで的確に対応することは相当に無理があることです。子どもたちの生育にとってプラスにならない恣意的な情報操作をチェックするために、保護者や地域関係者などを巻き込んだ仕組み作りも、「個別最適な学び」を進めていく上では必要不可欠であろうと思っています。

「個別最適な学び」は懸念が多い、されど

以上述べてきたように、「個別最適な学び」には多くの懸念があります。しかし他方で、「Society5.0に向けた人材育成」で重視されている「新たな社会を牽引する人材」も必要とされている、と思わざるをえません。Society5.0は情報機器やAIと不可分の関係にあるので、「Society5.0に向けた人材育成」が目指す人材像の考え方に賛同するのは、上記の懸念と矛盾するのですが、これまでの教育論の偏狭な枠組みを取り払ったような、納得させられる記述も少なくありません。

「新たな社会を牽引する人材」は「2.Society 5.0 において求められる人材像、学びの在り方」として、まず「(1)新たな社会を牽引する人材」を挙げ、以下のように記述しています。

Society 5.0 を牽引するための鍵は、技術革新や価値創造の源となる飛躍知を発見・創造する人材と、それらの成果と社会課題をつなげ、プラットフォームをはじめとした新たなビジネスを創造する人材であると考えられる。異分野をつなげることでエコシステムを創造するプラットフォーム・ビジネスの形態は、巨大な規模を持たなくとも、発想次第で新たな価値を創造することができる。このようなプラットフォームを創造できる人材には、異分野をつなげる力と新たな物事にチャレンジするアントレプレナーシップが欠かせない。また、課題解決を指向するエンジニアリング、デザイン的発想に加えて、真理や美の追究を指向するサイエンス、アート的発想の両方を併せ持つ必要がある。これらの資質・能力に加えて、多くの人を巻き込み引っ張っていくための社会的スキルとリーダーシップが不可欠となろう。新たな価値を創造するリーダーであればこそ、他者を思いやり、多様性を尊重し、持続可能な社会を志向する倫理観、価値観が一層重要となる。

Society 5.0 の世界を仮定せずとも、今日の日本の状況を考えると「社会を牽引する人材」は必要であり、やや要求が多岐にわたりすぎという気がしないでもありませんが、確かにそのようなイメージを備えた社会の牽引者が求められている、と同意させられます。

ちなみに、その次に記されている「(2)共通して求められる力」(p.7)でも、要求過剰気味ですが、おおむね妥当な記述がなされていますので、一部省略して以下に引用します。

(冒頭略)どのような時代の変化を迎えるとしても、知識・技能、思考力・判断力・表現力をベースとして、 言葉や文化、時間や場所を超えながらも自己の主体性を軸にした学びに向かう一人一人の能力や人間性が問われることになる。特に、共通して求められる力として、①文章や情報を正確に読み解き、対話する力、②科学的に思考・吟味し活用する力、③価値を見つけ生み出す感性と力、 好奇心・探求力が必要であると整理した。まず、知識・技能としての語彙や数的感覚などの学力の基礎に加え、人間の強みを発揮するための基盤として、文章や情報を正確に理解し、論理的思考を行うための読解力や、他者と協働して思考・判断・表現を深める対話力等の社会的スキルなど、読み解き対話する力が決定的に重要である。また、人と機械が複雑かつ高度に関係し合う社会となっていく中、科学的に思考・吟味し活用する力が不可欠となる。機械を理解し使いこなすためのリテラシーや、その基盤となるサイエンスや数学、分析的・クリティカルに思考する力、全体をシステムとしてデザインする力がこれまで以上に必要な力となる。(以下、略)

この「Society 5.0 において求められる人材像」に対しておおむね同意するとなると、その実現と不可分なものと前提されている「個別最適化された学び」を否定しづらいのですが、「今日の日本の状況を考えると」という前提はつけておきたいと思います。この「今日の日本の状況」をどのように捉えているのかについて次に述べたいと思います。(続く)

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