中根千枝氏の『タテ社会の人間関係』
昨年末の特別講演会の朝に多田孝志先生からメールが届き、その一部を講演会の登壇者討論で紹介したことは、12月24日のこの欄に寄稿した「「所有の文化」と「共有の社会」、そしてSDGs」に書きました。そのメールに書かれていた中根千枝著『タテ社会の人間関係』(1967年、講談社現代新書)について、特に「タテ社会」と「ヨコ社会」の構造の違いを示すために挿入されている図を取り上げて、SDGsとの関係を考えていきたいと思います。
手元にある1973年版の表紙には、「日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。「単一社会の理論」によりその本質をとらえロングセラーを続ける。」と書かれています。また、多田先生はメールの中で「本著(『タテ社会の現代社会』)には『タテ社会の人間関係』(1967)以降、50余年たっても日本の社会の基調は変わっていないとの鋭い指摘が記されています。日本の社会、学校教育の根本を問い直し、多文化共存の新たな時代に向けて拓いていくことは緊要の課題と考えます。」と述べています。今なお、派閥政治や縦割り行政が一向に改善されない日本の姿は、これからの本格的な多文化共生社会の到来を考えると、憂慮せざるをえません。講演会の登壇者討論では、環境省の「地域循環共生圏」構想のように、縦割り行政を打破しようという動きがあることを紹介しましたが、多田先生のご指摘は、残念ながらその通りと肯定せざるをえません。
2019年に刊行された『タテ社会の現代社会』でも、『タテ社会の人間関係』のもとになった「日本的社会構造の発見―単一社会の理論―」(『中央公論』1964年5月号)が付録として掲載されていますが、『タテ社会の人間関係』の方が丁寧にわかりやすく説明されています。
ここで、その内容の詳細は紹介しませんが、なぜ、「タテ社会」という日本的な社会構造が生まれたのかについて、「おわりに」で以下のように述べています。
日本社会の場合、この(=「タテ社会」を作った)条件を支えている一つの大きな特色が存在する。それはいうまでもなく、社会の「単一性」である。現在、世界で一つの国(すなわち「社会」)として、これほど強い単一性をもっている例は、ちょっとないのではないかと思われる。(中略)日本列島は圧倒的多数の同一民族によって占められ、基本的な文化を共有してきたことが明白である。(中略)この日本列島における基本的文化の共通性は、とくに江戸時代以降の中央集権的政治権力に基づく行政網の発達によって、いやが上にも助長され、強い社会的単一性が形成されてきたのである。さらに近代における徹底した学校教育の普及が人口の単一化に一層貢献し、とくに戦時の挙国一致体制、そして、戦後の民主主義、経済の発展は、中間層の増大拡大という形をとりながら、ますます日本社会の単一性を推進させてきたものといえよう。(p.187-188)
「タテ社会」と「ヨコ社会」の構造の対比図
中根氏は、「タテ社会」と「ヨコ社会」の構造の違いを、以下の2つの図を用いて説明しています。(p.114-115)
両集団とも同じ一定数の個人からなっている仮定で、その数を抽象したa・b・cの三点によって示すと第1図のようになる。すなわち、Yにおいては三点の関係が三角形を構成するのに対して、Xにおいては、底辺のない三角関係となる。
さらに、この両者の構成を複雑にすると第2図のようになり、その違いは一層明らかになるであろう。この両者の構造の違いは、第一に、Xの成員はaを頂点としてのみ全員がつながっているのに対して、Yにおいては、すべての成員が互いにつながっていること。第二にXの構造は常に外に向かって開放されているのに対して、Yは封鎖されている。
すなわち、もしここに新たにhというものがはいってくる場合、Xにおいては、理論的にa・b・c・d・e・f・gのどれか一つにつながることによっての成員たりうる。しかるに、Yにおいては、hの参加は全成員に影響する。(p.114-115)
この文中の「ヨコ社会」の構造の説明にある「すべての成員が互いにつながっている」を生かしてより正確に図化すると、第2図の右側の七角形は以下のように書き表すべきでしょう。
そして、抽象した点の数をさらに増やして17にすると、以下のような「ヨコ社会」の構造図を描くことができます。
SDGsの構造は「ヨコ社会」型?
さて、拙著『学校3.0×SDGs』をお読みいただいた方、あるいはこのコーナーの「「流域治水」への参画とSDGs」を目にされた方の中には、ここまでの記述で、筆者がこのあとどのようにこじつけようとしているかを見破った方がいるかもしれませんが、気にせずに書き進めます。
17の目標からなるSDGsについては、17のロゴを3段に並べた以下の図が最も基本的なものです。
それに対し、健全な生物圏があってこそ健全な社会が成立し、健全な社会があってこそ健全な経済活動がなされ、それら3領域にわたる目標全体がパートナーシップによって実現されることを描いた下の図も時々見かけます。
しかし、SDGsのきわめて重要な点は、「2030アジェンダ」の前文の最終段落に書かれている「持続可能な開発目標の相互関連性及び統合された性質」にあることから、筆者は『学校3.0×SDGs』において、以下の図を提示しました。
つまり、SDGsの17の目標間のつながりは、中根氏が「ヨコ社会」の構造として示したものと一致しています。もちろん、「ヨコ社会」の場合は「人々」の間の構造であるのに対して、上の図は、SDGsの17の目標という「事柄」の間の構造であって、一律に論じるべきものではありません。しかし、「ヨコ社会」において新たな成員の参加が「全成員に影響する」のと同様に、SDGsの場合も、一つの目標への働きかけがほかのすべての目標に影響が及びます。
「タテ社会」型の教科の構造とこれからの教員に求められる「ヨコ社会」型思考
150年間にわたって日本の学校教育の基本とされてきた教科の構造は、まさに第2図のXと同じ構造です。例えば小学校の場合、学習内容の全体が実技系教科と非実技系教科に分かれ、実技系教科は音楽、図画工作の芸術系教科と体育、家庭の非芸術系教科に分かれ、非実技系教科は文系の国語、社会と理系の算数、理科に分かれ、という「タテ社会」と同じ枝分かれ構造で、それぞれが多角形の頂点に位置するわけではありません。(比較的最近誕生した「生活科」と「外国語」の位置づけはやや微妙です。)
そして、注目したい点は、全科担当を原則とする小学校教員の養成段階でも、例えば東京学芸大学の初等教育教員養成課程では、国語選修、社会選修、数学選修、理科選修、音楽選修、美術選修、保健体育選修、家庭選修等々と、それぞれの専門性を深める仕組みが導入されている点です。つまり、単に教科が「タテ社会」と同じ構造であるだけでなく、教員も専門とする教科によって「タテ社会」に組み込まれる仕組みとなっています。そして、間もなく発表される「令和の日本型学校教育」答申で、小学校に教科担任制が導入されることで、小学校教員の「タテ社会」化は一層強まると想像できます。教科単位の教員免許制度となっている中学校や高等学校の教員の場合、どっぷりと「タテ社会」に組み込まれる構造となっていることは、言うまでもありません。
しかし、多田先生が危惧されているように、やがて到来する多文化共生社会にあっては、「ウチ」の者を重視し、「ソト」の者を差別したり排除しがちな「タテ社会」的な思考は大きな妨げとなります。特に、未来の社会を支える子どもたちを指導する教員にとって、「タテ社会」の単一集団にどっぷりつかっていることは適当ではありません。しかし、60年以上前に中根氏が指摘した「タテ社会」の構造が、今もなお、いたって健在であることは、日本の国内で日々を過ごしている限り、「タテ社会」的な思考から抜け出すことが困難であることを示しています。意識的にみずから何らかの取り組みをしない限り変われないと言えるかもしれません。
では、どうすればよいのでしょうか。あくまでも読者が「タテ社会」的な思考が強い教員という前提でのことですが、そこから抜け出すのに有効であろうと感じている2つの「推し」(使い方、まちがっているかな?)を書きたいと思います。
一つは、学校以外の活動に積極的に参加することです。特にぜひ勧めたいのが、NPOの活動への参加です。市民レベルでの国際交流を進めているNPO、環境問題に取り組んでいるNPO、子どもたちの貧困や学習支援に取り組んでいるNPO、地域の活性化に取り組んでいるNPO、安全な「食」と「農」を目指しているNPO、障がい者の支援を行っているNPO、音楽などの芸術活動の振興をサポートしているNPO、伝統文化の継承に取り組んでいるNPO等々。日本財団は、「NPOなどの公益活動を実施している団体に関する全国規模のデータベース」をネット上で公開していますが、そこに情報提供されているだけでも8000以上があがっています。多種多様なNPOが存在しているので、自分にフィットするNPOも見つかるはずです。NPOは何らかの目的を持って活動しているので、その目的に深く関心を寄せているという点では同じ思いを抱いている人たちの集団でかもしれません。しかも、自分の会社や自分の学校から一歩離れた立場で集まってきていることが多く、多様性に富む傾向があります。日常生活の大部分を過ごす学校から離れて、多様な人々が集まる場で活動することで、社会の様々な側面を知ることもできますし、学校以外の世の中の様々な仕組みを知ることもできます。
もう一つは、授業の中に極力「SDGsの学び」を取り入れることです。「SDGsの学び」については、別途詳しく書きたいと思っていますが、まずは、授業の中にSDGsの17の目標のいずれかを取り入れてみるとよいでしょう。前述のように、SDGsの17の目標は相互に関連しているので、一つの目標を取り上げると必然的に他のいくつかの目標にも話題が及ぶことになります。ある教科のねらいに沿った授業を進めるつもりであっても、いつしか子どもたちとともに、特定の教科の枠を超えた世界に足を踏み出しているはずです。
最初の方で触れた環境省の「地域循環共生圏」構想は、環境省のホームページ(下図の上参照)に書かれているように、「地域でのSDGsの実践(ローカルSDGs)を目指すもの」です。ローカルSDGsを目指した結果、「タテ社会」を象徴する「縦割り行政」を軽々と乗り越える構想(下図の下:環境省の原図に加筆)になっています。同様に、授業の中に「SDGsの学び」を取り入れると、いつの間にか「タテ社会」的な思考から抜け出しているはずです。